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Channel: ぱなりラボラトリー通信
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EU1KY アンテナアナライザーが動き出した

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ユニクラフトの無料基板製作サービスで作ってもらった基板で EU1KY アンテナアナライザーのRF基板を製作、マザーボード STM32F746G-DISCO にファームウェアを書き込み、動作させてみた。

STM32F746G-DISCO側の受けは、Arduino 互換なので、プロトタイプシールド基板の上に親亀小亀スタイルで乗せてある。
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RFボードで使用するIC NE612はSOPをDIP基板に取り付け、Si5351Aは秋月のモジュールを使った。

こんなふうに測定できる。画像ではよく見えていないが、右下のほうにはスミスチャートが表示されている。測定メニューはいくつかある。

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メニューからハードウェアの校正のみを行って、50ΩターミネイタをDUT(測定)端子に接続してみた。ほぼ、正確に表示していると思われる。

PCに接続しての表示ができないなどあるが、一発で動作し再現性は良い。操作マニュアルがないので、操作は手探りでわからないところも多いが、幸先の良いスタートだ。OSL(Open Short Load )校正のTOOLの製作など進めて、性能を確認していく。

EU1KY アンテナアナライザーをケースに入れる

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先日来実験している、EU1KY アンテナアナライザーのこと、5月2日エントリ締め切りだったMakers Faire 2017の対応で、一時中断していたが再開。バラックでは危険なのでケースに入れてみた。
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タカチ SY-150B を使用、なかなか良い。すべての操作はLCDのタッチパネルで行うのでボタン一つない。すっきりと仕上がった。
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モバイルバッテリ+USB電源モニタで確認、0.43A とかなりの大飯食らいである。
とりあえず、電源は外付けにしたが、内部はこんな感じなので、バッテリが内蔵できそう。
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PC接続するためのUSBケーブルも付けたいが、いまのところ、常設なしでいけるかもしれない。
なにせマニュアルがないので、いまだに手探り状態。プログラムソースが公開されているので、読まなくてはならないか。

EU1KY PCと接続

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いろいろと立て込んで更新ができなかった。

先日来実験中の EU1KY アンテナアナライザーでの新たな知見。
原作者 EU1KY さんのHPによると、このアナライザーは RigExpert AA-170 相当で PCとのプロトコルもあわせてあるので、RigExpert のアンテナアナライザーPCソフトAntScopeが使えるとのこと。

実験してみた。
ちょっと手間取ったが、接続して PCからコントロールしてデータを表示することができた。PCからコントロールするのはもちろんのこと、テスト用のダミーアンテナを測定して、こんなふうに SWR を表示したり

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スミスチャートを表示したりすることができた。

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バッテリで駆動させて測定できるのはとても便利であるし、測定値の画像を手軽に保存できるのは、非常にパワフル。

ただ、タイミングにより、うまく接続できないときがある。USBというのは、もとよりこのあたりが難物。PCが認識するまで時間がかかることがあるようだ。あと、AntScope も最新のものが必要。なかなかおもしろい。


スペイン旅行 出発から初日

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今月初めから、2週間スペインを旅行した。

例によって、妻による旅行記。


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 その日は出発する前に、余計な仕事までも済ませた。何をやっていたかと言えば猫とりだ。同じ町内の庭木藪に数匹産んで居場所が分からなくなっていたが、見つかったと連絡が入り、ご近所一同で捕獲作業。しかし広い物置の下に入り込まれて一度は撤収、しかし危機感を持った母猫が子猫を一匹づつ連れて引っ越し開始、その鳴き声に気がついて次々に身柄を確保、里親に引渡したのが午後3時すぎ。たった一人でやりとげたというので「猫とり名人」の称号を得たのが4時、興奮冷めやらぬ中、深夜の便に備えて休息を十分に取り、家を出たのが7時。

 

 こんなおまけを済ませてから、半月にわたるスペイン旅行なんである。全部読もうなんて思わず、必要なところだけかいつまんで読んでほしい。つうか、必要な話なんてあるとも思えないが。

 

 今回はカタール航空を利用。夫がキャンペーンを見つけ、思いっきり背伸びをして年金生活のくせに「ビジネス・クラス」の席をゲット。キャンペーン価格であろうともそこそこお高いだけあり、特別感半端ない。荷物を預けるのも手荷物検査も並ばず済むようになっており、空港ではラウンジが利用できる。そのラウンジには無料の酒やら食べ物が用意されており、ゆったりと搭乗を待つことになる。

 

 それでまあ周囲を観察してみると、一見優雅でガツガツしていないように見える。しかし無料のカレーに興奮しておかわりまでしちゃう日本人、日本酒にぱあっと顔が明るくなるフランス人、クッキーに即座に反応してしまうアメリカ人などなど、これが本当の「人間だもの」。

 

西原理恵子によると、「飛行機は太るからキライ」だそうで、私もなんーとなくイヤな予感はしていた。それでラウンジでは控えめにしてはいたが、乗り込んだら勧められるままに普段は飲まないライムジュース(ミント入り)を飲んでしまい、シャンパンはおかわりしてしまい、その上、山盛りの温めたナッツまでおかわりがついてくる。食事は好きなものを好きなだけ好きなタイミングで食べることが出来ますと言われ、なおそれがオシャレで美味しいとなれば。ええ。がっつくなと言われても無理でしょう、人間だもの。

 

 座席は平らになるのでそれなりに眠れるし、脚がふくれることもなし。平等なのは揺れと飛行時間か。だがしょせん飛行機の中なので、空間はカプセルホテルみたいなだし、各々の席だとはいえ人種を超えて見知らぬ男女が雑魚寝してるようなもの。化粧落として眠るのは仕方ないとしても、さあ君はここでカーラー巻く度胸があるだろうか?

 

 そして乗務員が渡してくれたアメニティはBRICSのスーツケース素材の堅牢なポーチに入っていて、それはそれは立派だった。私と夫はドーハまでの便で1つづつ、2時間の中継のあと今度はバルセロナまで飛ぶからまた2つもらった。帰りは帰りでまた4つ、うちには都合8つのアメニティが積まれることになった。うちは庶民らしくきっちり持ち帰り、いくつかは知人へのバラまき土産となったがやはり富?は偏在し、降りるときにはその程度の富なんざどうでもいい客によってポーチは置き去りにされていた。次に乗ったら私も置き去りにするのか?いやあ、ネットオークションで売っぱらうことを画策するでしょう。

 

 飛行機1機飛ばす経費の8割がビジネスとファーストクラスから出るらしい。それを聞いた知人達は全員、「それじゃエコノミーの乗客はクソみたいなもんでしょうね。」と言った。しかしその残り2割がいなければしょせん赤字、クソではなくて重要度とか優先順位が低いという言い方が正しい。

 

 それにしても、わが人生で「ビジネスクラス」以上に「カタール航空」なんてものに乗る日が来たことの方が驚きだった。ドーハだって?悲劇がどうとかは聞いているが、内容は知らないし。機長はムハンマドと聞こえたが、乗務員がカタール人ではないことも驚き。いわゆる途上国ではスチュワーデスは上流階級の子女のお仕事であり、そうでない国では普通の職業だという。だがこの場合の問題は宗教上のことで、女子は身内ではない男子の前に出ることは出来ず、まして異教徒にサービスするなどもってのほか、もしやったら嫁の貰い手が、どころか父親にムチでひっぱたかれる??のではないか?? 男子は男子で異教徒の、まして女子なんぞにご禁制の酒を振舞うなどの屈辱的な仕事をするわけにはいかないからか?? よくわからん。

 

 出発は夜中の12時すぎ、食事が終わったのが午前2時すぎ、寝て起きて朝食食べて、機上から見たドーハは海に突き出た地面さえもデザインされていた。砂上の楼閣だと夫は言ったが、まさにそんな感じで、まずは「この国は油で水を買った」という言葉が浮かんだが、水どころかこの目に見える何もかも、砂以外のものをカタールは石油でまかなって現在の体裁を作っている。随分いびつな幸せなのでは?余計なお世話?わからん。

 
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 機外には地平線まで続く砂漠、たまに丸い畑のようなものも見え、トカゲの背中のような山脈の間にも丸い畑が作られていた。その昔、赤ちゃんのおむつの吸水ポリマー?で保水する技術があって、と聞いたことがあるが、あれはおむつのかたまりの上に出来た畑なのか。

山脈があるから直接には熱風はさえぎられるのか、それとも山脈の間をトンネルのように風は吹きぬけるのか。山脈のあっちかこっちに海があれば山に当たって雨が降るはずだが、肝心の海ないし。わからん。

エジプト上空になると、機上からは見えなかったが地図上にナイルが表示され、四角い畑が出現する。それは散水の要らない畑ということなので、ひとごとながらほっとした。

 

 ドーハの空港での中継時間をどう過ごしたかは覚えていない。けろっとまた飛行機に乗ってポーチをもらって食事や飲み物をもらって6時間半後にはバルセロナに到着していた。

余談だが、暇つぶしにと持って来たのが桐野夏生の「OUT」。本の中の世界と外の世界の差が半端ない。あまりの面白さに夢中になって読んだが、なんでこのタイミングでこれを選んでしまったのかと思いもした。私らしい失敗?結果的には正しい選択??わからん。

 

 バルセロナ空港では、こちらで使うSIMを入手しようとしたが行列が出来ていて、対応しているのはひとり。しばらく並んでいたが後に続く人々は人の流れをさえぎるように並び、それでいて気がつかない。他所でもなんとか出来るだろうと、行列を離れた。

 

 電車でバルセロナ・サンツ駅(一番スリが多い駅だという)。ホテルの名はバルセロ・サンツ。駅の真上に存在するはずだが、その入り口がわからない。やっとHのマークを発見して小さな入り口から入る。このホテルがデザイナーズ・ホテルというのか、宇宙を意識して作られていて、ロビーにはR2-D2なぞ飾られていて、そりゃまあ忘れられないものになるのかもしれないけど、駅の上にあるだけで十分ではないのかと滞在中はいつも思った。ホテルの洗面所は何故かダブルシンク、これも慣れれば便利なんだろうけど並んで顔を洗ってもなあ。

 

 ホテル到着が現地時間の16時頃、それから荷解きして4時間近く眠るとちょうど現地のディナータイム。ホテル近くをうろついて、庶民的な現地人っぽい人が入っているレストランで食事。サラダはキュウリとピーマン、トマトなどをちまちま切った上にチーズをかけたもの。子羊のグリルとビール、グラスワイン。飛行機で勧められて勧められて勧められて飲みすぎた。逆か、飛行機の費用内で飲めるうちに飲んでおいたのでグラスワインで済んだというべきか。

知人は、どこの航空会社でかは知らないが、小瓶で供されるシャンパンを3本要求すると言っていた。本当の「ビジネス」だったらこんな利用の仕方をするやつはいないだろが!

スペイン旅行 2日目

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スペイン旅行 2日目バルセロナ)
 
 部屋から降りていって、ホテル出口から左へ行けばそこはマクドナルドであることに気がついた。ホットミルクとコーヒーとクロワッサンを買い、部屋で食事。ホテルの朝食は部屋代別で一人当たり22ユーロ!評判はいいらしいし、1日くらいは食べてもいいが毎朝二人で44ユーロ(5,000円くらい)はありえない。部屋には電気ポットもあるのでお湯を沸かしてかねて用意の緑茶だって飲めてしまう。
 
 その日はツーリスト・バスに乗ることになっていた。それはどういうものかといえばバルセロナの主要な観光スポットを回ってくれるもので、一方通行ながら乗り降り自由、1日券と2日券とがある。乗っているのはほぼ全て観光客なので、スリの心配もない。バスの路線を調べて、行きたいところで降りて観光し、やって来るバスにまた乗って次に行くことが出来る。後でわかったことだがスペイン主要都市にはこのバスがあり、大変便利であった。
 
 で、チケットを購入し、停留所探さねばならない。2ルートある片方のバス停はバルセロナ・サンツ駅にあることはわかっていたので、外に出てみたら当のオレンジ色のバスが走っていた。(後でわかったが、バスの色とルートの名前とは一致しない。行き先表示をちゃんと見よう)それで駅の周囲を一回りしたら、小さなバスセンターがあり、チケットはそこで買えた。これまた後でわかったが、バス停はホテルの出入り口から出た目の前のタクシー乗り場の横断歩道をまっすぐ進めばそこにあった。更に更には、そのまままっすぐ進めば左は大通り、右側はレストラン街で、イスラムな皆さんや中華な店も沢山あるので日曜も全く困らないのであったが
その時は知る由もない。道に迷わない個人旅行なんてこの世にはない。
 
 バス路線の片方は海側、もう片方は主に市街地を走り、いずれも1周が2時間以上。1日券が28ユーロ、2日券が39ユーロ。最初にイヤホンを渡してくれて、日本語音声ガイドもある。私たちはまず、山側のオレンジ・ルートのバスに乗った。
 
 バスは2階建てで、当然皆、見晴らしが良い2階に行く。重心の問題があるせいか、バスの運行はゆるやかだった。周囲は親子連れはいたが、若い人のグループは少ない。6月の始めなので、まだバカンスシーズンは始まったばかりで学校も終わっていないはず。なので当然の帰結?観光スポットにいるのは個人旅行者が多かったが、それはバルセロナという土地柄なのかもしれなかった。
 
 同じバスの中高年の皆さんは、失礼ながら動物園みたいだった。そのへんのわんこよりも濃い腕毛をもつおっさんとか、猛禽類みたいなおばさんとか。毛深いのはマラリアから身を守るためという説があるらしいが、なるほどあれじゃ蚊が刺そうにも腕毛の中で道に迷ってしまいそうだった。しかしそれならそのへんの日本人と結婚しても、腕毛が薄いことを理由に蚊に刺されて早死にされて苦労することになる。何がすごいって、男女ともそういうことなのだ。
で、日本人を省みれば草食小動物っぽくて、同じ動物園でも檻ではなくて小屋で十分、って感じ。いや、入りたくはないけど。
 
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バスから見るバルセロナ市街の建築物は概ねベージュの団地みたいで、余計な装飾は少ない。そんな中に忽然とガウディの建物が出現し、モダンアートの大きなオブジェが築かれている。その後訪ねたバレンシアは本当にきれいな街だったが、バルセロナは他の建物がこざっぱりしているからこそ、オブジェやガウディが映えるのだった。
 
途中でオレンジラインを降りて、グリーンラインに乗り換えた。こちらは海のビーチ横の道を通る。海風が強くて寒い。上が25℃くらい、最低気温が13℃くらいだが、曇ったりすると本当に寒い。この気温を聞いて持って行った保温用品はユニクロのカーディガンとヒートテックの下着、各々1枚づつ。このときは寒かったが、結局コレだけで十分だった。・・そう言えばバルセロナにもユニクロは出来るらしく、ロレックスの隣に出店予告が出ていた。
 
 山の上の教会に行こうと夫が言い出し、有名どころのグエル公園をすっとばかす。バスを降りたところで(ここのツーリストバスは降りると言わなくても停車場には必ず一定時間停車してくれるので降りそこなうことはない。)近くのカフェで食事。粉砂糖をふりかけたのやらチョコレートがのっかったのやら菓子パンが豊富にある。とても大きかったりするので一瞬テンションが上がるが、よ~~く見ると普通のラインナップ。日本のと大して変わらない。
 
 クルミとハムとモッツアレラチーズと干しブドウが載ったサラダとコーヒー。サラダはそれなりの量があるが、7ユーロだったか、値段もそれなりである。ただ、この組み合わせは美味しかった。トイレを借りたあと、出発。まずはケーブルカーの停車場まで歩かねばならない。私は出発前にEテレの旅行用スペイン語講座でちょこっと勉強していて、その中にはちゃんとケーブルカーのスペイン語、「フニクラ」が出てきた。しかしまさか2日目に使うことになろうとは。
 
 バスの解説ではこのあたりは凝った豪邸が多いというので、きょろきょろしながら坂道を上がる。途中、遊歩道らしき看板を見つけるが、行った先で閉じてたり、違うところに出たら困ると思ってそのまま道なりに進む。左右には元・豪邸なのか一軒屋のレストランや語学学校らしきものが並ぶ。本当にこの道でいいのかと不安になったところで若い男子が通りかかったので覚えたとおりに聞いてみた。「おいーが、せにょーる!どんで えすた、ふにくら?」と。
 
通じた。日本語はドイツ語も近いと言われるがスペイン語の発音の近さこそはダントツなのである。問題は、下手に上手く聞こえるので相手が安心してぺらぺらしゃべり、おかげで何がなんだかわからなかったりすることだが、大抵は相手の身振りが激しいので何とかなる。
「おいーが」は、ちょっとすいませーん!という意味で、これはどこの国に行くときでも調べておくと便利。続く「お兄さん」、「おねえさん」、はては「奥さま」も覚えておくといいが、中国では「おっさん」、いえ「おじさん」がわからなくて困った。正解は「先生」だったが。
 
 「どんで えすた」は、「どこにありますか?」の意味で、目的語がフニクラくらいならいいが私は「うちのダンナ」や「長袖」にも応用した。日本語で長袖のシャツはどこにあるかと聞いても問題ないけれど、スペイン語では違うような気もする・・・が、通じりゃもう、どーでもいいのである。
 
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 本当のところはフニクラまで歩かなくてもブルートラムというのが走っているはずだが、その日は休みだった。で、たどりついたフニクラに乗ってティビダボの丘、標高にして535mの山頂を目指すことになる。山頂には教会もあるがしょぼめの遊園地もあり、同じ尾根道にはガウディとは対極な外見のテレビ塔もあって、ここに上るとバルセロナと地中海が一望できるらしい。観光スポットとして有名なのは、山頂ではなくて途中にあるペドラルベス修道院だったが、夫はそうではない方を目標とした。遊園地と教会は隣接しており、乗り物券を買わなくてもどんな感じか見ることだけは出来る。小高い丘から見下ろせば、見えたのはお化け屋敷とプールつきの家だった。教会はまあ、教会だった。新しめの。こんな山の上にあって、どんな人達が礼拝に来るのだろうと思う。それでも観光客達が何人も石段に座り込んでアイスクリームを貪っていた。なぜか頂上よりも下に天文台がある。
 
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 帰りのケーブルカーから降りると、目の前には先ほどみた遊歩道の地図があり、そちらに行く人々が見えた。自然の中ついていくと、ほどなく最初に見た場所に到着。ここからまたオレンジラインに乗り換えてホテルに帰ろうとするが、バルセロナの観光コンテンツは半端なく、また海側に行ったかと思うとモンジュイックの丘をぐるりぐるりと登り、その道の植生も楽しかったがカタルーニャ美術館、ミロ美術館にオリンピック・スタジアムにときて、夫は思わず「東京のみどころってどこだろう・・・」とつぶやく始末。東京において必見場所を巡る2時間コースを果たして2種類作れるのかどうか不安になったらしい。
 
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 ツーリスト・バスはホテルの目の前に停まり、降りる。いやもう便利。夕食まで休むことにする。スペインの夕食は8時から9時。スペイン人なら小腹を慰めるべくバルでタパスをつまみながら1杯ひっかけることになるが、そんなことしたらまともな夕飯など食べられない。
 
 午後8時過ぎ、外は明るい、さて出陣。前出のバス停の先に行けばレストランは山のようにあるのだがその時は知る由もなく、少し行くと日本料理店があり、中から出て来た板前が外でタバコを吸っていて、威勢よくタンまで吐いてくれた。店には「千客万来」なんて書いた色紙が貼ってあり、日本料理は人気だから彼は貴重な人材なんだろうけどそれにしても何でこんなところに流れてきたのかと聞いてみたかった。いやまあ借金こさえて踏み倒してとかではなくて、たんに意識が高い、ものすごく優秀な人材としてそこにいるのかもしれないけど。
 
ところで、バルセロナのレストランのメニューの看板にはスペイン語ではない言葉も書かれていて、これがカタルーニャ語というヤツだった。これが北になるとかの有名なバスク語が併記されているのかもしれない。日本だったら少なくとも書いてあるものは一緒なのに・・・面倒くさい・・・
 
 で、たどり着いたのは「カルメン」なる店だった。下調べしてたら出てきた、評判は悪くない店らしい。ちなみに日本でカルメンといえばアレだが、スペインでは女子の普通の名前だとのこと。だからって「良子」や「裕子」にあたるとは思えないが、深くは考えまい。どれ、と入ってみる。若い黒人女子が出て来た。英語を話すかと聞けば、威勢のよい「ノー!」の返事。それは「あるわけないじゃん!」的なノー!だった。
 
それからメニューと彼女との間で我々は四苦八苦することになった。あっちの方のテーブルではイカの墨煮の話などしている。メニューにはフォワグラがお得な値段で出ている。じゃ、前菜はこのフォワグラの何かにして、それから次はと見ればエスカロップ・・エスカロップって何だっけ?それで姉ちゃんに「エスカロップって何?」と日本語で聞くと「エスカロップってのはね」と言ってバサバサと鳥が羽ばたく真似をし、それからお腹を指差してくれた。えええ、エスカロップってフォワグラだっけ?
 
 そこで夫はメニューを組み立てる気がなくなり、姉ちゃんも面倒くさくなり、「定食にしなよ、定食に!ほら、これでいーじゃん!」それがまたワイン1瓶ついて20ユーロちょっと。
それであえなく陥落。つきだしはオリーブ、次はイチゴと焼いたヤギのチーズを入れたサラダ、パンにつぶしたトマトを塗ったものに生ハムを添えたもの、タラが入ったクロケット(コロッケ)とイカのフライ、それにイベリコ豚のグリル、ポテト添え。
 
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 正直、悪くなかった。いや、サラダなんぞは絶品だった。しかし、カードは使えるかと夫が聞くと黒いカルメンは「はあ?何その言葉?もしかしてカードのこと言ってる?発音が違うよ、いいかい、カルテじゃなくて、タ、ル、ヘ、タ!」と。あまつさえサインをしたら、日本語のサインがおかしいというので「うきゃきゃきゃきゃきゃ!」と笑いやがった。くくっ。
 
 サービス料かえせといいたかったが、彼女はサービスらしいサービスは、した。向こうに言わせれば「スペイン語もまともに話せないくせに、スペインに来てんじゃねーよ、ばーか!」
ということなのだ。なんというか、ある意味清清しかった。彼女のことを尊敬はしない。しかし、すごいとは思う。なんか、うらやましいような、そう思ったらお終いなような?
 
 別の席ではスペイン語が堪能な中国人が3人で食卓を囲んでいた。じゅわわわーっと大きな音でそちらを見れば、熱くした石板のようなものが置いてあり、その上で豚肉を焼いていた。
どう見ても韓国料理のサムギョプサルそのもので、あれは店の名物かと聞きたかったが、ま、そんな会話が出来るわけもない。外はまだ明るく、近くのお店でビール買って帰った。

スペイン旅行 3日目

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スペイン旅行 3日目 (バルセロナ)
 
 またマクドで朝食である。その日は面倒になってお店で食べた。街にはパン屋がごろごろしていて、大概はコーヒーも飲めるがいずれもエスプレッソで、たっぷりとしたアメリカンコーヒーをブラックで飲むのは初心者には不可能。せいぜいがとこ、お湯で薄めた「カフェ・アメリカーノ」とやらになる。マクドナルドは2種類あって、マック・カフェに行くと英語が通じ、ホットミルクも指定できた。これがお隣のマクドナルドだと画像が出てきてなお言語を指定できる自販機で食券を買い、クルーとやらに提出することになる。
 
 さて出発、駅で明後日から行くバレンシア行きの切符を買う。自販機は言語が指定できるようになっていて、下調べの通り難なく買うことが出来た。ツーリスト・クラスというのが事実上の1等席で、指定席でもある。今回は移動手段に贅沢をする旅ということになるのか?
 
その日は地下鉄に乗り、旧市街を歩くことにしていた。それでホテル足元のサンツ駅に行くのだが、探しても探してもR3番線がない。おかしいと思ったら、R3番線の入り口は駅前広場の反対側なのだった。これくらいの距離ならつなげばいいじゃん!大手町を見習えよ!とか散々悪口言いながら地下鉄に乗った。旧市街のカタルーニャ広場駅で降りる。昨日バスで通ったので、なんとなく土地カンは出来ている。大好物のスーパー、カルフールも発見。色々買い込みたくなったが、これからが長いのに、今買ってどうする~~!!
 
 市場も発見。土地の人もいるだろうが、観光客で一杯。お土産は現地だからこそ安く大量に欲しい派と、多少割高でも可愛くしつらえて欲しい派とがあると思うが、ここはどちらもある。しかしカルフール同様、旅はまだまだ続くのにここで買っても荷物になるだけ。代わりに買い食いに走ることにした。席は既に満杯で、客達は皆満足そうにワイングラスを傾けている。あっちのあれとこっちのそれとを一緒に食べたい場合、どうすればいいのか?
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それで買うだけ買って、市場の外のベンチで食べた。が。なんか美味しくない。やっちまった。つまりこれは学園祭のたこ焼きなわけで。欲しいと言った責任をとるべく、食べた。くく。
 
 次は大聖堂見学。広場では大道芸人たちが芸をしているし、エイリアンの着ぐるみを着た人がおっかなびっくりお金を入れてくれた子供と写真を撮っていた。近くにはお菓子屋さんがあって、大きなメレンゲを売っていた。ポルトガルではおっさんの握りこぶしほどのメレンゲを売っていて食べたかったが、果たせなかった。今こそリベンジとばかりに買う。ついでにトルコ風のお菓子も追加する。食べる。メレンゲはメレンゲだったし、トルコのお菓子はトルコの方が美味しいみたい。当然だけど。でも、あんな巨大なメレンゲは日本にないし、トルコのお菓子はトルコ料理店で食べるしかない。ここはいっそ、美味しかったと自分に言い聞かせる。
 
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 大聖堂周辺はみやげ物屋に混じってきちんとした席でタパスやピンチョスを味わえるバル兼レストランが沢山あった。市場でワイングラスと共に自撮りするのは気持ちいいかもしれないが、本当のところはこういう店に入った方がゆっくり休める・・といいつつ、もうお腹に余分はない。店を見つけるにつけ、自分が憎かった。でもまあ、まだ後があることだし、いくらでも体験できるだろうさっ!と。
 
 思った以上に年をとっているのか、歩き疲れた。後で見たらこの日は万歩以上も歩いていたから当然だが、知らない街を徘徊するのを楽しみたいなら疲れたなんて言ってられない。だがやはり疲れたので、アシャンブラ地区のグラシア大通りを経て、ホテルに帰ることにした。この大通りに、カサ・バトリョもカサ・ミラもある。ガウディなんて通り過ぎるだけでまだまともに見てはいない。石にかじりついても見なければ!
 
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 カサ・バトリョの横にはこれまた有名なカサ・アマトリエールがあり、その前には人だかりがしていた。カサ・アマトリエールは誰が見ても美邸である。だがガウディが設計したカサ・バトリョは仕掛けと意識の方向がすごい。いや、本当にすごいのはこれを作らせるパトロンの方ではないだろうか。で、ちょっと歩くとそこにはカサ・ミラがある。20ユーロ出して、入ってみる。日本語の解説も聞けるが、夫は20ユーロに驚いている。カサ・バトリョは22.5ユーロで、この調子で同じバルセロナのダリやらミロやらも端からクリアして行ったら、すごいことになる。なるほど若い人が個人旅行である意味がやっとわかった。バルセロナはつるんで行って裸で横になって日を過ごし、後で日焼けを自慢するようなバカンス先ではないのである。
 
 そこで夫が年金生活者の伝家の宝刀を持ち出した。その名も、シニア料金というやつで、パスポートのコピーを見せたら、いきなり20ユーロが10ユーロになった。夫、偉い!!
 
 カサ・ミラに入ると、まずは屋上に連れて行かれる。まあなんというかヘンな眺めですよ。ヘンだけど、妙に落ち着く。で、この色あいといい、何かに似てるなあと思ったら、それは外から見る多摩センターのサンリオ・ピューロランドだった。ごめんなさい。
 
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 それから居住区域に行くが、もちろんモデル・ルーム。それにしても一部屋が狭い。天井が低いからか?普通に住んでいる人々はどうやっているんだろうか。日本人ほどモノ持ちの国民はいないらしいけど、ここに住む人々は、ここに住むこと自体を趣味として、色々とそぎ落としていかないといけない。
 
 思いっきり疲れたが、地下鉄駅は目の前だ。そして駅から出れば目の前がホテルだ。バス・センターもタクシー乗り場もツーリスト・バスの停車場も目の前ではある。通うには便利。ゆえに16時からシェスタで、20時にホテルを出て街をさまよい、その日にやっと、目の前の通りをまっすぐ行けば様々な店があることを発見。中華もあればタンジール料理の店もあり、ミュンヘンもそうだったけど、大きな駅の周辺って移民の店だらけ。何故??しかし異教徒の店は日曜でも開いているはずだから日曜に行くことにして、今回はちょっとだけ高級そうな店に。
 
広い店には、たった一人先客がいた。小エビが入ったサラダを食べている。メニューはカタルーニャ語とスペイン語で書いてあり、カタルーニャ語が先。ゆえに余計に混乱する。夫、スペイン語をスマホに入れてきていたが、何をどう入れても出て来ないでイラつく。今思えば、カタルーニャ語を一緒に入れてくるべきだったわけで。
 
 給仕は英語を話し、英語メニューもくれた。夫、思わず小エビのサラダを注文。それはもしかして先客と同じものでは?上にかかっているのはオーロラソースだから、下手するとサイゼリヤと同じアレになるのでは?・・・運ばれてきたサラダはやっぱり、ほぼ同じだった。違いはサーモンが混じっていたことと、レタスの下に輪切りのオレンジが敷かれていたこと。そのオレンジも薄かったけど、輪をかけてオレンジの皮が、見たことないほど薄かった!
 
 先客の方に何か運ばれてきた。それは四角い灰色の板状の何かで、昨日「カルメン」で見たのと一緒だった。次に運ばれてきたのは、タコの脚で、かなり太いソレを客が板の上に置くといきなりジュワワーっと音がして勢いよく煙が立った。背広姿の紳士がたった一人で、ワイングラスの横でタコの脚を焼いている姿がなんとも不思議だった。
 
 だが。私たちの席に到着したのも同じ灰色の板だった。そういえば、石焼きのアヒルを注文したんだっけ。えええっ、石焼きって自分で焼くの?・・仕方なく意を決し、石の上にアヒルの肉を置くと盛大に水蒸気が噴出し、隣の席の女性がすぐさま身をよけた。ごめん。
カルメンといいこの店といい、同じものがあるということは、バルセロナでは客に自分で焼かせる石焼きメニューが流行っているのかもしれなかった。ガイドブックにはなかったから、郷土料理ではないだろう、と思う・・・ところで夫は子羊を注文したが、これが小さくてろくに食べるところがなかった。
 
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 帰りにビールを買った店ではアジア系の母子が店番をしていた。どこから来たのかと聞いたら、即座に「パキスタン!」と返ってきた。昨日の板前とはまた違う事情があった。何がどうなってバルセロナにいるのか。

スペイン旅行 4日目

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スペイン旅行4日目 (Vic)

 

 本日はバルセロナ近郊の町、Vicを観光。

ホテル足元の駅から電車に乗ろうとするが、次の電車は40分後だった。しかし座って駅の喧騒を見ていれば、時間は瞬く間に経っていく。そして喧騒と言ったところでまだバカンスは始まっていないので、喧騒でさえないのかもしれない。大体、ホテルの窓から見る朝のバルセロナ・サンツ駅前も閑散たるものだった。スペイン人が東京駅のステーション・ホテルに泊まって朝の出勤風景を窓から見たら何が起こったのかとおどろくに違いない。そう、こっちも驚いた。何でこんなに人がいないのかと。駅前広場に立てば空は広いし目の前の建物には洗濯物が干してあるし。

 

 電車は最初は地下を走り、それから地上に出た。この路線の風景は楽しいもので、たまに豪邸や庭でビワが実っているのが見え、山の中に入ったかと思うとホテル街がいきなり出現したりと、それは楽しかった。ホテル街は避暑地なのか??これが日本なら温泉だろうと察するのだが。1時間半でVicに到着。ローマ時代からの遺跡が残る。「ここにはロマネスクとゴシックに関してはバルセロナのカタルーニャ美術館に次ぐ、ヨーロッパでも有数の美術館がある。」と、これはガイドブックに書いてある。

 
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 ローマ時代からの遺跡とは何かといえば、かつては何かの用をなしていた、崩れかかった石造りの塊り、のことであるが、私はこれがあまり嫌いじゃない。だが、感動のあまり涙が止まらないというほどではない。知人はけろっと「ヨーロッパ行くとさー、美術館か教会見るしかないのよねー」と言ってくれたが、それにひとつ付け加えると「ローマの遺跡」ということになる。ローマの遺跡が売り物になるとは結局、「おらっちは蝦夷(すいません)なんかじゃねえんだぞ、なんたって、ローマの末裔なんだ!」という住民は言い、「本当だ、すごおい!」と喜ぶ人々の存在を示す。プチ・京都みたいなもんか。スペインにも内戦があって、色々破壊されたはずだが、そのへんは不勉強でわからない。

 
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 駅からすぐの、狭い狭い、小さな旧市街を目指す。まずは地図をもらうべく、観光案内所(インフォメーション)に行く。案内所は日曜のせいなのか元々そうなのか、薄暗く閑散としていた。開いてるなら、もっとはっきりと華々しく開いていてほしいんですけど!

 

小さい旧市街なので、どうやったって観光スポットにぶつかる。ローマの遺跡、橋。きれいな建物も見えたが、それが家なのかなんなのかはわからない。教会は閉じている。日曜だからか?礼拝の時間以外は閉めるのか??ロマネスクやゴシックの美術館も、ガイドブックがそこまで推すなら見ておくかと行ってみたが、日曜は14時までとのことだった。

 

ロマネスクやらゴシックやら聞こえはいいけど実際は中世の暗黒時代のことで、それはもう文明も科学もへったくれもない迷信と盲信の時代のこと。そんな時代に生きる人々を時には脅し、大嘘ついて・・と思えば昔すぎる時代の宗教画、イコンを見ると、うっすら怖い。

 

 それにしても日曜のvicは寂しいものだった。ピサに行った初日も日曜で、商店街は殆ど閉まっていたが、月曜となったら別の街のようになった。ここも明日になれば別の街になるのかもしれないが、今日だけだし。観光客らしいおばさん連れもいたが、地元なのかデートらしいカップルが手をつないで歩いていた。彼女の方の下半身はまことに見事だったが、顔が小さくて胸が大きくて、ウェストは締っていて、脚が長かった。後に訪れたマドリードでもこのタイプはごろごろしていた。あまりに見すぎて、自分の身体が頼りなく見えたくらいだ。

 
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 お腹が空いたので、小さな広場ともいえない場所の、日曜でも営業しているバルに入った。

入ったと言っても外のパラソルの下で飲食するのだが、土地の人達??は缶詰の食べ物をつまみにお酒を飲んでいる。そういえばスペインでは缶詰をこういう場所でも普通に利用すると何かで出ていなかったか??かねて用意のカンペを出して、イカだのタコだのエビだのカキだのの素材のページを頼りになんとかアンチョビとイカの缶を注文できた。パンにトマトをつぶしたのとオリーブ油を塗ったものも登場する。冷えた白ワインを1杯づつ飲んで、と。向かいのテーブルでは観光客が大きなカクテルグラスで何かを飲んでいる。それが大きいというだけで美味しそうに見える。

 
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 帰りの電車までまだ少し時間があるのでそこらをうろついて時間をつぶす。OKASHIという名前のこぎれいな日本料理屋発見!こんな、こんな田舎(ごめん)にも日本料理店が?とメニューを見ればまっさきに目に入ったのがYAKISOBA。どれだけ気取ってみたところで土地の人の舌に合わなければ店は潰れるだけだから、ソース焼きそばはアリだろう。もちろんお好み焼きも。いくらで提供してるのかは見なかったが、日本料理といえば焼きそば!とか親子丼!とか思っちゃう人はいるんだろうなあ。いや、いても構わないし。

 

 感慨にふけっていたら、後ろに気配がしてさっとよけたら後ろにいたのは下半身が立派な彼女とその連れのイケメン(あっちでは普通の顔)だった。例の如く手をつないで楽しそうに店に入って行ったのである。・・・最近ソース焼きそばを食べるといえば、防災用品のカップ麺くらい。外国人にどこで食べられるか聞かれても、私は答えられない。夜店以外、どこにあるんだろう??日本における焼きそばの社会的地位と、このあたりでの焼きそばの地位のギャップを思えば、ちょっと心配になった。

 

 帰ってまた昼寝。夕方6時頃に起きて、サグラダ・ファミリア贖罪教会を見に行く。ツーリストバスの上からその偉容を眺めてはいたものの、予約とってないから本当の中心部には入れなかったものの、教会の中を眺め、外を1周することは出来た。やはりすごいし、両脇にある公園がまたいい。群がる観光客の中にたまにいる、たった一人で来ている若い男子なぞはいかにもバルセロナの、ガウディのお客さんらしくてカッコよさげに見えた。

 
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 サグラダ・ファミリアの周囲は当然のことながらお土産屋だらけだった。絵葉書を買って出し、同じ店内を眺めていたらマヨルカ・パールが売られていた。これは一つ欲しいかもしれない!だが店員が言うには、「このマヨルカ・パールは有名で、世界中にその品質が認められています。」そんなの知ってるわい。言われっぱなしではなく、ここはひとつ、ミキモトを出してみせなければ!誰か見せてやって!私は持ってないし!あ、デザインはとても良かったです。

 

 そして、大失敗。Viecnsという店に出会ってしまったことで、クリスマスに食べるはずの伝統菓子とやらのトゥロン、その試食が惜しげもなく振舞われ、美味しいのなんの!!日本語を話す人もいて、後でお土産に渡すときのための包装紙も入れてくれて大満足だったが、ついつい沢山買ってしまい、移動のたびに苦しむことになった。最終目的地のマドリードにもあったのに。こぎれいな店の場合、必ずよそに支店か本店がある。早まってはいけない!!

 

 そして夕食。その名も「フェニキア」ときた。それは昨日の間抜けなレストラン(本当に間抜けなのはそこに入ってしまった私たちなんだが・・)をずずっと通り過ぎた、通りの端っこにある。アラカルトではなくワンプレートで注文することにして、夫がメゼの入るベジタリアン・ミックスを注文、私はキョフテの入ったミックス。ベジタリアン・ミックスには米をぶどうの葉で包んだ冷たいドルマも入っており、ヒヨコマメのペーストとか皿の上は本当ににぎやかで、これは中東の皿鉢料理??ビールは大きいし、ワインはレバノン・ワインを注文したら、いまいちだったがそれで二人分で50ユーロもしやしない。

 
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 日曜にこれだけの食事にありつけた幸せをかみ締めながら、さあ帰ろうかと振り返れば、店は満杯になっていた。

スペイン旅行 5日目

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スペイン旅行 5日目 バルセロナからバレンシアへ  
 
 一度は食べてみようと思っていたホテルの朝食、22ユーロがどうしてもバカらしくなってしまい、私たちはまたマクドナルドで朝食をとった。ふと思いついて、クウォーターパウンダーチーズを食べてみた。パテ、焼きすぎ・・・。
 
 荷物をまとめて10時すぎに部屋を出て、電車内で食べるべくサンドウィッチとサラダと水を購入し、11時には電車に乗っていた。すぐにお弁当を広げた夫は、マクドにしておけばよかったと後悔の念を語った。少なくともマクドなら温かいうちに食べられたはずなので。
 
その日は曇り空だった。電車はしばらくは海岸線の保養地らしきところを走ったが、曇っているとどうも楽しそうではない。それでも長く乗っていけば風景も変わっていき、アガベーに巨大な花が立ち上っているのが見えたし、かんきつ類やブドウの畑も見えたし、大きな工場やベージュやテラコッタ色の団地も見えた。
 
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 そうやって3時間半、バレンシア到着。まずは今回の民泊の宿を探す。早まってバルセロナで買ったお菓子が重たい。駅から出て線路沿いに歩くとバレンシアだというのに何故か中華街になっていて、駅の横にはアジア食品スーパーまであるのだった。中華街の中に泊まるのはなーと思っていたらやはり方向違いで、道に迷ってやっと到着。
 
 しかし到着はしても大々的に看板を出しているわけでもなく、一区画まるまる占めるような大きな建物の中にあったので番地は同じでも入り口がわからない。やっと見つけると宿の管理人は絵に描いたようなスペイン親父(黒髪、短髪、ヒゲ)で、事務連絡の最後の一言は「きれいに使ってね。」と。そりゃそうだ。部屋は事務室から108歩先にあるエレベーターであがった4階だった。
 
 寝室1つ、キッチン、バス、トイレ、リビングにはソファにテレビに、こちらがわには小さなダイニングセット。大好物の洗濯物干しがあって、部屋干しにはなるがこれで大々的に洗い物が出来そうだった。持って来たクリーニング店のハンガーはものすごく重宝していたが、しょせんその数しか干せないし!!
 
 しかしクローゼットには引き出しというものがなく、なんと備え付けのハンガーにはズボンをかける部分がなかった。それでクリーニング店のハンガーは自動的にズボンかけに。皆、これまでどうやってきたのだろう??もしかして洗濯物干しにズボンをかけていたのか??民泊もホテルも一長一短だ。ただ、水の大ボトルと牛乳とジュースが置いてあったのはうれしかった。
 
 余談だがスペインにおける牛乳はどれもこれもロングライフみたいで、バルセロナでは冷蔵庫ではなく普通の棚に牛乳が置いてあったし、この部屋の牛乳も外にどーんと出してあった。夫は毎朝身体のためにとホットミルクを注文して飲んでいたが、あまり美味しくないと言っていた。探せば普通の牛乳もあるのだろうが、そこまでがんばる気になれないし。
 
 さて、大至急で町のインフォメーションに行かねばならない。閉まってしまう。何がすごいって、バレンシアのガイドブックは買ってなかった。地図は民泊の場所を示したもののみ。それで駅まで行って駅にある地図でインフォメーションの場所を確認、改めて赴く。すぐそこなので助かった。地図をもらい、市場とスーパーの場所を聞いた。さあて、夕飯の買い物だ!!
 
 地図を見れば旧市街の場所は一目瞭然、だって観光名所が集中してるし。懸案が解決して、周囲を見回せばバレンシアはバルセロナのそっけない建物とは違っていちいち凝っていて装飾が多くてカワイイ。バレンシアといえばオレンジしか思い出せないが、本当にきれいな街だったのである。ま、駅前だけかもしれんが。
 
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 スーパーは広かった。野菜はパック詰めとグラム売りと両方。ビニール袋に入れて秤に置くと商品の絵が表示され、それを押すと秤の横から値段を記されたシールが出てくる。パンにも量り売りがあって、1つは食事パン、1つは菓子パン、もうひとつは忘れた。とにかくそれを分類ごとにビニール袋に入れて当該のスイッチを押せば値段が出てきて秤の横から値段のシールが・・・野菜と同じ。
 
 スーパーでお勘定を済ませるべく並んでいたら前にいたのはフランス語を話す長身のマダムだった。ベビーバギーに入れて連れていたのはどう見ても子供ではなく孫(ここまでは余計なお世話)で、ミニスカートにぽっくりサンダルで孫をあやそうと上半身を折り曲げた瞬間、Tバックとそのの周辺が全て見えた。まあ、よく陽に焼けておいでで・・・
 
 それにしても、何年も前から夏のヨーロッパでは老いも若きも女子たるものは皆Tバックだ!何故なのか。パンツがお尻を持ち上げてなくて平気なのか。金太郎の腹がけではないけど、お腹を覆ってなくて、お腹ピーゴロしないのか。丈夫なやつらだ。やっぱり動物園だ。
 
トマト、マーシュレタス、オリーブ油、酢、肉、チーズ、ワイン、ビールにパンにつまみにと腕が抜けそうに買って、40ユーロほど。塩コショウやお箸などは持って来ていたが、惜しむらくはキッチンペーパーを買うのを忘れたこと。改めて見たら台所の布巾はたった1枚しかなかったのである。これだけでどうしろと!?

なんとかサラダができて、このあとお肉を焼いて夕食。

 
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 今日も一日終わったなあと窓から外を眺めれば、2階部分のバルコニーでくつろぐ中年カップルの姿が見えた。ビールを楽しみながら、片方はパズル(筆記用具持ってたから多分そうだろう、もう片方はハードカバーの読書。

これまでより2時間早く夕食を終えた。まだ日は沈まず明るい。


スペイン旅行 6日目 バレンシア

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スペイン旅行 6日目 バレンシア
 
 民泊の朝。お湯をわかして、かねて用意の緑茶をいれる。卵をゆでつつ昨日買ってきたパンを半分に割って、昨日の残り物をはさむ。コーヒーを淹れる道具も粉もなく、もちろん持って来ていない。南欧に不満があるとしたらアメリカン・コーヒーが飲めないことか。プラスチックのアレとフィルターと粉くらいだったらろくな重さにはならないので、持ってくるという手もあった。だが、忘れておったのだ。トホホ・・
 
 インフォメーション前の広場に行くとそこにはツーリスト・バスが停まっていた。
バレンシアにもある!しかも日本語解説もある!と小躍りして乗ろうとするとそのバスは海側ルートを走ることになっており、山側ルートの出発は13時半に出発だという。それならとさして広くもないはずの旧市街を観光して時間をつぶすことにした。
 
 まずは市場。バレンシアの市場は当然バルセロナより狭く、同じような品目を扱っているようで、やはり南だった。様々な種類の生ジュースがたくさんあって、1杯1ユーロ。バレンシアであるからにはここは絶対、オレンジジュースを飲まねばならぬ。惜しむらくは座る場所が少なくて、ゆっくり味わえないことだった。
 
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ここに来て初めて日本人ツアーの一団を見た。柄物のくすんだ色彩を着て、肌を隠している。中国人観光客になるともっと華やかでにぎやか、日本人はやはりおとなしい小動物の感があり、あと、ちょっと姿勢が悪い。私も気をつけねば。
 
 バルセロナで買ったトゥロン(クリスマスに食べるというヌガー)がここにもあるのを発見。むっ。でも、味も値段も私たちが買ったやつの方が上のはず。だって他にどうしろと?
まーそれにしても、アーモンドが好きだな、スペイン人。こないだ調べてみたらアーモンドの最大の輸出国はアメリカだった。だが、最大使用国はスペインではないのか。トレドにはマサパンというマジパン菓子があってそれはそれは美味しいものだが、これこそは殆どアーモンドで出来上がっているし、ヌガーの方もすべてに使っているとお店の人が言っていた。
 
 市場を出て、座れるところを探す。カフェの外の席で、オレンジジュースを注文。2杯で5ユーロ。市場との金額の差はそのまま椅子代。そのぶん、くつろぐ。周囲の人々もそうしている。観察するに、カフェが空いてる時間帯がないような気がする。昼ごはんが2時からで夕飯が9時だったら間食なしでやっていくのは難しい。昼ビールや昼ワインも普通に飲まれている。ただし必ず連れがいて、ひとりで飲んでる人は見なかった。
 
カフェを出て街を歩く。カルフール発見!簡易版の小さいやつなので、がっかり。まだ少し時間があるから、今度はそのへんの店でピンチョスを体験しておくことにした。それで広場の店で白ワインを1杯ひっかけつつピンチョスを食べてみる。ピンチョスとは、パンの上に様々な具材が載っている小さめのオープンサンドで、上から串がどすっと刺してある。各々串の長さで値段がわかるようになっており、ケースから自分で選んでとって、お勘定のときには串で勘定する。
 
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 フランス人グループがいた。日本人とは正反対で、おばさんは肌を露出している。タンクトップ、素足にミニスカ。あと、身長を足すためにぽっくりサンダル。彼らにしてみれば、バカンス=日焼け。白いままではバカンスに行ったことにはならない。日焼けこそがブランドなので、シミくらいなくてはお話にならない。頑張って肌を日にさらしている。あとは香水。日本人は香水ぷんぷんは下品の代名詞だが、逆にあちらは「きちんとつけています」というわけで、たしなみアピールとして、ぷんぷんさせることになる。
ネットを見ていたら、地下鉄などで外国人の隣に座らないむきもあるらしい。その理由として、「体臭か香水か、どっちかが臭い!」というものだった。
 
 日本人として普通な、日焼けを防ぐ手袋や日傘はここではあまりに特異なうえに、スリとか呼び寄せそう。というのは、見慣れない人々からはドン引きされるか、見たことがある人々からはそのまんま旅なれない日本人として認定されるかという意味なのだが。私はいつもどおりミニスカこそ着用しないものの、夏です!みたいな服を着て、ひたすら日焼け止めを塗ることになる。長袖を着るのと日焼け止めを塗るのと、どっちが大変なんだろうか。
 
 話は元に戻るが多分そうだろうなと思っていたピンチョスの具材はその通りで、、トマトにチーズにアンチョビにツナに・・・このとき実際に食べた感想は、美味しいというより、まあこんなもんだろうなあというものだった。お勘定のとき、給仕の彼が「ごまかすんじゃないぞ」みたいな顔をしてから串を勘定したのには笑った。広場前の店だし、こすっからいわけですね。
 
 バスは1時間半ほどでルートを1周した。不思議なことに看板には日本語案内が表示されていたのに、イヤホン差し込んでみたら無かった。山側ルートというのは主に旧市街を回ることになっており、バレンシアだけあってあちこちにオレンジが実っており、それでいて人の手が届く範囲は全てもぎとられていた。あれは観賞用のオレンジで、食べても苦いだけと何かで読んだが本当かどうか確かめる機会はついぞなかった。
 
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 バスの中から、夫愛用のMBT(靴屋)支店を発見、夫いろめきたつ。これまたバスの中から、デパート発見、私もいろめきたつ。スーパーで買ったトマトは皮が固くて湯むきをしようにも全然むけなくて四苦八苦したし、ここまできたからには美味しいものが食べたい。デパートを見てそれを期待するのは日本人なら当たり前。
 
 というわけで降りたらすぐ、先ほどの道をたどってエル・コルテ・イングレスへ。地下でビワとオレンジ、つまみにオリーブ、ビールも買う。夫、チーズも肉の売り場も昨日のスーパーとは規模が違うことに感激。そして有難いことには値段的にも西友と高島屋ほどの差がない。余計なお世話だけど、お客さんたちも普通の格好してるし!


 大きめのビワはほんの3粒、オレンジも2個。こんな買い方、量り売りだから出来るけれど同じ量り売りでも少なくとも混んだ市場だったらこういう買い方は遠慮しなければいけない気がする。
で、さて秤に載せて品物を特定しようとして、驚く。画像が小さすぎて、どれがビワの画像だかわからない。スペイン語の「ビワ」も覚えてきていないし。ちなみにオレンジはナランハ。)確かに、オレンジとビワを同じ大きさで描いてあったらちょっとわかりづらいかも。店員さんが来てくれて助かった~。
 
 ビワだのなんだのぶらさげて、先ほど見たMBTのお店に行く。同じMBTの靴でも、軽くはけるサンダルが欲しかったが日本の店舗には見かけなかったそうで、ここでうまいこと購入できた。
ところで、帰り道で孫らしき女の子を連れている、珍しく日本人っぽい体型の白髪のおばあちゃん??を見た。遺伝の法則はどうなっているのかそれとも遺伝的関係はないのか、小学校高学年らしい孫娘はなんら悪い意味はなく、ただおいしそうにぷりっぷりに育っていた。「僕のかわいい子豚ちゃん」というフレーズを読むたびに意味がわからなかったが、これがそれだ!と納得。そしておばあちゃんは清楚にして夏らしい白いロングスカートをはいていて、その下には黒いTバックを・・・だから何故そこで黒なのかと!?
 
 荷物を宿に置き、だらだらしてから夕食のために外に出る。何度も書くが夕食は8時や9時で、夏至に近いから外は明るい。それでさしたる警戒心もなく出かけられる。目の前の公園には、オレンジ。駅舎にもフレスコ画だかタイルだったか忘れたけど、大々的にオレンジが描かれていて、それだけでものすごく楽しげに見えた。
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 バレンシア唯一のレストランでの夕食の外食はメモに残っていない。画像で判断?してください。

 
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スペイン旅行 7日目 バレンシア

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スペイン旅行 7日目 バレンシア

 

 翌日のムルシア行きの電車のチケットを買うために駅へ行く。

窓口に行くと、特急の電車は7時台と16時台しかないという。そりゃまた極端な。だけどそれに合わせて動くしかない。しかし日本で調べたときには、15時半頃にもうひとつ、特急があったはずで??念のため券売機を操ってみれば、特急は午前7時台と16時台しかない。

 

これは困りました。でもまあ全く電車がないわけではなく、いざとなれば16時台の特急に乗ればいいだけのはずで。あとは、ローカル線で乗り継ぎで行くという手もある。バカンスシーズンにはまだ間があることだし、切符が売り切れることもないだろうと踏んでそれでまたツーリストバスに乗ることにする。バレンシアのツーリストバスは同じ1日券でも24時間有効なので、まだ乗れる。

 

今度は海側ルートを行く。バレンシアのツーリストバスはバルセロナに比べて土地に起伏がなく、日本語解説もなくて、いささか退屈、しかし便利なことに違いはない。ゴシック、ロマネスクな美術館に今度こそ?向かう。その途中、戦争博物館も発見!バレンシアにもあるとは。そしてバレンシアの美術館名前はわからない。なんたって日本語ガイドブックがないんだから)は新しくてきれいだが、中身はイコンありゴヤありで、すばらしく重厚にして陰鬱。

(そしてピカソもダリもミロも、この陰鬱に育まれたことになる。)

 

スペインのかつての栄光を思えばどこに何が転がっていても不思議はないはずだが、一方で燃えちゃっていても不思議はないし、持っていかれちゃってても不思議はない。よくまあこんなに残っていることよ。逆か、残ってるだけでもこれだけあるってことか。

 

さて、トイレ入って出ようとしたが、どこにあるのかわからない。警備のお兄ちゃんに、かねて用意の「ドンデ エスタ セルビシオ?」を聞いてみた。お兄ちゃんは身振りで教えてくれた。「階段下りて、ずーっとあっちの方に行って、つきあたりを右がわにあるよ!」と。これをきちんとしたスペイン語で答えてくれたところでわかるわけがないので、有難かった。

 

 24時間チケットの時間は過ぎてしまったので、歩く。バルセロナはほんの少々寒かったが、バレンシアはちょうど良かった。公園には気根をおろした堂々たるゴムの木が何本もあった。河川敷の公園に下りると、枝が支えきれないほど花をつけたキョウチクトウが濃い香りを撒き散らしている。ジャカランダもうす紫の花をつけているし、桑も実をつけていた。少しもらってしまえ。しかし同じことを考える人はいるもので手が届くところに熟した実は少なく、あまつさえイラっとしたのかばっきりと折られている枝もあった。そんな御無体な。

 
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 河川敷を横切り、旧市街に入るといきなりデパートにたどりついた。エル・コルテ・イングレス。これはスペイン中どこにでもあり、何故かポルトガルにまで店舗がある。それはいいんだけどこの名前はもしかして、「英国の宮廷」という意味では???スペインと英国は敵同士ではなかったの?

 

お腹がすいたし、場所柄少しは安全だろうから、ここで食事をしてしまおうという話になった。「カルメン」でフォワグラと言われたエスカロップを注文すると、やってきたのはミラノ風カツレツで、そうだそうだよ、エスカロップってコレだった!・・・???ま、なんでもいいや時間がもどるわけではないし。他にはアーティチョークの焼いたのと白ワイン。

 
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 お腹を満たしていると、隣のスペースに中年に近い高齢者たちが入ってくるのが見えた。女性陣は軽いオシャレをしていて、クリアな花柄が華やか。何かに似てると思ったら、沖縄の集まりだった。陽の光が強く、シブい色が映えないのでそうなる。立席パーティーで、飲み物を手にし、運ばれてきた食べ物をつまんでいる。女性が沢山いる場所ではあっという間に食べ物がなくなり、それでちゃっかりした人は男性ばかりがいるところに移動して食べている。男性の数は女性に比べて少なめ。・・もしかしてこれ、同窓会!?

 

 疲れもとれたしと立派な外見の給仕の人を呼んで、「ラ・クエンタ、ポルファボール。(お勘定、お願いします)」と言ったら「ムイビエン。(良く出来ました)」と言われて一瞬かたまる。つたないスペイン語をほめていただけて、かたじけない。

 

 さて問題はムルシア行きのチケットであるが、一方で夕飯の買い物で、民泊の周囲には小さなスーパーしかない。初日よりましなものを食べるには、ここで夕食の買い物をしなければ。更には明日のお弁当の素材も。こんな機会もそうそうないから、今日は水牛のモツァレラ奮発しなければ。日本じゃ手が届かないし!・・・って感じで買って、30ユーロほど。ひしゃげたモモや、謎の果物も追加。これ、市場にも沢山あったけど食べてみたかった!

 

 重くなった荷物を抱え、駅に行く。案内所には午前中の担当者とはまた違う人が座っていた。よしよし、今度は違う話が聞けるかもしれない。そしてわかったのは、乗り換えで行くローカル線の駅は違うところにあるということだった。それじゃ乗り場や時間そのほかを確認しに行くか。歩いて行けるということだったが、アジアン・マーケット手前からシャトルバスが出ているのを発見!やれありがたや。

 

 ローカル駅はすぐ近くだった。が、スーツケース思えばバスの方がありがたい。その駅でまた時刻表やチケットの自販機と戦い夫が)、バレンシア中央駅たる、バレンシア・カルメン駅同様、ここの駅ではここの駅から出発する電車の分しか、自販機に表示されないことがわかり(夫が)、だが土地勘のない田舎に行くというのに乗り継ぎ時間を知らずに電車に乗れる日本人がいるわけがない。

 

結局案内所に行く。新米らしい若いお姉さんが先輩らしいお兄さんに教わりながら時刻表をプリントしてくれる。乗り継ぎの時間を知りたかったが、これをわかってもらえるまでひともんちゃく、途中親切なスペイン人の男の人も介入して判明したのは、乗り継ぎの時間は10分しかないということだった。ムリ。スペイン国鉄でこんな時間、アテに出来るわけない。「点と線」が可能なのは日本だけ!

 

元々本数が少ないこともあり、かくなるうえは致し方ない。バレンシア・カルメン駅の端末や特急の券売機には登場しないがローカル駅の端末と日本のパソコンに出て来た15時38分の特急を窓口で駅員に提示して買おう!!それでダメなら16時台の特急に乗るさ!いやもう、ローカル線の駅員にはお世話になった。育ててしまって申し訳ない。御礼を言って、またシャトル・バスに乗った。

そして中央駅の窓口に日付と15時38分、ムルシア 2枚、片道と書いて提出、そしたらけろりとチケットは渡されたのである。夫、地味~~に怒っている。

 

 デパートの包みは重かったが、近くのスーパーに回り道して、使い切ってしまった塩と明日のパンを買う。塩は一番安いカルメンシータ印。カルメンというのは、例えて言えば昭和のおかあちゃんっぽい名前なんだろうか?顔の絵がついてて若いんだけど日本人みたいな顔しとる。

 

 今思えばデパートのアンチョビは大きかった。しょっぱいのが前提なので1日では食べられそうもなく、あきらめた。スモークサーモンだの酢漬けだのイカの墨煮だので夕食。トマトは枝つき、前回のトマトよりマシ。というか日本のトマトが甘すぎるのか?牛肉は牛くささが殆どない、面白い味だった。

 
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 ところでこの旅の中で一番きれいだったのがこのバレンシア駅の有料トイレだった。有料ならあたりまえだろうといわれそうだが、それがそうでもない。日本に来た外国人は必ず日本のトイレがどこに行っても清潔なのに驚くというが、逆に外国に行った日本人は、どこに行ってもトイレが汚いのに驚くのである。ここのトイレはひとり出るごとにささっと職員が入って掃除してくれる。有料のトイレに入って感激するのもなんだが、久しぶりに警戒しないでトイレに座れたのであった。

スペイン旅行 8日目 バレンシアからムルシアへ

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スペイン旅行 8日め ムルシアへ

 

 荷物や洗濯物をまとめ、ついでにアイロンがけアイロンは備え付けてあった)、床をささっと掃除して11時近くに事務所に部屋の鍵を渡し、駅に荷物を預ける。その目の前が、アジアン・マーケットなので、見物がてら水を買いに入る。見慣れたり見慣れてなかったりのなか、驚いたのは有り得ない大きさのピータン!!なんでこんなに大きいの?いっそ買って帰りたいと思ったという・・・意味がないんだけどね。

 

日本食は冷凍のどら焼き、カスタード味や抹茶味があるのを確認。入り口近くには米の10kg袋みたいなのがどすどすと積んであったが、そのうちの1種類は味の素と判明。

オタフクソースもブルドッグソースもあるから、バレンシアの日本料理屋でも焼きそばは作れるはず?青ノリも探せばあるだろう。EUではカツヲブシが輸入禁止と聞いたが、今でもそうなのか。ダシ粉で代用するのか??店には現地のスペイン人も買い物に来ていて、おっさんがカップ麺や袋麺をカートまで持参して買いだめしていた。若いもんはファンタオレンジと、炭火焼と書かれた何かを手に持っていた。バレンシアでファンタオレンジ?

 
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 歩いてバレンシア大学付属植物園に。入り口にはいくつか注意書きがあり、そのひとつには猫の絵が描かれていた。それだけで言いたいことはわかった。先生に引率された小学生の集団もいて、猫がぱっと音もなく横切ると「ガート(ねこ)!」と目ざとい子供が声をあげ、指差す。木陰は涼しい。ガサガサっと大きな音がするから何かと思えばムクドリ。積もった葉の下にいる何かを探している。ずずっと奥まで進むと、やはり。おばさん二人と若い青年がひとり、猫にエサやりをしていた。どこの国も一緒だなあ。

 
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 農園を作って展示してあり、イチゴが実っていた。固くてあまり甘くなく、美味しくなかった。これは植物園の人の腕がヘボなのではなく、そういう品種なのである。輸送性を思えばイチゴの品種を固くする方向で改良するのも致し方ない。というか、日本にもこちらにも、2種類イチゴがあるべきなのだ。山盛りでサイズまちまちな酸っぱくて固いイチゴ(安い)と、甘く柔らかくて宝石のように形とサイズがそろったイチゴ(高価)と。

 

 植物園を出たらタクシーひろって昨日の美術館近くの戦争博物館へ。ガスマスクを装着した写真が展示されていたが、そのうちの1枚は馬もガスマスクを装着しているものだった。夫は厳かに「戦争とはそういうものだ。」と言ったが、私はもう、マジメな顔の馬がおかしくておかしくて。草生えるというか、草生えてもマスクしてたら草食えないし。ぷぷぷぷぷ・・・

 
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 博物館を出ると、旧市街やその先の駅はすぐ近くなので歩く。昨日は河川敷の公園を通ったが、今日はゼラニウムで満杯の橋を通る。仕掛けを見ると、沢山のポットに植えられていた。途中、コロンの市場方面をさす道案内があり、行ってみたらそれは観光市場で、カフェばかり。日本の食堂街のように種類があるわけではなく、似たりよったり・・、おっとそう言えば寿司屋があったよ!握ってるのは白人だったけど。

 
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 そのうちの1軒でお昼を食べる。白ワインにコロッケ、サラダ、イカのフリット。まあしかし出てくるのが遅い。ピンチョスはとうとう到着しなかったし。日本とは違うということを時々忘れてしまう。これで25ユーロ。時間がないので、殆ど走って駅へ。荷物をとってヒイハアしながら着席。だが、出発遅れる。スペインだもの。

 

 後ろ向きに座ったまま電車は出発。ながらくそのままで、途中ALICANTE、またはALICANT(どっちかがカタルーニャ語。こういうことがあるので気をつけよう!)でスイッチバックありちょっと前を向くことが出来たが、またスイッチバックあり、3時間半の道程の殆どを後ろ向きに進んで、ムルシア到着。席を反対側にするためのペダル、らしきものはあるので前向き?な夫はなんとかして席を替えようとして頑張るがダメ。やってきた職員に聞いてみたら、「ノー(ムリ)!」だって。ああああ、何故、何故皆、平気なのですか?

 

 後ろ向きではあるが景色は面白かった。日本では岩山だらけのはげ山なぞそうそうお目にかかれない。畑に植わっているのは、オレンジ、レモン、オリーブ。遠くの岩山の上に、石造りのゴシックな建造物が見える。領主様の城かそれとも修道院か。荒地の中に納屋を含む家はあっても屋敷林はなくて、こんなところだと、家父長制すごそう。兄ちゃんが寄り合いに行って帰ってきたと思ったら「カルメン、カルロスとの縁談を決めてきたぞ!」なーんて言われて、「えっ、どのカルロスなの、カルロス兄ちゃん!?」挙句に、「あたしが好きなのはそのカルロスとちゃうよ!」「なんだ、オレはてっきりあのカルロスが好きなんだとばかり・・」とかなんとか、ろくでもない妄想が浮かんでくる。

 
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それにしても平らだ。足場を組めば、収穫も楽勝でいけそう。かんきつ類は土壌中の水分が少ない方が甘く美味しく出来る。で、日本のミカンはそれを理由に山の斜面に植えられているわけだが、ここはそんな心配が要らないほど乾いているわけだ。というか、根付くまでが大変だろうけど。途中、ヤギも見えた・・そういえば、牛は一度として見なかったな。

 

 買ってきておいた果物をむく。電車はナイフの持ち込み自由だからいいですね、なあんて。

ひしゃげ桃は普通に桃で、普通程度においしい。ただしひしゃげたぶん、果肉が足りなくて損した気持ち??なぞの小さな果物は、洋ナシとリンゴの中間の味。こんなちっこいもの、作ったり摘んだり、よくそんな人件費が出る。季節労働者とか、出稼ぎとかがいるんだろうな。そうそう、ビワももう少しというか、普通に美味しい。オレンジもそう。はて、果物におけるインパクトとは?

 
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 ムルシア・デル・カルメン駅到着。ホームにはお迎えの人達が犬連れで待っていて、キスしあったりハグしたり、犬までおおはしゃぎ。「ねえちゃん、お帰り!カルロス兄ちゃんが車で待ってるよー!」とかやっているのだろうて。←しつこい

 

 それはいいのだが、ムルシアの市街は駅からちょっと離れている。改めて足を運ぶことを思えば、ここでまた次のチケットを入手しておかねばならない。つまり、マドリードまでのチケットである。切符は自動券売機はなく、窓口で買う。カンペとメモ用紙の出番である。カンペがあれば、スペイン語は話せるし、要望は伝えられる。聞きとれないけど。日付と目的地のマドリードの地名、出発時間、片道切符、大人2枚であることは隣のページに書いてある。

 

 普通に通じて、変更不可能なキップなら135ユーロが90ユーロになるといわれたんで、それで了承したら今度は相手が「わるい、間違えた。90は7月の料金で、6月は75だった。」と。バカンスシーズンになると電車のチケットも高くなるんだねえ。

 

ところで、現地語で何月何日と書く場合、数字で月の部分を書くと日と間違えたりして紛らわしいので、滞在中の月の名前くらいはメモっておくといいかもしんない。

 

 タクシーに乗ってホテルへ。到着は午後8時だった。目の前が小さな教会。夕食の心配もしなければ。ホテルのミリアムにお勧めの店を聞いたら、ここらへんはレストランだらけですよ、と。答えになっていないが、実際夫はムルシア一のレストラン広場の間近にホテルをとっていた。

 

 Zenitなるこのホテルはこじんまりしていて、ひきだしではないけど段々になっている靴下や下着を入れておくスペースがあり、バスルームは広く、洗濯物を干す場所が沢山あった。残念ながら電気ポットとコーヒーカップがないが、それは南欧を旅行するなら普通の話。

 

部屋を出て、周囲を散歩してみる。寿司屋があって、怪しい着物を着た女の子がお皿持って微笑んでいる看板をかかげている。覗いてみたが、職人は中国人のように見えた。RAMENなる店も見えて、CDやカップ麺が見えた。ヲタク向けのレンタル店なんだろうか。それで成立してるんだったら店もムルシアも日本も大したもんだ。・・・ところで、ラーメンって何語?

 

ホテルはす向かいのレストランに入る。英語メニューあり。このあたりは英語メニューが普通なんだろう。周囲を見回したら先客が1KGもありそうな、猫1匹がその上で丸くなれそうなステーキを受け取っていた。フィレンツェだったか、同じようなのを見たのは。こちらはカップルで分け合って食べていたが、フィレンツェはたった一人で食べていた。

 

温サラダ、チーズの焼いたの(バルセロナの「カルメン」で気に入った!と、グリルドポークを注文。有難いことに、ポークは普通の量だった。ふと、メニューの中にワサビをなんちゃらかんちゃら、醤油マヨネーズ添えというのがあったことを思い出し、給仕の人に「キエロ ワサビ イ ソイソース(ワサビと醤油ほしい)」と頼んでみた。直後、奥の調理場とその給仕がやりとりしていると夫が教えてくれたが、ちゃんと届いた。それでワサビ醤油でうまーく焼いた豚肉を食べることが出来たのである。もちろんワサビは粉ワサビだけど、久しぶりのワサビ醤油は美味しかった。そういえば次に民泊使うならお刺身についてくる醤油を持って行こうと思っていたのに、他のことに紛れて忘れていた。

 
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中国人親子が店番してる小さな雑貨屋でビールを買って帰る。元々旧市街じたい狭いものだけど、このホテルははずれにあっても非常に便利なところにあって、レストランも雑貨屋もバレンシアの民泊の部屋から建物の出口までの距離より全然近い感じ。

 

当の店では、ひょいと見て中国人だなーと思って「ニイハオ。これとこれねー。」と言ってビールを差し出すような買い物の仕方をしたのだが、別の日には同じ店でスペイン人らしき白人が「コンニチワ」と挨拶してるのを見た。日本人が中国人と思われることはあっても、逆はそうそうないはず。この、「コンニチワ」の人はRAMENの顧客に違いない!

 

もっとも、ここまで来てしまえば「RAMEN」がある方が不思議で、我々だって日本人というだけで、武士と芸者のカップルだと思われていても不思議はない。それで「こう見えても私の夫はアキハバラではその名を知られているニンジャのボスで、私はカラテを極めた芸者である!!」とかなんとかスペイン人向けに妄想してみたが、自分たちに関する妄想はいまいちはかどらなかった。

 

スペイン旅行 9日目 ムルシア

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スペイン旅行 9日め ムルシア
 
 8時に起きてホテルの朝食に行く。ここの朝食は予約すれば6ユーロ、当日は8ユーロというお値段で、それならホテルで食べてやってもよろしい。何もかもお代わり自由だし、スイカやオレンジもあるし。
 
 バレンシア在住の日本人女性がブログを書いていて、その人のムルシア旅行について読む。これといって変わったところはないようだった。うちの夫は何故ムルシアに行くことを選んだのか。「バレンシアからマドリードに行く途中にあって、旧市街と新市街があるという程度の規模で、面白そうなところ」をと選んだそうだ。ムルシアはスペイン第7番目の都市なんだそうである。人口42万人、てことは那覇くらいか、川崎の半分以下ですね。
 
 ネットやらテレビやらによればその日のムルシアは32℃になるという予報で、だけどマドリードときたら35℃、数日中には38℃まであがるという。いくら湿気が少ないとはいえ、大丈夫か!日本のニュースとしては天皇陛下の退位法案が決定、宮内庁では退位の儀式の式次第を平安時代から探してきたと。この頃だったか、カタールと周辺諸国が国交断絶、ハテ私たちが乗るはずのカタール航空の飛行機はきちんと飛んでくれるのか不安に。まあ、なるようにしかならないけど。
 
 駅から旧市街に入るときに、10mほどの、さほど広くもない川を渡った。日本人が学ぶところの社会科では、大きな河川があるというのは水運が可能であることを意味し、即ち富が集まるということになる。しかし、スペインに何日かいれば船なんか通れなくても日常的に水が使えるというだけで十分、川があるだけでうれしくなるのであった。
 
 ホテルでもらった地図を携え、インフォメーションに行く。ショッピングセンターと市場とツーリストバスの発着所のありかをスペイン語と英語とり混ぜて聞いた。「どんで えすた xxx?」ってもう、本当に便利!おねえさんは地図に丸つけて教えてくれた。
 
 バスの時間まで30分あるので、その隙に大聖堂を見に行く。そう、普通の日本人は聞いたことがなくてもムルシアは大聖堂があるような街なのである。またこれが立派なもので、思ってもみなかったぶん大きいやら美しいやら。広いからかステンドグラスの位置が通常より上にあるような気がする。イヤでも天上を仰ぎ見、神の存在を思うことになる。
 
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 ツーリスト・バスに乗ると、今度は日本語案内が使えた。しかしいまいち鼻づまってる感じで聞きにくい。頑張って聞く。バスは川に沿って進み、昔の大司教の館がどうこうと言っている。大司教ともなれば大出世だが、宗教の世界とてお金や政治と無関係なんて絶対にありえない。こんなご立派な大聖堂をこの土地がどうして建立し、キープできたのか。絹がどうとか言ってたが、よく聞こえなかった。川の色はさながら乳頭温泉に緑を足したような色で、底が見えない。これが日本なら、大雨でも降った後の色。実際この川はたまには氾濫したことがあるらしい。川のど真ん中には一瞬ぎょっとする大きな魚のオブジェ、いや、モニュメント?なんて楽しい!これでいっぺんで好きになった。ムルシアの観光局は素晴らしい仕事をしている。
 
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 大体1周したところでバスから降りて、トラムを確認しに行く。ショッピングセンターは郊外にあり、トラムで行くことになるので。トラムの乗り場の横は大きなラウンドアバウトになっており、その中央では動物園が子供向けの催し物として様々な動物を見せたり、ゲームをさせていた。鳥の展示では、フクロウが明らかに飼育員に対して、何やら文句を言っていた。良く慣れているらしい。猫でも慣れるとひっかくだの噛み付くだのではなく明らかに文章で飼い主に文句をたれることがあるが、フクロウもそれが出来るとは知らなかった。
その日はどうやらローカルな祝日のようで、道理で子供がうろちょろしてると思った。学校はどうしたのかと思っていたのだ。
 
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 さてトイレに、じゃなくて休憩しましょうというわけで近くのパン屋兼カフェでムルシア名物の「パステル・ド・ムルシア」を食べることにする。それで例のごとく「どんで えすた xxx ?」を使うと、店のおねえさんが指さしたのは私のまん前にあるソレだった。「うの、ぽるふぁぼーる(ひとつください)」。他には、オレンジジュースでも飲みますか。
 
 生オレンジジュースの搾り機があまりに野蛮だと夫感激。おねえさんに「ぷえど さかーる ふぉと?」と聞いておねえさんではなく搾り機の方を撮影。
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奥に野蛮さが美味しそうなケーキがあったのでそれも注文。するとおねえさんはケーキを電子レンジにかけた。なんとこれが、温めたのではなく、解凍していたのだ。ジュースは今までで一番美味しいジュース。パステル・ド・ムルシアは普通のひき肉詰めのパン??ただ外見がちょっと変わっていて、パンの上にひらひらしたパイ皮の飾りがついている。
 
 街を歩くが休日なうえに、シェスタの時間ときて全て閉まっている。仕方ない、こちらもシェスタすることに。
 
 起きて、改めて川に行った。セグラ川というらしい)川岸には長い長い釣竿で釣りをしている人がいた。親子のカモも、アヒルもいた。ふと、草を抜いてみた。平地にオレンジ畑を作れるほど乾いているのに、そこに生える雑草となったらどこまで根をおろしているのかと思ったのである。頑張ってみたが、抜けなかった。だが、あっちの方で夫が「抜けたよ~」と。ああそうかい。川岸には、川の利用について展示した簡単な建物があった。めでたく閉まっていた。
 
行き止まりなので、いったん大回りして川を離れて裏通りの小さな公園に入る。とそこにはなんと、ムルシア鹿おどしがあった。それは日本のみたいに小さくて雅なものではなく、大きな大きな甕に水がたまると甕がかしぎ、ばっしゃーーーんっ!とものすごい音をたてて水を放つのである。お母さんが小さな子供にそれを見せながら、「あぐあ()、あぐあ、あぐあ・・・ばっしゃーーんん。」とやっていたが、こちらだってあまりの面白さに子供同様、見れども飽きない。ムルシア観光局は、実にいい仕事をしている。
 
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 橋を渡ると、上流に何やら見えたので行ってみた。そこには堰が作ってあり、その上の橋からは白い馬のオブジェがつるされている。遠くから見ると、実物大の白馬の置物がある感じ。ただ、流されてはかなわないので橋からつるしてあるのだろう。その堰はゆるやかなものなので、水草が生え、カモが流されそうになりったり流されたりしながらそこの草を食んでいた。
 
 と、水面から、何かがはねた。見たら、鯉というより特大の鮒みたいな魚がいて、跳ね上がるだけならともかく堰をさかのぼってなんとか上流に行こうとしているのだった。何匹も何匹も上ろうとしては流され、流されてはまた上ろうとして、果たせずにいる。ここは是非、一例くらいは成功例を見たい!そう思ってねばったのに、そのうち動きは止んだ。ムルシア観光局のお達しによる営業時間のお勤めは済んだということなのだろうか。
 
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 すぐさまそこにあるホテルに帰る。こんなに便利な生活したことあったっけ?
その一方で、食べすぎも心配になる。今回は、ウェストがゴムの服しか持って来ていない。夫はベルトの穴の場所は変わってないと主張しているが本当かなあ。お腹がすいたが、まだ夕食の時間ではない。店は開いているようでも夕食ではなく、夕食前の軽い1杯の時間で、レストラン専門の店に入ろうとしたら、時計を指差しながら「おーちょ、い、めでぃあ(8時半)」と言われる始末で。
 
 少しさまよってからひょろりとした長身の、豊かな白髪とこけた頬、落ち窪んだ目が印象的、というか全く修道僧に見える給仕に静かに、つまり英語を話さない)呼び入れられ、店に入った。彼は日本人から見れば実に雰囲気のある人だったが、注文するたびに奥に戻り、あるかどうかを聞く人でもあった。テレビの大画面ではテニスが放送されていて、うるさい。消してくれと夫が言うと、やがて別の給仕が来てスペインとどこやらの試合(忘れた)なんだから点けさせろと言ってきた。それなら仕方ないが、音は消してもらった。後から思えば、音があれば試合の模様はわかるはずだが、音がなければ目を向けるしかない。多分この日の給仕やバーテンダーは気もそぞろで様々な不都合があったのではないか。
 
そして、ビールとつまみの炒ったアーモンド(バレンシアもここも、これも名物らしい)だけで延々と待たされた。これは結局、レストランに座ることは出来るけど、8時半にならないとシェフが働かないということなのではないか。前菜はフォワグラ。イチゴジャムとママレード、小さなパンがついてきた。あとはヤギの肩肉。揚げたジャガイモと甘南蛮?を添えたもの。ヤギが冷えていくにしたがってヤギらしい匂いがしてきた。
 
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ところで、スペインワインといえばリオハが有名だが、夫はバレンシアならバレンシアのワイン、ムルシアならムルシアのワインを飲む主義であった。前日のワインは非常に美味しかった。それでその日もムルシアのワインを注文したのだが、前日のと同じのが出てきたので夫は交換した。先ほどの、職務中にテレビが見たいと言った給仕が来て、「何故ムルシアのワインがイヤなんだ?」と問うので、「これもムルシアのだ!」と言い返す夫。一目見て納得する給仕。だが飲んでみて夫は「昨日のよりいまいちだなーー・・」。高いのと交換したのかと聞けば、安いのと交換したのだそうで。それじゃあたりまえだろうが!あ、そうかと納得する夫だった。
 
旅先ではちょっとムリをしても贅沢したがる人がいるが、うちの夫は逆に警戒してサイフの紐が閉まる、慎重派。いや本当に頼りになりますね。

スペイン旅行 10日目 ムルシア

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スペイン旅行 10日目 ムルシア

 

 昨日は祝日で、本日は土曜日である。我々は3連休のムルシアに来てしまったことになる。1週間以上いればどうやったって1日は日曜日になるのは当たり前だが、このめぐり合わせは惜しい。とりあえず恒例の市場見物に出た。すぐ近くの道すがら(ホテルの2軒先くらい?)、店の前に置いてある、ネットに入れた小ぶりのカタツムリ発見。日本では色々置きっぱなしでもモノが盗まれることはないと外国人に驚かれているらしい。しかしイスタンブールでは門口にパンがぶら下げられているのを見たし、ここでもカタツムリがただ置いてあった。当のカタツムリは盗難とは関係なしに自ら逃亡を図っていたが、家を捨てることはかなわず、網の目の間から身を伸ばすのみ。数時間後には本日のタパスとして、トマトと煮られる運命か。

 
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 市場はさすがにこじんまりしているが、2階部分もある。色とりどりの生ジュースなどは並べられていないが、当たり前だ。あったら驚く。だが代わりに魚屋の壁に、クレヨンしんちゃんの絵を発見!「shinchan」とあるから、そういう名前で放送されているのか。記憶によれば、みさえの胸はぺったんこ??だったか?こんなデカ乳しかいない国では中々の災難だ。問題はクレしんに馴染んだスペイン人が日本人女子を見て、「みさえだ!やはりみさえは胸が小さいのだ!!」とか納得されていたらちょっとアレだということで。うろ覚えではなく、このさい原典にあたる必要があると思った私である。

 

 明日からマドリード、なのでムルシアで気になったものは、今日のうちに消化してしまわねばならない。まず、ムルシア出身の彫刻家の作品を展示しているという美術館に行ってみた。宗教系を得意としていたとバスの解説が言っていた。彫刻と言っても着色されていて、工房による一大パノラマ2つ、そのほか殆ど実物大の最後の晩餐などもあり、なんとその作品は祭りとなれば氏子たち?によっておみこしよろしく担がれて街中を回るらしい。・・重そう。

 
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 さて、大通りを抜けてトラムに乗り、ショッピングセンターへ。土曜ということもありトラムは結構混んでいて、それでいてショッピングセンターは終点にあるので誰も降りない。暑い。お扇子持ってきて良かった。窓からは、遠くの岩山の上にまたゴシックな要塞のようなものが見え、手前にはタウンハウス形式の分譲住宅が見え、でも基本的には荒地みたい。イケアが見えた。終点で降りると、皆が進む方に行く。ショッピングセンターはいくつかの棟に別れていて、建物の外にはバスが止まっていた。行き先は、旧市街近くの大通り。帰りはこれに乗ろう!

 
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 ショッピングセンターは大した賑わいで、店によってはセールも始まっていた。賑わいすぎていて、たまに何か気に入って買おうとしても試着室もレジも長蛇の列。それで空いている店に入ってみたら29ユーロが19ユーロになるのはいいとして、サイズが42(日本だと13号)までしかないという、スペインにしてみれば、サイズ専門店だった。

 

 バカンスが始まってもいないのに水着が安い。ビーチサンダルも、1ユーロからあった。安いからと言って買いだめするものでもないが。スペインブランドであるデシグアルに入る。(同じスペインブランドのZARAもめいっぱい混雑していたので断念。)試着室から顔を出して夫を探していると店員が「何かお手伝いしましょうか?」と言ってきたんで例のごとく「どんで えすた?」を使い、私の夫 (み えすぽーそ)はどこかと聞いてみると、「アキ!(ここよ)」と返事がきた。日本だったら人のダンナがどれかなんてわかるわけがないが、ここでは東洋人は私たちだけだったので通用したのである。ちなみに夫を呼ぶのは、異国に目が慣れすぎて日本では着にくいものを買ってしまわないためである。旅先で勢いで買ってしまった服に困った経験がある人は多々いる。

 

その代わりに夏場に外国に行くときには派手すぎた色柄のものとか、衿ぐりや背中がくくれているのとかを持って行く。なんたって、あちらでは普通すぎるほど普通で、逆に日本人だったら普通である、日よけのための長袖や長手袋がイスラムの人に見えてくるほどなのだ。

 

 お昼だ。それでフードコートに行くがこれがまた混み混み。うどんの店まであって、あまり混んでなかったのでそちらに行ってしまいたくなる。人気は中華料理の食べ放題の店。入り口には何故かドラえもんの絵が描かれ、客席を覗いてみたら皆、5皿も6皿も重ねていた。スペイン人、すごい。お店の人も食べ放題にしたことを後悔してるんじゃないかしらん。

 
結局ピンチョスの店にした。席に案内してもらい、飲み物を注文した後で自分でピンチョスを選びに行く。さすがに地元向けのピンチョスは美味しかったし、何よりも安かった。時々店員が新たにピンチョスを持ってきて、勧めてまわる。何故かこのショッピングセンターでは双子が多かった。双子カートに乗っているのには時々大小があり、年子カートになっているのもあったが。
 
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 今度はバスに乗って大通り、その名もグランヴィアまで帰った。いかにもの郊外の風景。ショッピングセンターから帰る人もいれば、オシャレして途中から乗り込んできて、旧市街に行く人もいる。

 

 ホテルに帰ってひと眠りして8時。6月だから、外はぴかぴかに明るい。レストラン広場とは反対にある川の方に向かうと、ひっそりとしたレストランがあって、中では地元父娘らしきのが何かつまみながら飲んでいた。これは地元客中心の店、だからと言っても観光客だから入れないわけでもなく、中から店のおやっさんが出てきて「入れますよ~」と誘う。昨日のことを思えば、後からにした方がよさそうだ。昨日の、川の堰まで行ってみる。多分、スペインでは最後の川辺だし?

 

 3連休の中日、川辺も親子連れで賑わっていた。魚も時おり飛び上がるばかりでこれと言った動きはない。後で知ったが、ムルシアの夏は42℃にもなったことがあるらしい。幸いそこまで暑くはなかったが、川辺は夕涼みには最高の場所であった。

 

 近くにはもうひとつ橋があり、そこをウェディングドレス姿が通るのが見えた。見に行かなくては!どうやら川べりで結婚写真を撮ろうとしているらしい。スキンヘッドの父親らしき人と花嫁の妹らしいのが橋のうえでおしゃべりしながらそれを見ている。婿殿はといえば遠からず義父とお揃いの髪型になりそうな雰囲気。花嫁はそういうものなのか真っ白いドレスの裾を惜しげもなくひきずって歩いている。裾が黒い。これが現実なのか。逆か。日本人がドレスの裾をよっこいしょとばかりに持ち上げているのは、あちらにとっては無様なことなのだ。

 
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 そしてお嫁さんは一人ではなく、別の組もいた。こちらは介添えを二人連れてきていた。後ろ姿しか見えない。印象的な後ろ姿だった。これは遠からず双子が生まれると確信(失礼ですね)した。ほんと、どうやってユニクロはスペインで商売するのか。ニューヨークのだってXXLまでしかなかったし。

 
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 先刻のレストランへ赴くと、ちょうど何人かのスタッフがエプロンをつけ、身支度を整えているところだった。ムルシア初日の給仕はシューベルトみたいな顔で、2日目は修道僧みたいで、この日はといえば牛乳瓶の底みたいな眼鏡をかけていた。他のスタッフはといえば、絵に描いたようなスペイン顔だった。

 

 牛乳ビンの彼ひどい言い草)は「英語を話します。」と言った。夫が何を考えたか「スペイン語を覚えたいんだ」と言ったら、「あーそうですかいいですよ、それならスペイン語でトライしてみたらー?」と、スネたふりして行ってしまおうとする。(ぷぷぷぷ、カワイイ)それを、まあまあまあとなだめて注文。

 

 サラダはムルシア風、鶏のグリルに豚の煮込み。もちろんムルシア・ワイン。ムルシア風サラダというのは本当に田舎サラダというかなんというか、「野菜を食えと言っておばあちゃんが作ってくれるんだけどオレはあれがどうも好きじゃなくてさー。いや、せっかく作ってくれるってのに、悪いとは思ってるんだけどさー。」って感じのサラダだった。そして、鶏はともかく、豚の量は多かった。普通に、残すことなく食べた。いやその、ウェストはゴムだし・・・

 
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店の人にとって、みさえとひろしは思いの外大食いだということになったのかといえば、そんなことはない。普通の量を出して、普通に食べて帰ったというだけの話である。

Maker Faire Tokyo 2017 の招待状が届く

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旅行記はお休み。

今年もエントリした Maker Faire Tokyo 20175月末に落選の通知メールをもらっている。
が、先日招待状が届いた。
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一昨年はエントリした落選者に挨拶状とともに招待状があった。昨年は無かったので落選者に招待状を配布するのは、もうやめたのかと思ったら、今年はこのハガキの招待状が届いた。
なにかしら声があったのだろうか。
出展者情報の公開が始まっている

スペイン旅行 10日目 マドリッドへ

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スペイン旅行 11日目 マドリードへ
 
 荷物をまとめてマドリード行き9時36分発の特急に乗る。これがスペイン最後の電車旅。最初に見えたムルシアの丘は岩だらけで、緑はまばらでオレンジかオリーブが植わっていた。この二つが同じ土俵で育つのだとその時初めて知った。2時間ほど走るとちびちびと樹木が増えていき、その下にありがたい木陰の存在を認めることが出来る。やがてその樹木の間に茂みが生え、その茂みがとなりの樹木につながっていく。
 
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 広い野菜畑が見えるようになる。そこそこ近くなら作物はジャガイモだなと判別できるが、あまりに遠いと、緑を読むしかない。ネギもカリフラワーも一緒に見えてしまう。逆に近すぎると何がなんだかわからない。電車のスピードが早いので。果樹の畑は樹形を読み、葉の形で読む。ブドウやオリーブはわかりやすいが、オレンジとレモンは当然、実がついていない限り判別がつかない。たまに細長い葉が見えたがあれはモモかそれともアーモンドか。
 
 3時間半、平原の向こうにドンキホーテの風車があるよと乗客の一人が教えてくれた。平原のこちらには、大きな農業機械が動いている。それに乗っている人の車は、機械のはるか先にぽつんと停まっている。遠い丘の上に城壁らしきものが見えてそこは小さな旧市街のはずで、その足元には広い広い畑が続いていた。なおも進むとたまに何もかもなくなったり、また畑が続いたり、何もないあたりでは本当に何も出来ない土地なんだなあと納得する。
 
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 時折り、物売りがカートを押してやって来る。日本の特急内の物売りの内容を見せてあげたいほど、メニューは少ない。物売りの彼は香水の類をつけていて、いい匂いをさせている。香水はこの場合、たしなみというやつだ。彼らが香水をたしなんでくれないとどうなるかは、たしなんでくれない人々と同じバスに5時間乗れば、いや、そこまでしなくてもいい場所もある。


以前ネットで、日本では電車で誰も隣に座ってくれないと書いた外国人がいた。それに対して「香水か体臭か、そのどっちかが臭いんだよ!」とミもフタもないコメントがついていて。よほどキライな香りでなければ、つけてすぐの状態でなければ隣に座れないほどではないと思うが、どうなのか。
 
 アランフェスをすぎるとマドリードに近いだけあって郊外の景色となり、あまり面白くない。ムルシアから4時間半でマドリード、アトーチャ・レンフェ駅に到着。ムルシアより暑く、光がまぶしかった。タクシーは駅の表示に従っていったら、簡単に見つかった。タクシー乗り場にはタクシーが3列にもなって連なっていたが、係りがスムースに配車。アトーチャ駅からホテルまではそう遠くなかった。ホテルはいわゆる旧市街にあり、王宮から歩いてすぐのところで、隣は修道院、そのまた隣はデパート。マドリードの旧市街もそんなに広いわけではないと後で知ったが、ここも中々便利だった。
 
 古いながらに中々立派なホテルで、天上が高い。しかし荷解きしてみればホテルのハンガーは他の場所にひっかけて使えないタイプで、やはりクリーニング店のハンガーを持って来て良かったということになる。朝食はどうなのか。もはや値段を確かめる気にもなれない。
 
 昼寝をしてから起きて洗濯。お前は洗濯ばかりしていると夫に言われる。実際、外国に行くと何故か洗濯したくなるし、夏はよく乾くので、欲望のままに洗濯してしまう。暑いの寒いので旅先では洋服であせることが多いが、最近はあちこちにユニクロが出来たので便利そうではある。旅先で現地調達するにもサイズだの組み合わせだので、時間がかかるし。
 
 マドリードのガイドブックはあるが、やはり現地の通りの名前で表示された地図が欲しい。それでインフォメーションを探しに行く。マヨール広場にそれはあった。途中、サンミゲル市場に遭遇、しかしこれこそは観光市場で、小さなバルやカフェの集合体みたいな市場。これが市場?タパスやピンチョスをつまみに一杯やれるようになっているし、お酒がダメなら甘いものも生ジュースもそろっている。しかし混んでいて、ゆっくりは出来ない。ゆっくりは出来ないが、SNS映えしそうではあるな。
 
 インフォメーションでマドリードの地図とツーリストバスの路線図をもらって、ホテルに帰る。マヨール広場からホテル周辺まで、あたり一帯が旧市街にして観光地なのでお土産屋さんも面白そうなお店も沢山ある。途中、ものすごいお菓子屋さん発見。何がものすごいかと言って、店内全体、商品が白から焦げ茶までのグラデーションなんである。これだったら日本の煎餅屋さんの方がまだ派手で、なんとなれば包装紙がビニールで光沢があるから。面白すぎて、クッキーを飴玉よろしく包んだものをいくつか買った。
 
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後に夫は、「あの状態で、商品管理はどうしているのだろうか」と疑問を呈したが、多分マドリードでは、ひからびることはあっても、余程の場所でなければカビは生えないのではないか。(そういう私も、地味~にシワが深くなってきた感があった・・)
 
ホテル隣の隣にあるデパートに入って水など買う。この食品売り場の一角には、バルセロナで買ったお菓子屋さんの支店が燦然と輝いていた。くそう。日本を出てから絶えて久しく見なかった日本人が沢山いた。リンツのチョコレートが3ユーロ、ミント入りのはともかくとして、チェリーと唐辛子入りという野心作が半額になっていた。買わないわけがない。
 
ホテルの周囲はレストランが多く、ただし1皿20ユーロくらい。結構なお値段だが、土地柄というものだろうと思い、その中のひとつに入った。私たちは最初の客だったが、やがて東洋人一家の客が入ってきて、スペイン語で会話を始めた。おとーさんが「昨日はボティン(超の字がつく有名店。名物は子豚の丸焼きに行ってきた」と言えばお店の人は「うちはボティンにも負けませんよ」とやっていた。強気な店ではあったが、何を食べたかは覚えていない。画像で思い出せばいっか。
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スペイン旅行 12日目 マドリッド

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スペイン旅行 12日目 マドリード

 

 まだスペインにいる。ホテルでは一人あたり15ユーロとのことで、結局朝食は、近くのスタバ。

 

本日の予定は、やはりツーリストバスを中心に。プラドに寄って、後はテキトーに。マドリードのツーリストバスは1日券が20ユーロで、2日券が25ユーロ。交通機関をこれだけと定めれば、高くはない。乗っているのは全員観光客で、スリはいない。いるかもしれないけど、全員座っている状態で、囲い込んだりは難しいし、彼らにとってはいささか経費がかかりすぎるのではないかと思える。コースは2種類あり、1つが80分ほど。日本語のガイドもあり、ただ、良く聞こえず。

 
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 マドリードのメジャーな観光スポットは王宮周辺とアトーチャ駅周辺に集まっている。ということは、どちらかに行ったら、その一帯をまとめて見てしまうのが時間的にもお得ということになる。が、我々はマドリードに来たのならまずはプラドでしょう。というわけで、見所があつまる王宮近くのホテルを出て、先にプラドを目指す。
 

 バスを降りるとプラドの外観は以前訪れた時とは違うように見えた。ハテ、石造りの広場の向こうにマドリードが広がっているような気がするが?入り口変えたのかな?ま、気にするまい。既に長い行列が出来ていた。日差しは強いし一瞬ひるんだが、行列はするすると進んで行き、思った以上に早く入れた。バレンシアでも思ったけど、ここに来てから名画の本物漬け。いやーゴージャス、見たことある絵があちこちに原寸大で並んでいるじゃん、と脳味噌に浮かんで自分にあきれる。「原寸大」なのは当たり前だっ!

 

いやもう、ここに来てからどんだけ「受胎告知」を見ただろう?「聖母子像」はもっと見た。あちこちで聖母マリアが天使に受胎告知されてるし、キリストにおっぱいをあげていたし、キリストはキリストであちこちで最後の晩餐に臨み、あちこちで蔑まれ、十字架にはりつけにされている。やっぱりゴージャスだ、なんとプラドでは名だたる画家たちが宗教や神話だけにせよ、同じテーマで描いた絵を一度に見ることが出来ちゃうわけね!

 

歴史上の人物、というよりは名だたる画家に描いてもらえた当時の偉い人も並ぶ。例えば「王女マルガリータ」で、ベラスケスに描いてもらえたからこそ、誰もが知っている。マルガリータの絵が何枚描かれたかは知らないが、嫁入り先のオーストリア・ハプスブルク家への成長記録として描かれて送られもしたゆえに、ウィーンの美術館で見ることも出来る。

彼女は結局15歳で嫁に行き、そこでベラスケスとは縁が切れた。その後、子供を4人産み、21歳でなくなったらしいが、ベラスケスと縁が切れちゃったゆえにマルガリータと言えば、なんとなく少女のままである。少なくとも私にとっては。大体、どーんと育ってしまった彼女を想像できるか?

 

ところでこのマルガリータの父親がフェリペ4世で、王としてはいまいちだったらしいが、審美眼だけは確実で、ベラスケスを王宮画家として囲い込み、彼の協力を得て名画を集めまくってプラドの礎を築いた、らしい。しかし残念ながら後継者に恵まれず、息子のために迎えた嫁の一人は息子が何もわからないのをいいことに、名画を実家に送ろうとして廷臣に阻止されたとか。廷臣、グッジョブ!

 

プラド美術館のあとは絵以外のものを見たく装飾美術館をめざすが、月曜日で休館。その場で行き先を適当に決めるとこういうことになる。そして休館日もそうだが、スペインはシェスタというものがあるので14時から16時はあちこち閉まってしまう。観光客としては、その時間はそのまま食事時間にしてだべっておくしかない。暑い風が吹くなか、食事に行った。

 

 生ハム屋で食事。ハモン・エクスペリエンスだったかムセオ・デル・ハモンだったか、とにかく旧市街歩いたら1階には生ハムがずらーっと並んでいて、沢山の人が生ハムをつまみに飲んでいて、写真つきメニューが置いてあったのでそこに入った。食事は2階。焼き魚定食と白ワイン。白ワインは小さなつぼに入ってくる。サングリアらしきのと、ビールがジョッキで出ていて、いくらだったか忘れたが、安い。ここではこれも名物らしい。隣のテーブルでは、韓国人のカップルが生ハムとメロンで格闘していた。生ハムは確かに薄く切ってはあるのだが、日本のよりはるかに厚く頑丈だ。そういえば生ハムと言えばメロンだった。ここにいる間に私たちも食べなければ!!

 
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それにしても、焼き魚を一口食べたとたんにあれっ?というほど美味い。これは御殿場のアウトレットで水飲んであれっ?と言ったのとは違う美味しさで、つまりは久しぶりだったので美味しかったのだと思う。日本を出てからこっち、羽田のラウンジの手まり寿司以来魚を全く食べていなかった。平均的日本人ははたして何日間、魚を断っていられるものなのか。そういえばクロアチアから帰って初めて醤油を口にしたときも、あれっ?となったっけ。

 

結局この日はバスに乗ってプラドに行って焼き魚食べておしまい。昨日のレストランのお客の言葉を思い出し子豚の丸焼きで有名なBOTINに行ったが、そこのレストランはお客の多さに殺気立っていて恐ろしいほどで、それでも後から後から予約なしの客が押し寄せてきて余計に殺気立つ有様だった。

ここで食事するには何日前から予約すべきなのか、それともどこかのコンシェルジェに握らせればなんとかなるのか。それを言うなら殺気だっているマネージャーに握らせた方が効率的な気がする。一度その、「いくらか握らせる」ってのをやってみたいと思っているが、ムリな気もする。世の中には生死をかけて握らる場合もあるというのに、子豚のために握らせるってのはばちあたりもいいところだし。あ、パスポート紛失したときに係りの人に握っていただくってのは国によってはあるらしい。

 

いったんホテルの方向に行き、そのまた先の大通りの裏道でよさげなレストランを探す。夫によれば大観光地の中のよさげなレストランとは、まずは店の表に椅子やテーブルを出していなくて(つまりレストラン1本でやっていて)なお、表通りから一つ、出来れば普通の人々が暮しているらしい場所にあること。

 

そしてちょっと間違えると本当に何もなさそうなところで見つけたのは、そこそこ広いレストランだった。なんと恐ろしいことに、メニューが昨日の店の半額でやんの。久しぶりに牛肉のカルパッチョなぞ食べるが、きちんとした量で、きちんとした盛り付けで来る。鶏肉はまだ食べていないのでここで食べた。

 
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気をよくしてワインをちょっと張り込むが、よく出る価格帯のものにすればよかったみたい。元々スーパーでもデパートでも、5ユーロどころか1ユーロのワインだってごろごろしている。この店のワインの平均価格帯は15ユーロだった。

 
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余談だがこの店の近くには「服部半蔵」なる店(この名前、スペイン人に発音できるのか??があり、居酒屋メニューが人気であるとのこと。ほかには中華も韓国レストランもあって、長い旅行の中休みに醤油休憩をとりに行くという手もあるかもしれない。知人は若い頃ヨーロッパに行って何日めだったかに「醤油・・醤油が飲みたい!」となったそうである。今のヨーロッパは駅でもスーパーでも寿司セットも醤油も売っているから醤油に飢えることもない。外国に行って醤油に飢えたといえばダサい感じもするが、本当のところはカタギの育ちである証拠だ。

スペイン旅行 13日目 マドリッド

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スペイン旅行 13日目 マドリード
 
 残すは1日のみとなった。2週間スペインに行くと言ったら、知人友人、皆すごいと言った。、中には夫と二人きりで2週間もすごせるのがすごいという人さえいた。お金はやりくりするとして、期間は確かに長くなりつつある。絶賛年金生活中ゆえ、航空運賃を考えると、行ったら行ったきりの鉄砲玉旅行の方がお得なのである。
 
 そしてこんな期間は大したことはない。そう言えるのは昔ギリシャで、3ヶ月をかけてヨーロッパを旅行中という60代くらいの夫婦に出会ったことがあるからである。「今、日本はどうなってますか?」と聞かれて、答えに窮した。今はヤフーニュース見ながら旅行出来る。
 
 さて本日は自分用を含めて、お土産を買わねばならぬ。お土産といえば、留守を守ってくれるお向かいの奥さんの分である。コショウひきがないと言っていたから、スペインっぽいコショウひきをお土産にしたらいいのでは?そんなのはデパートでけろっと手に入るはずだし。
 
それで昨日とは違うエル・コルテ・イングレスに入ってみて驚く。なんでこんなに同じデパートがあちこちにあるのかと思っていたら、店舗によって、扱う品目が違うのである。ホテル近くのとは違って、こちらは生活用品だの電気製品だのを置いてあるのだった。
 
 まあ生活用品売り場があるのは良かった。オリーブの木で作ったコショウひき発見!だがこれが中国製で。お向かいの奥方はテレビはNHK,新聞は朝日、雑誌といえば暮らしの手帖という人で中国製と聞いただけで「ああこれは・・・ダメですね。」という感じ。他のものにした方がいっか。
 
 この店舗にはコショウひきはあっても、コショウは売っていなかった。最上階のグルメ売り場とやらには生鮮食品は全くなくて、サンタクララ修道院製の高級クッキーとか、ハーブ塩とかそんなのばかり。代わりに、飲み比べ可能なワインバーのお店などがあった。つまりここはこういう店舗なのだ。こうなったら仕方ない、奥方へのお土産はヌガーだけにして、家に用意してある御礼の品を渡そう。空き巣に入られてなければ大丈夫なはずだ。
 
 気をとりなおしてホテル近くの店舗に行き、夫のシャツを買う。日本と違ってヨーロッパのシャツは色柄にバラエティがあって楽しい。恰幅の良い店員たちが「男のことがわかるのは、男!」とばかりに生き生きと仕事をしている。サイズ表記が日本と違うので、測ってもらってそれを元に探す。「なんちゃらかんちゃらどうのこうの」とスペイン語で話されて困惑するが、多分、「サイズがそこになくても、言ってくださればお探ししますよ」と言っているのだろうと解釈。他に何を言い出すわけもなし。
 
 シャツは2枚でいくら、みたいな中から、とにかく日本にはなさげでなおかつ浮きすぎない感じの柄を漁る。恒例の「どんで えすた?」を使い、「長袖のシャツはどこにありますか?」と聞いたりもするが、多分これは正しいようでもスペイン語にはなっていない。だが相手は一瞬の後、「アキ、アキ、アキ(ここと、ここと、ここ)!」と指さしてくれた。ぐらーしあす!
 
 この店舗の食品売り場のコショウはS&Bみたいな小さなビンに入っているもののみで、日本くらいのお値段。かわいい入れ物に入っているのもなければ、お得な大量入りもなかった。てことは、スペインにおけるコショウとは市場の香辛料売り場で買うものなのかもしれない。
 
 荷物をホテルに置いてまた出発。このホテルの立地は実に便利。
次はエンカルナシオン修道院に行くも、シェスタで閉じていた。それで殆どはすむかいの、10時から午後6時までノンストップで受け入れてくれる王宮に行く。公園をぬけようとしたら、
何人もの人が地下に降りていくのが見えた。暑くて大変だけど、こういうときのために地下通路があって、ダイレクトに行けるようになっているのね?と後を追って延々と階段を下りていったら、そこにあったのは駐車場だった。しかしトイレもあったので記念に使うことにして、また延々と階段を上ってわかりやすい道を歩く。
 
オリエンテ広場を横目に王宮に入ろうとして、そこでやっと気がついた。プラドだと思っていた入り口の風景は、王宮のものだった。正面玄関の前にはアルマス広場があり、その向こうには広々とした緑の濃い庭園があり、その向こうに下々が暮らすはずのマドリードの街が見えて、「なるほど王宮だ」と思ったはずなんだが。
 
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王宮には現在スペイン国王一家は住んでいなくて、公式行事などに使用されているらしい。2度目の王宮なのに、入り口広場の絶景しか記憶にないというのも、とんでもないですね、私。実際、王宮は王宮だった。ただし、王室礼拝堂だけがここで祈られたであろう内容を想い、その存在が心にしみた。
 
 道すがら隣のアルムデナ大聖堂を見る。着工から110年を経て1993年に20世紀に唯一、ローマ法王の献堂式が行なわれた、とガイドブックにはある。出来上がるまでなんでそんなに時間がかかったのか、法王の献堂式とはそんなにも滅多にないものなのか、わけがわからん。見てとれる新しさはステンドグラスの表現で、省略の効いた、いかにもモダンなものとなっている。
 
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 昨日とは違う、生ハム屋に入る。昨日のはマヨール広場から出てすぐの店だったが、今回はもう少し入ったところにあり、それだけで雰囲気は違った。レストランであろう2階にあがると女子の給仕に迷惑そ~に「コメール?(食事)」と聞かれる。スペイン語で「シ」と答えただけで女子、態度豹変。周囲の客は全員がスペイン人ぽい。体格的にどう見ても牛にしか見えない3世代の男がこちらを見ていやらしい笑い方をしながら何か話している。んま、牛のくせに生意気。なんでおとなしく牧場で草食べてないでこんなところで共食いしてんのよ!と心の中で思ったけど、生ハムの材料は豚でしたね。
 
 というわけで、ジョッキのビール、生ハムとメロン。生ハムは豪勢にのっかってきた。夫は豆の炒め物を注文。写真入と言っても全部の写真があるわけでなく、同じメニューにはグリーンピースのソテーがあり、そちらの写真はあったけどこちらは生ハム入りとあるからまあこれがよかろうと注文、久しぶりに食べた普通の炒め物は美味しかった。
 
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 ピッチャービールが効いている午後5時。イタリア旅行の途中から、南欧に行ったら昼には白ワイン1杯、ただしそれはこの後ホテルに帰って昼寝ということになってるからで、それでも2杯は飲まないよ?と決めていた。実際、この旅ほど「1杯ひっかけて」という言葉を使ったことはない。あれはまあ、結局、世間に負けたとしか言えない。皆飲んでるんだもん。
 
 ホテルに帰りたいと鳴く夫に、「今買わなくてどうする!」となだめ?すぐそこなのをいいことに昨日の茶色い店、その斜向かいにあるマサパンの店、そしてもひとつ現代的にカラフルにお土産らしくカワイイ缶と組み合わせてクッキーやチョコレートなど売っている店を巡る。
 
まずは茶色い店。入ろうとしたら中からお菓子を頬張ったお客が出てきた。んまあ、なんて大きなリス!茶色の店では大小さまざまなパックが用意されていたので、量り売りで、同じ値段であるという一帯から適当に選んでつめていった。ここのお菓子は基本的に素朴な味だが、素朴であろうとも美味しかったのは、ココナツマカロンと、カステラみたいなヤツだった。
 
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マサパンの店はもはや終末を迎えているなってくらい昭和の店構えだった。マサパンはスペインでは結納に使われますと言われたら納得できそうな。だがマサパンは美味い。トレドで食べたそれも、トルコで出会ったそれも、まあ結局は素材のアーモンド自体が美味しいからなのだが、とにかくマサパンやマジパンとあるからには最低限、美味い。なのでホールのケーキ(箱入りで、ラップされている)と自分たち用に小分けにされたのを買った。
 
カワイイ缶を用意してあるお菓子の店にも行った。母娘連れの中国人女子にニイハオと挨拶されたので、どこからきたのか聞いてみた。ホンコンかシャンハイ、それとも聞くと、ちんちょん、と言われてわからない。夫がそれは東西南北どこにある?と聞いたら西北である、と。それで重慶と判明。重慶くんだりからこんなとこまで来てお土産のお菓子を買ってるってことは、この人たち大層なお金持ち!
 
 ここのお菓子屋はバレンシアにもあった。とても華やかで楽しそうだったので量り売りのクッキーをフレーバーを選んで2つづつ入れてもらったがいいが、肝心のお味はといえばいまいちだった。お店の人はフレンドリーで、私がうんぽこ(少し)なりにスペイン語を話すのがとてもうれしそうだった。
重たい荷物を持って、ホテルに帰る。その日は面倒くさくなって、前日と同じ店に入ってしまった。この日の失敗はメイン料理、セビーチェとあったので聞いたことがあるというだけで注文、それが冷たい料理だったこと。冷たいのは前菜だけにしようよ!!
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スペイン旅行 14日目 帰国へ

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スペイン旅行 14日目  帰国へ

 

 朝食はやはりスタバで。夫はホットミルクとクロワッサン、私はコーヒーとケーキ。帰るったってスペインを発つのは17時。空港は市街からタクシーで30分もかからないので14時にここを出れば大丈夫。それまでどうするかだが、とりあえずは荷物詰め大会。南欧の夏の旅行は洋服系がラクで実に有難かった。いざとなったらユニクロに走るったって、走らなくて済むのが一番だし。カーディガンが邪魔だなあと思っていたが、結局38℃を記録するマドリードでは薄いカーディガンならば着ている方が涼しいというのを体感。それにしても何故、白人の皆様はクソ暑いというのに肌を出していて平気なのか。

 

 荷物を預けて昨日見そこねたエンカルナシオン修道院に行く。血の溶解とはなんのことかといえば、この修道院に祀られている聖バレンタインの血のことで、3世紀の人であるこの殉教者の血が年に一度、7月27日に液体化する奇跡のことをさす。その日には熱心なカトリックが世界中から集まるらしい。宗教は思想だけではなく奇跡がないと成立しないのか?

 

 教会の受付では、ツアーでまわることになるが、そのツアーは11時45分からであり、スペイン語の解説しかないがよろしいかと聞かれる。了解、解説者と3人きりだったらちょっと気まずいけど、そんなこともないでしょう。

時間まで周囲を見物する。王宮の庭に下りようとしたら石垣では小鳥が巣を作っていて、雛にエサを運んでいた。庭にはタイサンボクが植わっていて、大木なのに枝が低い場所にあり、タイサンボクの花をこんなに間近に見たのは初めてだ。

 
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奥まで進もうとすると、何やら王宮の方からドンガラガッタと聞こえてきて、見に行けばやはり衛兵の交代。それとは違って広場の反対側ではトラックが停まり、そこから白と栗毛の馬が出てきた。乗るのは騎馬警官で、鞍やらあぶみやらを調節し、やがてかっぽかっぽと音たてて歩いて行った。カッコイイ。

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それにしてもよその国で衛兵の交代を見るたびに宮内庁は何をしているのかと思ってしまう。なんで皇宮警察に検非違使の格好させて警備の交代をさせないのかと。立派な文化遺産があるのに使わないなんて、もったいなさすぎる。

 
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 時間になって修道院へ。即席ツアーメイトは10人くらいいた。その日も暑くて、私も扇子を使っていたが、彼女たちもスペイン扇子を使っていた。あちらの扇子は軸が木で出来ていて、結構ゴツい。帯に挟んだらぐえっとなりそう。だけど、いい音をたてて簡単に開く。

 

 解説は、ブルボンのイサベラがフランスからスペインに輿入れした絵から始まった。川を境にこちらがフランス、こちらがスペイン・・・それから後はわからない。フェリペ3世の命によって作られたこの修道院は、王家の女性たちが修道尼となって暮していたため、王家から絵画や彫刻などが贈られてお宝の宝庫となっている。なので解説してくれる女性のほかに、警護の人もついてくる。この修道院には遺骨の部屋があって、床から天井までぎっしりとお宝と一緒に遺骨の箱が積み上げられていて、中身が見える。頭蓋骨は小さいが子供のものというわけではなく、元々当時の人は小さかったはず。

 

 修道院を出て、また地下の駐車場のトイレに行く。修道院にはトイレはないし、はすむかいの王宮のそのまた向こうは大聖堂だしで、ほんと、昨日このトイレと出会っておいて良かった。まあとにかく暑い。マクドで水分補給。なんとここにはアイスコーヒーがあり、注文すると店の人が思いっきり氷を入れてくれた。道行く人を眺めながら氷ばかりのアイスコーヒーをすする。韓国人の女子が、足にバンドエイドを貼っている。わかる。私はバンドエイドは必要なかったが、毎晩足に休眠快足を貼って寝たもんだ。

 

 荷物をひきとりにホテルに帰る途中、生ハム屋の前を通る。ふと、いい匂いだと思ってしまった。日本では臭いと思っていたのに、2週間で慣れてしまったのである。

 

 タクシーで空港へ行く。空港の建物は1箇所だけではないので間違わないようにしないといけないが、そのうえで荷物預けて出発ゲートをチェックしに行ったらそれは専用の地下鉄に乗った先にあった。いやあ、買い物でだらだらしてなくて良かったねえとそのままラウンジで私たちはだらだらとくつろいでしまうのである。時間だというのでさてラウンジを出てみれば、免税品店では化粧品や酒はともかくとして、スペインならではの産品を割高なにりかわいくパックして山盛りだった。ヌガーの小さなパック、ワイン、チーズなどなど。しまった・・もう少し前にラウンジから出てくるべきだった。ドーハでは買えないじゃん!

 

 後ろ髪をひかれながらマドリードからドーハまで6時間。マドリードの時間では12時、だがこれから5時間の中継時間を過ごさなければならない。ラウンジでしばらく眠る。そろそろと言うので免税品店の方に行くと、面白くなるほど面白そうなものが何もなかった。ナッツは1Kg入りで、でもこれはカタール名物なのか??チョコレートもリンツやゴディバなどで、デーツ(ナツメヤシ)の実ばかりが目立つが、羊羹っぽいアレを私はそんなに好きではない。

カルダモン入りキャラメルという面白そうなものを売っているが、これまた1kg入りで、2つ買うと1つおまけについてくるらしい。日本にないのは確かだが、1kgでも多すぎるのに2kg買った挙句にもう1kgもらってどうするのか。結局ココナツキャラメルを購入。これも多すぎると思っていたが好評で、するするとなくなっていった。何が悪いのかと言えば、試食がないのが悪い。免税売店の職員も、やたらいるわりには働いているようにも見えなかった。

 

 ドーハから羽田まで12時間。いわゆる客室乗務員が、とても夫になつく。来るときの便でもいっしょだったらしいが、降りるときには余ってるチョコレートとかナッツとかをたくさんくれて、若いくせに田舎のおかんみたい。あれはなんだったのかと思うに、身内の可愛がってくれたおじさんにそっくりとか、そういうやつだろう。

以前にも隣の席の若い女子が随分話しかけてくるなあと思っていたら、別れ際に「あなたは私の父にそっくりです。」と言われたこともあるらしい。それなら「パパにそっくりな赤の他人のおじさま」と一緒に写真を撮ればよかったのにと思うが、あまりにそっくりなんで事情を探るのに必死で、そんなふざけた考えまでは浮かばなかったとみえる。まあ、赤の他人でよかったですね。人間、年をとると今更そんな面倒くさいことに出会いたくはないものなのですよ。

というか、そういうのって私だけ?

 

羽田には夜10すぎ、割と早めに到着。金塊騒ぎで荷物検査は厳しくなっていたものの、荷物を開けられることもなく、もしかすると最終を逃すかもと思われたリムジンバスに乗ることが出来た。

次はどこへ行くことになるのやら、ここまでおつきあいくださり、ありがとうございました。

小さい赤道儀製作 ウォームギアユニット購入

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小さくてシンプルな赤道儀が欲しくてを製作開始。目的はサーベイ観測用。
市販の赤道儀も検討したのだけれど、適当なものがない。天頂から±30度ほど動かせて、1分くらい追尾できれば良いと思うのだが、市販のものは、子午線越えのところがうまくない。

なので、自作することに。ウォームギアは簡単に入手できるし、それなりの工作機械もあるが、一から作るのはたいへんなので、出来合いのウォームギアユニットを購入して製作することにした。
写真は昨日届いたステッピングモーター付のウォームギアユニットを仮組してみたところ。スペックは、
 ・NEMA23タイプのステッピングモーター 200 STEP/回転
 ・ギア比 80:1
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ギア比が小さいので、マイクロステップで駆動したとしても、1PPSくらいししかできないはず。使用できるカメラレンズが制限されると思うが、それに合った観測をする。

購入先は、Aliexpress 2台購入して、送料込みで $134 でした。お店は中国なのに、なぜだかシンガポールのEMSで到着、発注から受け取りまで2週間足らずというところ。

小さい赤道儀製作 ステッピングモーターを回してみる

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 購入したウォームギアユニットにモータースリーブやメインのウォームシャフトなどを取り付けて、実際使用できるように組み上げた。仕上げがさほど丁寧でないため精度がいまいちでキーがミゾにうまく入らないなどあった。通常の組立ではハンマーでたたいたりすることも出来ようが、組立済みのギアユニットでは、慎重にやらないとギアを傷つけてしまうおそれがある。いかにも中国製の造りだが、安さには勝てなかった。ちなみに購入したのは、ここの店のもの

手持ちの、A4988モータードライバー+Arduino基板に接続してでモーターを回してみる。分度器を載せて回転させ、ステップレート、ギア比を確認する。間違いないようだ。
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このままでも使えそうだが、ドライバがちょっと非力であり、赤径モーターのように連続運転するには不安があるので、別途発注、到着待ち。

先日も書いたように、ギア比が80:1、200 STEPなので、2相ドライブ、平均恒星時では
  80×200 / 86146 = 0.19 Hz
となる。
これでは荒すぎるので、1/16マイクロステップに設定して、3Hz程度で駆動する予定。

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