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Channel: ぱなりラボラトリー通信
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Onstep ESP32版 Smart Hand Controller 1

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LX80 のOnstep への換装はRAギアアセンブリ用に発注したNEMA11のモーターが届かないため、中断している。この合間に ESP-32 版 Smart Hand Controller の実験製作をしたので、その報告。

Onstep は基本的にPCに接続したり、WiFiを経由してスマホなどで操作するようになっており、一般的には Hand Controller は使用しない想定となっている。私の使用環境では、PCをリモートで使うため、あまり必要としない。
それでも、Hand Controller が使えるようにソフトは用意されており、ST-4ポートにスイッチを接続する Basic Hand Controller、OLEDディスプレイのついた Smart Hand Controllerなどが接続できるようになっている。

Smart Hand Controllerのオリジナル版はTeensy 3.2のCPUボードを使うもので、Kit も販売されているほか、回路図、プリント基板データも公開されている。このほかにも安価な ESP-32ボードを使ったバージョンもあり、これを製作してみた。

ESP-32ボードを使ったバージョンは開発者がKit を販売している。しかし他のOnstep 関連ボードのように回路図、プリント基板データは公開されていない。幸いなことに Kit の製作マニュアルが公開されており、その中にESP-32のスケッチ(プログラム)リストが掲載されている。これを参照して使用している使用しているポートを割り出した。

ESP-32ボードを使ったバージョンは ESP-32 Development Board を使っている。
この ESP-32 Development Board には、38PIN、30PINの2種類あり、私の手持ちは右の30PIN版、オリジナルの ESP-32ボードを使ったバージョン は左の38PIN版を使っている。

  
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手持ちの基板を有効活用するために、手持ちの30PINボードに合うようにアサインをして基板を設計した。中国の春節前に大急ぎで発注したのだが、結局1ヵ月もかかってしまい、ようやっと届いた。
組上げてスケッチを書き込んで、USBポートから電源を供給して動作させてみた。スタート時の画面はこれ。
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その後こんなふうに表示される。Onstep 本体に接続されていると、赤径赤緯を表示するはずである。KEY とディスプレイのE/Wの表示が逆だが、オリジナルのLX200のKEY PADに合わせてある。ソフトのほうを修正する予定。
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スイッチは表示付きのタクトスイッチを購入した。OHP用紙に印刷して文字を入れてみたのだが、ピタリと収まらなくて回転してしまう。この形状に合わせたケースを作る必要がある。
Smart Hand Controller 基板への ESP-32 Development Board はOELDディスプレイボードとのやりくりから裏に取り付けるようにしてある。
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とりあえず、ここまでの動作は確認できた。コネクタを配線してLX80 Onstep 本体との接続テストをしなければならないが、まだ、本体の赤道儀としての動作を確認していないため、それが完了してからとなる。

Onstep ESP32版 Smart Hand Controller 2

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いまだにSTEPモーターは届かない。なので、Smart Hand Controller をいじっている。
そのまえに、訂正をひとつ。
前回のエントリで ディスプレイを Smart Hand Controller の画面と書いたが、KEY の割付が正しいか確認する画面でした。

このスケッチを動作させて、Arduino のシリアルモニタを起動して、 Smart Hand Controller のキーを押すと、どのキーを押したかを表示させることができる。これにより、希望する割付になっているかチェックできる。このユーティリティを使って、すべてのキー配置を確認した。
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Smart Hand Controller のスケッチ本体は、Onstep → addons → St4Serial → SmartHandController フォルダに一式がある。この中の SHC_Config.h に ESP32 用のPIN MAPの定義があるので、製作した基板に合わせて変更した。スケッチをコンパイルしてESP32ボードに書き込む。

Onstep 本体側はConfig ファイルを #define ST4_PULLUP 、 #define ST4_HAND_CONTROL_ON に設定し再コンパイル。
ケーブルを配線して LX80 Onstep と接続して起動すると、画面はこのように表示された。
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しばらくすると BLACK になり、なにも表示されなくなった。マニュアルによると、このあと Onstep 本体との通信が確立されて初期位置の赤径・赤緯が表示されるはずである。
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Onstep との信号線をLOGICチェッカーであたってみると、通信のやりとりなどそれらしい信号にはなっているようだが動作しない。どこか設定にミスがあるようだ。

沖縄北部の旅 1

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先日、沖縄北部の旅行。
いつもの、妻による旅の記録。

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 南のほうに行きたいと台湾の高雄に行くはずが満杯で、行先を沖縄に変更。
2019年3月6日、我々は花粉漂う羽田を出発、気流の悪いところで飛行機が揺れるたびに女子高生修学旅行組の黄色い悲鳴を聞きながらなんとか那覇空港にたどり着いていた。

今回は北部観光、12時50分名護ターミナル行きのバスに乗る。路線バスなので通るのは混雑する国際通り。このあたりなら渋滞も楽しい。首里城なんぞより、ずーーーーーーっと那覇の象徴!である公設市場の入り口にドンキホーテが出来ているのを発見したり。はす向かいにあった三越はとっくに撤退していて、現在那覇に残っているデパートはリウボウのみか。

 人を載せたり下ろしたりしながら58号線を北へ。海岸線にはリゾートホテルが立ち並ぶ。58号線の反対側には様々なカフェやレストランが競い合う。色々試してみたい
ところだがそれをやるなら盛大な日焼けをしたうえで、20kg太るつもりで1年くらい住まないといけない。←それでも心は揺らぐ

 那覇、浦添、宜野湾ときて北谷(ちゃたん)のアメリカンビレッジを通る。ここには一昨年泊まった。エイサー大会を見に行ったのだが、台風の中観覧車に乗ってみたりドクターフィッシュを体験したり、コミュニティバスに乗ってみたりという滞在だった。
 この中で何が一番面白かったかと言えばコミュニティバスで、民家のありようとか庭に植えられているものとかが何とも言えず楽しくて。これだから沖縄はサイテーで、帰ってくるなり、また行きたくなる。路地の全てをクリアしたくなるのである。
 
  それはともかく、道を挟んで反対側にはアメリカ軍の陸軍病院が見えた。一番上の階まで救急車のまんま上がっていくことができるのだと30年も前に聞いたことがある。便利なのか野蛮なのか、今でもわからない。

 嘉手納(かでな)、読谷村(よみたんそん)、を通って恩納村(おんなそん)に入る。
恩納村の道の駅はその名も「おんなの駅」だった。これは絶対おかしいと思うが、間違っていると言っていいのかどうかがわからない。この名前で「寄ってみようよ!」
となるのだろうか。誰が考えて、誰が許可を出したのか顔を見たい。
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 その恩納村でバスを下車、レンタカーの事務所に行く。空港から中部あたりまでの車の運転が大変そうなので、ここまで来れば運転は容易なはず。事務所はバス停から近く、借りるのも返すのも、多分ここが一番便利。それにしても、沖縄随一のリゾート地の恩納村は遠い、それは路線バスに乗ったからで、実は空港直通特急バスが同じバス停にとまってくれることが判明、さすが恩納村。

 軽なのだが、実家の母のとはすこし勝手が違う車を運転して立ち寄ったのは御菓子御殿だった。別に恩納村まで来なくてもお菓子御殿の店舗はいくらでもあるが、ここが本店だからである。ここの紅イモのタルトは有名になりすぎて、日本国中、沖縄物産展となれば必ず並ぶ。はず。
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 店内に入ると外国人含めてお客は多く、盛大な試食がふるまわれていた。一服
するかというわけで、よせばいいのに氷ぜんざいを注文してしまう。上に乗っかった
アイスクリームがいやに大きい。氷の下に隠れている煮豆がこってりと多く、異常に
うまい。ぬかった。やめるにやめられなかった。
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 恩納村を北上、金武町、宜野座を通り、名護市をかすめて今帰仁(なきじん)にある
ホテルを目指す。途中、沖縄フルーツらんどだのなごパイナップルパークだのがあり、
パイナップルパークではパイナップル食べ放題だとのこと。多分そのパイナップルは
現地で食べる醍醐味として果汁でびしょびしょになるほど熟しているはず・・・。
 
 ホテルに到着したのは5時すぎだった。ブエナビスタという名前でもうちょっといいのを想像していたが、ビジネスホテルっぽい。だが、大浴場があった。温泉でないことは確実だが、広ければなんでもいい。二人利用なのに、トリプルの部屋をもらえたので、こちらも広く使えた。

 一休みして村でも見てまわろうかとロビーに降りる。毛糸の帽子をかぶったアジアの
客が一人座っていた。これからどこをどうまわるのか知らないが、風が強い沖縄でニットはあまり意味がない。必要なのは風を防いでくれるものなのである。同様にしてつばの広い帽子にはゴムとか紐をつけておかないといけない。ダサいもへったくれもない。5分でぶっ飛んで行方不明になってしまうからである。

 外に出る。隣はなぜかダチョウ園だった。レストランが併設され、ダチョウそばとか
ステーキ、目玉焼きとか書いてある。日本で初めて飼育に成功したとあるが、動物園の存在を思えばそこは「飼育」ではなく、「繁殖」と書くべきなのでは??というか、動物園のダチョウは繁殖に成功してるのか?採れた卵はどうしているんだろう。

 ホテルの人によると、今帰仁(なきじん)は何もないのがいいのだそうである。だが村をまわってみれば電灯を沢山括り付けた畑があり、電照菊を初めて見ることができた。もっとも沖縄なんだから、3月でもダリアだのヒマワリだのツツジだのが咲いており、
庭木はクロトンやコルジリネである。何もないんじゃなくて、何を見出せるかが試されているのだ。多分。ほかにどう言えってか。
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 フクギの防風林に囲まれた昔風の農家・民家を横目にに見つつ歩く。途中、居酒屋発見。毎晩ホテルで食べるのはイヤだと思っていたので救われた気持ちになったが、閉まっていた。

 ホテルに帰り、広々と入浴、夕食は7時、ホテルのレストランというか居酒屋っぽい
ところで。生け簀の魚を使ったお刺身が安いので注文、お店の女の子が網もってすくいに行くが、逃げられてばかりでいっかな捕まえられないのが見物できる。よくみると
生け簀の魚は来たときには5匹いたが、今は3匹ほどだ。ちゃんと注文はあるらしい。皿に展開されたそれは食べると関サバに似ていて硬く、お得だった。
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沖縄北部の旅 2

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2019年3月 沖縄2日目

 7時半起床、朝食。朝食の場になぜか温かいお茶が置いてない。これならうちから持って来るんだった。沖縄もここまでくると安いホテルでは緑茶は出ないのである。
北部は水が美味しいことで知られるが、同じ北部でも昔、恩納村のお菓子御殿で出てきた水は、サンゴ礁を思わせる硬水だったことも思い出す。どうせ硬水なら、紅茶を
淹れれば美味しいのかもしれない。

 朝食にはなぜかモーニングカレーがあるが、ほかは寂しめの普通の朝食、卵料理は卵焼きのみ。他のお客さんが「サワディーカップ」「ノー、タイワン」とやっていた。
ロビーにはスーツケースが一杯で、この外国人勢のものとみられる。多分海洋博公園を観光したんだろうと思える。

 出る前にホテルの人に、本日の夕食についてご相談してみた。民謡酒場があって、
そこなら無料で送り迎えしてくれるという。そして昨日見た居酒屋は時間的に閉まっていたのであり、別に店じまいしてるわけではないとのこと。

 本日は古宇利島を目指す。古宇利島は今帰仁から見ると屋我地島の向こうにあるので、まずはワルミ海峡をワルミ大橋を渡って屋我地島に渡り、その後その向こうがわの古宇利島大橋を渡ることになる。ワルミ海峡を地図で見ると、誰かがびりっと破いたよう。
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 ワルミ海峡は海の色ともあいまってなんとも美しかった。
そして、よしゃーいいのに私ときたら砂浜まで降りてみるのである。砂浜には主に中国語やハングルが記されたペットボトルなどが打ち上げられていた。鹿児島JAの肥料袋も。これはこれで旅情か?静岡県の海岸ではあまり出会わないし。だがその向こうには、ネコ車と椅子が。島の人まで棄てちゃダメじゃないですか!
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 相変わらず外国人も多い。緑がかった金髪、ミニスカにストッキングにブーツで思いっきり浮いている女子もいる。旅支度は難しい。沖縄では、もっとだらけた恰好が相応しい。若ければビーチサンダルで・・もっとも、ついうっかりそのまま飛行機に乗って帰ってしまい、周囲の視線を浴びながら地元にたどり着くとそこは雪が舞っていた、という話を聞いたこともある。気を付けましょう。

 車に戻る。カフェやレストランが頻繁にある。沖縄そばの店はあちこちにあり、その名も「橋のそば」とか「ヒルギソバ」とか。中には車エビを提供しますというレストランがあり、これは養殖場が経営しているようだった。ホテルの近くであれば、夕食は多分ここで食べた。(というか、お酒を飲みたいのでタクシー手配していけばよかった!!)
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 パイナップル畑の中、屋我地島を通り抜けて古宇利大橋を渡る。ワルミ大橋とは全然眺めが違う。風が強い。歩いている人もいる。渡り切った浜辺では記念撮影をしているグループがおり、若さかげんと人数を見れば、修学旅行らしい。島をわたるなり、「海が見える物件、お任せください!」という不動産広告を見た。

 オーシャンタワーは800円、まずは無人カートに乗って様々な植物を植えられた坂をぐるぐると周りながら高台に上がっていく。なぜか最初に貝の博物館があり、貝殻の標本が沢山展示してある。貝殻なんぞそのへんから拾ってくればなんとかなると思ったら大間違い、拾ったものは中身が死んでいるので貝にツヤがない。ちゃんと生きているのを地中に埋めて中身を腐らせて改めて取り出すと、標本として価値のある貝殻になる、と夫が。マジですか!
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 その昔の少女漫画御用達のホネガイ、その昔大英博物館から300万円で買われたという リウグウオキナエビス貝 (浜で拾ってみたい!)など、その気になってみれば実に見ごたえのある展示だった。当然ミュージアムショップが併設され、つい買ってしまう。
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 タワーに上ると今わたってきた古宇利大橋を望む絶景が望める。途中、焼き菓子の香りがぷんぷんと漂ってきて、同じ沖縄でもそのまた先の先の島だというのに、きちんと作られたシュークリームなんぞが並んでいる。それをなんとか振り切ってタワーを
降りればお土産屋があり、入るなりすかさず、店で作っている特産品のカボチャを使ったおまんじゅうの試食を渡され、それだけでなくこの店もまた試食が潤沢にふるまわれているのだった。もちろん誘いは断れず、あまりにも上手に作られたドライパイナップル入りのホワイトチョコレートを購入。

 観光客のおっさん達が「こんなに食べたら食事が入らなくなる」と言いながら試食
している。試食の意味とは一体?試食の挙句不要と判定されたなら作った方の負け
だが、買わずに試食で済ませればその人の勝ちというというわけでもない。何が言いたいのかといえば、やめときゃいいのにタダと思えばやめられないおっさんの情けなさがいっそほほえましい、ということでひとつ。はい。
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 そのまま古宇利島を一周する。とにかく、カフェが多い。この程度の大きさの島なら
いっそ全店制覇してみたくなるほど。しかし人はそんなに飲み食いばかりしていられるわけでもない。あんなにカフェばかりあって、ちゃんと利益が上がっているのか、おばさんは心配です。

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 さあ次はお決まりの海洋博公園だ!お昼どきでもあり、ホテルの前を通るので隣のダチョウソバに寄ってみた。お店の場末感といったらすごかったし、もーちょっと掃除したらと思ったが、まあ話のタネだ。店内にはダチョウの卵のカラが置いてある。だがそれ以外にはダチョウっぽいところはなくただの食堂だ。肝心のダチョウはといえば、赤身の牛肉から牛肉の匂いを取り去った感じだった。夫はカンガルーの肉に似ていると言ったが、それで容易に納得できるわけもない。残念。
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 それはいいとして、夫が何気なく手に取った新聞によれば、沖縄にもスギ花粉が飛んでいることが判明。記事によれば半世紀も前に秋田杉を北部に植えたのだとのこと。花粉の存在を気にせず遊べると思っていたのに、道理でなんか鼻がくしゅくしゅすると思った。それにしても余計なことをしてくれたもんだ。

 本部(もとぶ)町海洋博公園に向かう。美ら海水族館はあまりにも有名だ。一見那覇からは遠すぎるが、海だきれいだと騒いでいるうちに例のパイナップル食べ放題などの観光施設が並んでいるエリアに到着、むしろ水族館がどーでも良くなるほどなので、安心していい。そして、その先の海上には伊江島という隠し玉も存在する。フェリーで行かねばならないがそれがまた特別感のある花の島で、我々が次にまた来るとしたら、ここに渡ることになる。

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 「子ヤギ売ります」とか「アヒル肉売ります」の看板を眺めながら海洋博公園到着。
とにかく広い。駐車場が沢山ある。大型バスでやってきた外国人でにぎわっている。
広さを利用したマスゲームのような花壇は手入れが行き届いている。むしろ沖縄の場合冬の方が様々な花が楽しめる時期なのだと思える。コスモスとか2月に咲いてるし。
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 で、美ら海水族館の名前を出しておきながら、そちらには行かずに植物園である熱帯ドリームセンターを目指す。だが途中に沖縄民家園があり、夫これに捕まる。
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最初に見た民家ではお茶まで入れてくれて、裏にまわるとヤギが3頭、いやに歓迎してくれると思えば、こちらがわにエサらしい草が置いてあるからで、やってみたら食べる食べる、ひっきりなしに食べた。さっきの「子ヤギ売ります」の看板の子ヤギは結局いくらなんだろう。

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 近く(と言ってもけっこ~歩くが)には万葉植物園みたいなもので、沖縄の歌集「おもろそうし」に出てくる植物を集めたエリアがある。地味中の地味だけど、こういうのを「意味がある」というんだね。
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 熱帯ドリームセンターはいわゆる熱帯植物園で、花屋的なランを大量に、マニアな
ランはそれなりに、後は熱帯の果実やスイレンなど展示している。問題は熱帯ドリームセンターという名前で、これで植物園だとどうしてわかるというのか。展示も場所柄
難しい。熱帯果実なぞは、見るだけではなく、食べられるフルーツパークの方がいい
わけで、そしたらもっとお勉強の方に力を入れるべきではと思われた。
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 もっとも、詳しい人が見れば地の利以外の展示も見つけられるはずで、例えば途中、ストレリチア・ニコライに出会った。ポルトガルの植物園では同じものが2階ほどの
高さで咲いていたが、ここでは私ほどの高さで咲いている。剪定とかしたの??
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 よそ者にとってはそれでも普通に楽しい。ヘンな魚も展示してるし、熱帯スイレンの
池では明らかに鯉ではない魚が泳いでいるし。この魚ときたらなんとアロワナであって、立て札には、「これはアロワナです」というのではなく、「アロワナにかじられるから
池に手を入れないで」と書いてあった。
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周りが見渡せる高いところにも上ってみた。
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 ホテルに帰って広いお風呂を独り占め。その後は6時45分、民謡酒場からお迎えに来ることになっていた。7時から民謡ショーで、お迎えは他の一組と一緒だという。
他の一組とやらは若いカップルで、貸別荘に泊まっているという。お迎えの人は、何時でも別々でも送りますよ~、と言っている。別々ってあなた・・・。

 そして始まった民謡ショー、出てきたのはお迎えの人だった。こちらに指定された席はステージのド真ん前で、盛り上げてもらおうと期待された感じ?だがこちらはお腹がすいていた。始まったからと言っても気にせず食べていたら、「ちょっと、拍手もなし?」と声が飛ぶ。すんません、無粋な客で。

 だが顔をあげてみると小さなステージの後ろには祝成人と刺繍された金色の着物が飾られていて、本人の名前の横にはなぜか「次男」の文字が。ああ、歌っている彼はこういう青春を送ったわけなんですね。それはともかく、民謡ショーに普通に他県の
老若男女を呼べるのは沖縄くらいだろう。安室は含まれなくてもビギンとか夏川りみとか「うみよー、そらよー」のアレくらいなら皆聞いたことがあるはずなので。そもそも民謡とは何なのかという問題はともかく。
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 途中、歌手とお客が絡む。迎えの車で一緒に来たカップルは九州から来ていて、つきあって10年目ほどだと知る。男子も若いが、女子の方は小柄なこともあり、白人の中に入ったら小学生と間違われそう。いくつの時からつきあっているのか女子は気が強いらしく男子の方が「あれはあんまりではないのか」といった話をしている。女子は無言。その横で飲む酒の美味いこと不味いこと。

 帰りはまた別のグループと一緒の車に、だからと言って何の不満もない。彼らは仲良しのグループで、「今年の旅行先」として沖縄を選んだのだという。泊まっているのは民謡酒場のオーナーが営む 「長浜ビーチリゾート 海音KANON。空港までリムジンでお迎えに来てもらえたが、運転手が女子だったので驚いたと話した。

 リムジンというと、特急電車のごとく向かい合わせで座れて、肩を出したドレスかマイクロミニの女子がシャンパンでおもてなししてもらえるイメージがあるが、どこまでやってもらえたかは聞かなかった。いや、やってもらえないならばいっそ乗る方が準備していけばいいだけの話。やがてたどり着いたリゾートホテルの周囲には畑があり、バナナも植えられていて、リムジンはどうでもいいけどこれなら泊まってみたい!!

 彼らを下ろしてからホテルへの車内ではオーナーの思い出話。夫を失いどうしようかと思ったが子供が一緒に頑張ろうと言ったのでここまで来られた、リムジンも1台では足りないのでもう1台買おうかと話している、と。こちらとしては資金とか担保とか色々頭をよぎるが、結局は海洋博公園や周囲のコンテンツに後ろ盾されてここまで来れたと言える。

 この日は長かった。

沖縄北部の旅 3

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 朝。朝食の間兼居酒屋の生け簀で泳いでいるのは1匹だけになっていた。
朝食メニューは昨日と変わってない。周囲のお客は楽しそうだ。この人たちが沖縄にきた目的の中には、「ホテルに贅沢する」というのは含まれていないのだろう。(むしろ、贅沢を求めてきた人々の方が荒むような気がする・・・)

 それじゃこちらはどうかと言えば、贅沢しようとは思っていなかったがここまで質素とは、という気持ちと、広いお風呂があってベッドひとつ余計にある部屋に3連泊ならまいっかという気持ちと。

 本日はもっと北部に行く。今帰仁は北部の範疇に入るが、本島の深奥部というわけ
ではない。那覇が南にありすぎなんである。那覇に通える範囲が南部で、名護に通えるあたりが中部、だと思うがそれを決める権限は私にはない。残念。

 ホテルの駐車場には、ポルシェがあった。むろんレンタカーである。なるほどホテルではなくレンタカーの贅沢の方を選択したか。沖縄なのだからとスポーツタイプの車を運転してみる、というのもありなんだろうし、平常心を失わないという選択もあり。ただ、きょうびの旅は皆スーツケース携帯、あまりにケチってメンバー全員の座る場所と荷物置き場が確保できなくならないよう、注意。

 出発。ナビに目的地を入れてみると、ぐるっと回るより海峡を渡り、目の前の屋我地島をつっきり、また橋を渡って本島に入って北上するのが早いと出た。ロシアに行くために北海道を縦断するような気分。かなり違うか。ここから先は沖縄本島でもとっておきの秘境、なんたってヤンバルクイナがうろうろしてるんだから!

 海岸線を走る。海面が近くて波が荒くないので、海の色さえなければ能登半島を走ってるみたいである。たまに集落が現れるようすも。のんびり走って途中また内海の小島を抜けて道の駅大宜味(おおぎみ)に出た。小さな道の駅だが、大小のサーターアンダギーが売られていたので買った。ここのサーターアンダギーはことのほか大きかったがまん丸の形状でもあり、大きいのは揚げるのが難しい。
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 そのサーターアンダギーの中で一番大きくてそうそう口に入らないのは結納の時に
やりとりされるもので、私も人生一度きりしか本物は見ていない。その気になれば公設市場の結納料理屋の見本で見られると思うけど、まだあるのだろうか。

 大宜味では巨大な大根を大量に積み上げていた。切った断面を見る限り大根の出来は良さそうだが、これが1日にどれくらい売れるのかと心配になる。そして車を出すとすぐさまバナナやらパイナップルやらタンカンやら山積みにしたお店発見、なんでお店が別々なのか。道の駅の中にこれがあれば盛り上がるのに!!
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 また地味に北上、ゆいゆい国頭(くにがみ)なる道の駅に入る。ここは大きくて、観光バスも訪れる感じ・・でもこの先の見どころは北部の自然だけ、ほかにどんな需要があるのだろう。たんに広いだけ?しかしレストランでは猪豚を使った丼やそばなど出している。食べてみたくても、まだ11時にもなってない。そうか、どうせ質素なら、ホテルの朝食なんて食べなきゃよかったんだね。
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 仕方なく黒米の入ったのとゆで卵が入ったかまぼこを購入。次いで野菜を売っている棟に行ってみたがこれといって珍しいものはない。露店が並ぶエリアではウィークデイというわけで店もろくに開いてない。中央の大きな棟に行ってみたら、まあ普通のお土産屋さんだった。ただ、黒砂糖の混じり物がないやつが売られていたので購入。糖蜜とか入れてない、原料のところに「さとうきび」しか書かれてないやつ。

 また北上。夫の「こっち行ってみようよ」という軽やかな声と共に車は県道2号線という、北部を横断する道に入る。元々人家もろくにない道で、最初の頃こそ後続の車が来たが、すぐに何も来ない道となった。ジュラシックパークに出てくるようなでっかいシダがゼンマイを伸ばしている。夫、「やんばる学びの森」とかの看板を見つけ、また脇道にそれる。そこで行き止まりだったらまた何もない道を戻らなければならないのでは?だが夫はと言えば北部の自然を満喫、スピード違反の取り締まりが待ちくたびれそうなスピードで走る。

 途中、「座り込み中注意」の看板があり、びびる。沖縄に関する認識は人さまざまだが今となってはおおむね「海のきれいなリゾート地」である。だが他にも基地しかないとか、色々反対している人々が外国人を雇って(理由と資金はどこから?)何かというとデモをしたり座り込みしてたり、というのもあって。でもこんなところで何を目的に座り込みをしてるのか警備をしている人に聞くのもはばかられる。とっとと素通りするのみ。
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 やがてやんばる学びの森とやらに到着。自然なんとかセンターみたいなのの、職員
たちに混じってレストランでお昼を食べる。雨だし肌寒いしウィークデイだからか職員以外は私たちだけだった。

 夫は、自分は沖縄そばにするから、私には学びのランチを食べろと注文。こんな山の中で1000円もする、野草のてんぷら満載のランチ。沖縄のおばさんが作るてんぷら自体に不満はなく、沖縄の野草自体にも不満はない。沖縄の野草が春先だけのものと考えれば非常に貴重な季節ものであり、亜熱帯の野草となればそうそう味わえないはずなんだけど。ええ、そうなんだけど。当の植物名が記入されていなければ学びでもなんでもないのでは?
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 また山の中を走る。センター?の立て看板の地図によれば、安波ダムを通り抜けて
東村(ひがしそん)に出られるはずだ。東村のつつじ祭りはかねてよりチェックしてあった。これで北部の田舎道をめぐるだけで一日を終わらせなくて済む。北部にはたくさんのダムがあって、これで沖縄の水と電力を供給している。
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 安波(あは)ダム。植物がそう植栽されていた。カタカナだったけど。車で通り抜けると、自生のツツジが咲いていた。花が大きい。沖縄の山間部では3月にツツジが咲くわけか。私は全山薄いエンジ色に染まっている東村(ひがしそん)の光景を想像していた。
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 東村つつじ祭り会場。しかし植えられていたのは自生ではなく、園芸種だった。地元の人にとって珍しいのは園芸種、だがよそ者にとって珍しいのは自生種なんである。いくつも屋台が出ていて、ヤギ汁の他にあひる汁というのもあった。汁ものは肌寒いからちょうどいいのかもしれない??
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面白かったのは山頂の自販機だった。サンピン茶(ジャスミン茶)だのパイナップルジュースだのご当地ものの飲み物が並んでいる中にたったひとつ青森県産りんごジュースが混ざっていたのである。屋台といい、山には園芸種を植えるくせに、口に入れるのはご当地ものかい!その保守性の方向は間違えているぞと言いたい。

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 それにしても、つつじ園の受付のお姉さんは一瞬虚を突かれるくらいきれいだった。「バイトしてるの?高校生?」とか聞いてみたくなるくらい。沖縄には濃い美人がゴロゴロしていて、それが普通の顔、その中でちょっと薄めの顔が本土で芸能界デビューしている感がある。濃い美人たちはそのまま親や祖父母と住んで、美人という自覚もないままチャンプルーをじゃかじゃか作ったりしている。ちょっと良い。

 そうそう、今帰仁に立っていた看板には「今帰仁は美人多し わき見注意」と記されていた。それはそうかもしれないが、ここまでくると美人は道にはいない。皆車の中である。これではむしろ美人を期待してわき見をしてしまいそうで、笑える。

 山の中を走ると、又吉コーヒー園というのがあったので、ここで一服することに。
ここは変なところで、沖縄でコーヒー栽培してるのはいいが1杯千円以上だし、肝心のそれは品切れているし。だが店内は木のテーブルも椅子もいい感じ。エチオピア
コーヒーを飲んでいると、外ではチャボが3羽連れだって歩いていた。

 店から出て外を見せてもらおうとすると「おいでおいで」という声がして、急ぐチャボ
の後をネコがついていく。「あんたたちじゃないのよー」と声の主が言う。チャボにパンをやろうとしているのだったが、ネコはネコとてありがたくパンを食べる。
 「この猫は母猫でもないのに、こちらの猫におっぱいまであげて育てたんです。」
そう聞いて思わず「出るんですか!?」と聞いたら「ええ、ちょっとデブなんですけど。」って、いやそんなことを聞いてるわけでは・・!

  店の奥には無加温の温室があった。その温室の入り口には無数のジェイド・バイン(まんまだが、ヒスイカズラともいう)が垂れ下がっていて、しばし呆然。こんなに沢山、なんでここに?そう聞いたら店の人は「植えたら咲いた」で済ませそうだが、こんな見事なの見たことない。それもコーヒー屋の裏のコーヒーの苗を置いてるハウスで!
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 外を見るとそこには柵があり、その中に馬がいた。乗馬教室をやっているらしい。
柵はいくつもあって他の種類の馬もいる。奥から子供の声がして、そちらではトランポリンで子供たちが遊んでいる最中だった。黒い犬が2匹、吠えかかる。ネコも何匹もいるが、吠えようが騒ごうがいっかな気にしていない。騒がしいのか静かなのか。山の中だからこそ可能な光景だった。
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 県道14号線で名護北部を横切り、ホテルに帰り、18時また大きなお風呂独り占め。本日の夕食は初日に見た居酒屋だ。7時にもなればさすがに開いていた。ビールは発泡酒しかない。だが薄ら寒いのにジョッキは霜だらけの状態で来て、つまみは相変わらず少なからぬ量だ。ニガナの和え物が美味しかった。
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 沖縄なので泡盛を飲むかと地元今帰仁の「古里」を注文した。水割りはジョッキで280円とか、ロックは500円だそうである。それでロック1つと水をお願いしたら、ロックがジョッキに入ってきた。いかな沖縄といえど今までこんなことはなかった。しかし、ジョッキでのつもりがグラスで来たらむかっとするだろうが、逆であった場合に文句が言えるわけがない。酒飲みのさもしさで、ちびちびとおとなしく飲んだ。水もあってよかった。ううっ。
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 勘定は4430円だったか、もう高いのか安いのかわからない。

沖縄北部の旅 4

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 もう最終日だ。真ん中のベッドにおきっぱのスーツケースに荷物を詰める。本日は車で「許田」の道の駅に行き、その後「お菓子御殿で」お買い物、車を返したのちにバスで空港に。荷物を置いてから那覇でお買い物、しかるべき時間を過ごして飛行機に乗る予定である。

 チェックアウトのために階下に降りていくと、生け簀の魚は5匹に増えていた。4匹足されたのはわかるが、残っていた1匹はどいつなのか。古参の1匹をすくいとってから新たに入れたのか、それとも無造作に新参者の3匹を入れたのか気になる。

 車を出して、最初に行くのは割と評判がいい、「許田」の道の駅である。その日も中途半端な雨が降っていたが、既にお客さんが沢山入っていて、食べ物に群がっていた。巨大なハンバーガーにサンドイッチにお弁当に、どれもこれも美味しそうだ。外国人も弁当抱えてうれしそうにソフトクリームをなめている。
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 てんぷら屋があるので入ってみると、お決まりのもずくの天ぷらや、珍しいところ
では紅ショウガのかきあげがあり、珍しく「小さな」お稲荷さんはクレソン入りときた。
 春先である現在、川でどれだけクレソンが繁茂しているかは想像がつく。本土のもずくは細く上品だが、沖縄のもずくはぶっといので天ぷらの具にもなる。紅ショウガはといえば・・ショウガ自体は南のものなので、沖縄でも作っているのかもしれないが、そんなことはともかくこのクレソンのお稲荷さんと紅ショウガ入りのかきあげがいくつでも食べられそうなくらい美味しかった。黒砂糖も追加してお土産に購入。
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 「お菓子御殿」で懸案のお菓子を買う。沖縄伝統菓子であるところの「くんぺん」である。お菓子御殿はいかにも沖縄風な間抜けな値づけをしていて、小さい小さいくんぺんがひとつ90円、その3倍くらいのくんぺんが100円。大きい方を買うに決まっている。中にはピーナツあんが入っていて、ほっくりうまい。

 伝統ではなく駄菓子扱いされているのにタンナファクルーというのがあって、
くんぺん同様に一見ただの愛想のないまんじゅうだ。かりんとうに近い味がするこれもまたうまい。東京なら、銀座のわしたに売っていたが、くんぺんの方は記憶がない。
王朝の流れをくむ高級なお菓子(高いという意味ではない)である。

 レンタカーを返し、スーツケースと一緒にバス停でバスを・・と、空港直結の特急バスの時刻表もあるのを発見、来るときにこれを知っていれば延々とバスに乗らなくて済んだのに!!まあ、ゆるゆる行くのも楽しかったけどね。

 バスを待つのは我々だけではなく、若い一人旅の男子もいて、離陸まで時間があるから波の上宮を見に行くつもりであると語る。どうせなら公設市場に行きなさいよと薦める。名所旧跡ならば首里城をゆいれーるから見る方がロマンだけど、沖縄は庶民くさいところの方が面白く、公設市場は庶民くささだけでなく観光客もきちんと飲み込んでくれる。

 なるべくなら市場の路地のそのまた路地で迷ってみるのが面白いんだけど・・結納料理のサンプルとかなんじゃこりゃのお弁当とかは市場の一つ裏の道にあるんだし。そんなよ様の日常なんかどーでもいい人々なら公設市場の2階で何か食べて、後は
波上宮(なみのうえぐう)に行って海でも見ておけばよろしい。そういう人々には首里城
や今帰仁城址もただの時間つぶしだろうし。←えらそー

 空港バスの窓から道の駅「おんなの駅」が見えた。許田同様、何か面白いものがあるに違いない、とけど途中下車もできないし今回は外から見るだけだ。バスは高速道路をすいすいと走っていき、空港までの所要時間は行きの半分以下で済んだ。

 空港。スーツケースをロッカーに入れて行く先はゆいレール赤嶺駅前のブックオフ。結構大きい。琉球漆器が沢山売られていて、新品が沢山あるのでお好きな方は見に行くとよろしい。夫のお目当てははご当地CDだったが、なにもなかった。てことは漆器は売ってもCDは売らないわけなのかしら。この本に紹介されているようなCDを買いに来たのに。
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 私的にご当地といえば、多喜ひろみの「ハッピーアイランドの本」である。沖縄の人々のラジオ沖縄の番組への投書を集めた本で、真面目にしてなお、朝日新聞とか暮らしの手帖とか、そういうのと双極をなしている。最近は新刊が出なくて寂しい限りで、今なお本屋に行けば新刊を探さずにはいられない。ブックオフには2冊あったが、どちらもうちにあった。お腹が痛くなるほど笑ったり泣けたりびびったり (沖縄の怪談はなかなかのものだ!)、様々なエピソードは今なおネタとして重宝している。

 赤嶺駅前にはユニオンなるスーパーがあったが、それは認識するだけにして隣の小禄駅のイオンの中の「ジミー」に赴く。「ジミー」とは何者かと言えばお菓子屋さんで「お菓子御殿」なんぞよりはるかに昔からあり、新垣菓子店よりはるかに最近に出来、店舗によってはスーパーやレストランも併設していて、結局何が言いたいかと言えばその味が沖縄の日常に深く貢献しているということである。

 30年前に安謝(あじゃ)のお店を見たときにはそりゃあもう感動、デリカテッセンの
商品もケーキも家族主義の沖縄にふさわしくたっぷりと大きく、こんなに豊かな眺めがあるのかと思ったくらい。以来沖縄に行けば必ず寄らなければ気がすまない。
「ジミー」のお菓子の日持ちに合わせて日程を調整し、ここに来さえすれば、なにはともあれ心置きなく飛行機に乗れるってくらいで。

 しかしその他にはと周囲を見回すがしょせんはイオン、「ジミー」以外はこれと言って面白くない。はす向かいの店ではくんぺんを扱っていたけど、もう買っちゃったし。あああ、本店で思うぞんぶん買ったり食べたりしたかった。時間がなかったんでこの店舗に行くしかなかったんである。

 一駅分歩いてもどって地元スーパーのユニオンに入る。まずは青果売り場でピーチパイナップルをカゴに入れる。これは文字通り桃の香りがするパイナップルで、まだ本土では珍しい。空港のより300円安かった。ちょっと小さかったが荷物にならないし、多すぎないし、珍しすぎるわけでもなし、医者に禁じられている人もそうそういないはずだからお土産としては悪くないはず。
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 ターンム(田芋)のパイというのも買う。思えば最近の芋系のお菓子は間違いなさ
すぎる。実のところジミーにもあって、あちらの方が美味しそうだった。悔しい。あと、お弁当も買う。本当はユニオンなぞよりは街中の個人商店みたいなのとか道の駅とかの方が沖縄らしく野蛮で結果的に美味しいものがあるに違いはずだが、今となっちゃー仕方ないではないか。

 そんなこんなで、ろくでもないかもしれないものばかり買って帰ってきた我々だった。
大きな声では言えないが、沖縄を知って以来、出来れば1ヶ月とか半年とか沖縄で、
あっちにうろうろこっちをうろうろ、はっきり言えば遊んで暮らしてみたいという
罰当たりな欲望が止まらない。こんなおばさんに誰がした。

MEADE LX80 を Onstep に換装 モーターが届いて 

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Aliexpress に発注したモータがなかなか届かないので、長く製作を中断していた。あまりに遅いので、別のお店にもう1個頼んだら、先日、同時に届いたので製作再開。右側の小さなものが今回届いたもの。左側の大きめのものが使えれば、パワーの点で安心できるのだが。
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ギア穴径を加工してこんなふうに仮組してみる。モーターはぴったりと納まることを確認。
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横から見るとこんなふうで、ギア全体の減速比は 10:1となる。悪くないように見えるが、実際には、ギアの位置が悪く、中間ギアとウォーム軸の歯車がうまくかみ合わず空回りしてしまう。
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歯車は、0.5のモジュールなので加工精度も要求される。どうも採寸が間違っていたようで、ウォーム軸と取り付けネジの間隔が0.5mmずれていた。留めネジの穴をすこし大きくとったので、ギアがかみ合わない位置に固定されてしまう。

再度採寸して、CADに落として、OHPの用紙にプリントする。
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このように、現物に合わせてもう一度、納まりや取り付けネジの位置を確認した。
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取り付けプレートをいくつか試作したので、アルミ板が無くなってしまったので、ギアやその他のパーツを含めて MONOTARO に追加発注、到着まち。

MEADE LX80 を Onstep に換装 ギアアセンブリを仕上げる

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いろいろと発注していた素材が届いて工作、ギアアセンブリがほぼ完成した。RA側はこんな感じで、なんとかケースに納めることができそう。ギアを2段に連結して減速比を稼いで 10:1 となるようにした。入手できる標準ギアで組み込むには、これが最大だろう。
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一方、DEC側を同じような構造で作ると、中間ギアの軸がケースに干渉して、適切な位置に納めるように作ることができない。LX80側はアルミダイキャストであり、1~2mm程度削ればなんとかなると思うのだが、手持ちの工具では難しそう。
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しかたがないので以前に加工した素材・モーターを使って、このように納まるようにしてみた。こちらは1:5.18の遊星ギアモーター。これでも、LX80 オリジナルのカバー内には納まらない。
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このプロジェクトも取り掛かり始めてから、4ヵ月目になる。こればかりやっているのではないのだが、このまま完璧をめざして完成しないままに引きずると、いつまでも出来上がらないことになる。一旦 Onstep赤道儀として動く形まで仕上げて、トータルとして動作を確認するのが良いだろう。

近場への旅を作る 河口湖へ

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LX80 Onstep化はいろいろとあってあまり進展なし。
私がドタバタしている間、妻の日帰りひとり旅の記録。
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 昨年から、意識して旅に出ることにした。
いやあんたはダンナと一緒に毎年旅に出ているではないかと言われそうだがそうではなく、自分ひとりで行って来る旅である。

 まずはメジャーな花の名所を訪ねてみるかと思い、国営ひたち海浜公園に行ってみた。春はネモフィラ、秋はコキアで有名である。さすが国営公園というか、とにかく広かった。失礼ながらネモフィラはところどころハゲてもいたし、全部がネモフィラとか全部が芝桜とか、花で絵を描くマスゲームみたいなのとか私は好きではないことを思い出して帰ってきた。なんじゃそりゃ。

 その国営ひたち海浜公園では、「ええ、ツアーですよもちろん。自分じゃここまでたどり着けないもの!」という言葉も聞いた。どこから来たのかとも思ったが、「うちですか?うちはxxです。」ってそれうちから30分の場所。そこからなら路線情報とサイフさえあればたどり着けるはず、と内心思ったけどそれは余計なお世話だし。
 
 フジの花で有名なあしかがフラワーパークにも行った。雨の中、フジは素晴らしかったが植栽の上手さがそれについてきた。帰りの電車に乗ろうとしたら、降りてきたドレッドヘアの黒人男性の前のファスナーが開いているのを発見。教えてあげたくとも、お互いに人ごみに流されてしまって、出来ず。おかげであしかがフラワーパークといえば前全開のドレッドヘアのおっさんとフジの花だ。
 
 ツアーを探してお金を添えて申し込み、集合時間に集合場所に赴くくらいなら、自分で路線情報ググって適当な時間に家を出る方が楽なのではないかと思う私はお察し通り友達少ない。それからツアーでエジプトに行くことになり、なるほどツアーはツアーで便利なものだと知ったが、一人で行く方が楽だという気持ちは変わらなかった。

 それからまた桜の咲く季節が巡ってきた。
とりあえず河口湖に行こうと考えた。昔何かで知った久保田一竹美術館があるからである。久保田一竹はお高い、いえ、美しいので有名な辻が花の技法を今に蘇らせた人であり、そのときはたんにきれいなものを見たいと思ったのだ。

 しかし、色々あっていったん忘れ、久保田の名前も思い出せない始末。竹と着物を手がかりに「呉竹はふでペンだし、筮竹は占いだし??」と着物好きな友人にメール、「久保田一竹」と教えてもらった。問題は彼女の「公共交通機関で行くには難しかったような?桜の季節は混むと思うし」という一言だったが、来る人を拒むような美術館あっていいわけないじゃん!とググってみる。
 
 まずはヤフーの路線情報だが、うちからだといやに遠回りになり、乗り換えだらけ。
そこで高速バスに変更。東名高速のバス停はうちから徒歩圏内にあり、新宿やら御殿場アウトレットやらならバスを利用しているので馴染みがある。ちなみに御殿場まで1時間半くらい。そして探してみると本数は少ないものの特急バスがあり御殿場から1時間で河口湖に着くとのこと。
 
 ほかのバス便はないかと探したら朝7時半に近くの駅から河口湖行きの直行バスが出ていることが判明、片道1800円。どうやらこれが一番安くて便利そう。帰りのバスは河口湖を5時すぎに出て、帰って来るのは8時すぎ。しかしそんな時間まで河口湖にいなくても新宿を経由して帰ってもいいし、直行便にこだわらなければ早めに日帰りが可能。
 
 現地には周遊バスが走っており路線は3つ、1500円のチケットを買えば乗り降り自由。同じ周遊バスの路線には「猫のダヤン」で有名な池田あきこの美術館もあり、きれいなものといえば「山梨宝石博物館」なるものもあるし、別路線だが大好きな道の駅に足を運べる路線もあった。
 
 しかしそのなるさわ道の駅行きのバスは本数が少なく、午後1時すぎに河口湖駅を出て1時間半かけて到着し、帰りのバスまで2時間滞在、それから同じ道を1時間半かけて河口湖駅に帰ってきて、結局行きのバスと同じルートで帰ることになり、そのバスまでには35分の待ち合わせ。そんな時間を往復するのも大変だし、泊まるならともかく遅くなるのもイヤだし、ここはなんとか一筆書きに帰って来るルートはないものか?

 それでも一応そのつもりで次はと天気を見たら、河口湖の最高気温は11℃だった。新鮮な農産物とか想像していたが、11℃じゃ農産物は無理。道の駅は次回にすることにして、そしたら帰りのバスは何も5時まで待つことはないし、同じ道を帰る必要もない。、富士急行線で大月を回ることもできるけど、日帰りであることを思えば新宿までバスで直行したい。

 富士五湖回遊特急というのもあり、本数は少ないが午後3時すぎに乗れば午後4時半に立川に到着できることが判明、南武線に乗り換えて・・いやこれも結構な大回りとなってしまうし、夕方のラッシュアワーに関係するのはちょっと。←ヤワなやつ
 
 そんなこんなで旅の当日。調べていたころの最高気温は11℃だったが、その日の最高気温は5℃の予定で、なおかつ曇り、夕方からは雨か雪になる予定だった。5℃の日の外出支度はといえば、ヒートテックの薄いシャツに厚めのヒートテックのタートルネック、その上にウルトラライトダウンを重ねてその上からコート。下半身にはもちろんレギンスを仕込んだうえにパンツだ。手袋も持って行く。
 
 たまプラーザ駅から出るバスはがら空き、窓外の桜は散りかけていた。稜線を描くのがマンションから山になると新緑が美しく、本などは読んでいられない。ほくほくと見続けるうちに東名御殿場をすぎ、富士に向かって登っていくことになる。そのころからバスの中が冷え始め、外には明らかに雪が舞うようになった。平地では散り始めている桜が咲き始めの桜となり、新緑は固く閉じていき季節は後戻りしていく。河口湖は標高848mの場所にあるのだ。
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 到着は9時40分頃だった。気温2℃、雪。駅でコーヒーでも飲んで一休みと思ったが、スーツケースやリュックを携えた沢山の観光客で足の踏み場もない。なんでこんなに沢山お客さんがいるの!?それも外国人ばっかし!いやそれは認識不足で寿司やらラーメンやら流行り始める前から富士山は世界的に有名だったのである。てことはもしかしてこの人たちは日本旅行の初心者なわけですか。
 
 周遊バスのチケット売り場にも列が出来ていた。しかし予め見た料金表によれば、私はそこに並ぶには及ばない。お姉さんが英語で叫んでいるレッドラインのバスの列の最後尾に並ぶ。結構な混み具合だ。途中かちかち山ロープウェイというのがあり、外国人カップルの男の子の方が「日本のおとぎ話に出てくる山だよ」と教えていた。
 
 周遊バスの運転手がやる気のなさそうな英語でアナウンスするのがカワイイ。車内はほぼ外国人、そして下手すると私が最高齢。バスは河口湖畔をこきざみに停まりながら走る。猿回しを見せる施設があり、その向かいには池田あきこ博物館がある。その次のバス停が久保田一竹美術館。
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 おどろおどろしい門。その向こうには高低差を利用した庭園の入り口が見える。滝が設えてあり、落ち葉で一杯な地面には世界観を邪魔する余計な花はない。せせらぎにはわさびが植えられていて、小さな白い花をつけていた。展示室は別棟にあり、そこに行くには琉球石灰岩で作られた石庭を通る。展示室はそう広くないが、樹齢千年を超えるヒノキを組んで作られており、そこに彼の着物がかけられている。室内は撮影禁止。
 
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 その日はアメリカ人らしきツアー客が来ていて、ビューティフル・ガーデン!なぞと言い交していたが、流れの中の植物が本物のワサビであるとは彼らが知る由もない。つうか下手すると日本人もわからないかもしれない。根茎は見ることがあっても葉や花はあまりおなじみではないから。
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 久保田一竹はもう亡くなっており、この美意識はいつまでこのまま保つものなのかと考えさせられた。しかも私がここでわざわざ買うものといえば、夫の大好きな干しブドウなのである。ちなみにその干しブドウはチリ産のぶどうを長野県で加工したもの(どんな状態でチリからもってきて、長野でどう加工したのだろう??)で、いやに美味いがここで売る意味がわからない。
 
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 池田あきこ 河口湖木の花美術館を目指す。猫のダヤンを描いた人である。久保田一竹同様、知る人ぞ知るが知らない人は知らない。美術館と言ったって入場料500円、それならとそちらは無視をきめこんでショップの方に浸る。あれもこれもカワイイ、でも少しばかりお安くなくて、おかげで色々買いすぎることがなくて助かる・・。なんだそりゃ。またここにもさっきの干しブドウが売られていて、評判悪くないらしい。川崎でも同じものを買いに行ったら既に売り切れていたくらいで、今となれば2つ3つ買っておけばよかった。
 
 と、ここで私はやっと地図を発見。それはワインセラーが作った地図で、河口湖の主要観光施設、宿泊施設が1枚の中に一目でわかるよう記されていた。パソコンだけで現地事情を調べようとしたら、絶対不可能な情報がここにある。道の駅なるさわに温泉があるらしいのも知らなかったが、大石プチペンション村というのも初めて知った。
 
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 その宿泊施設の名前も「ローザンヌ」に「ウッドストック」に「モーニングサラダ」に「プレーリードッグ」にとそういう世界観を体現した建物が30件も軒を連ねているというわけで、ちょっと見てみたい。

 もともとペンションとは年金という意味でヨーロッパでは年金暮らしの老夫婦がのんびりと必要にして最小限で旅行出来るような宿泊施設のはずなのに、日本では全くそうではない・・ 。そんじゃオマエは泊まりたいのかと言われればいやこの年になったら温泉旅館の安いのでいいです、高いのならなお可ですとしか答えられないわけで、つまりこのペンション村としては大迷惑か。それでも来る前にこういうのの存在を知っていたなら、無理にでも足を運び、お茶飲みにでも立ち寄ろうとしたはずだった。
 
 この地図を先に入手していたら、もっといい季節に行くことにして、一泊して道の駅にも行けばペンション村にも行くことになるはずだし、ワインセラーでワインしばいちゃうかもしれないし、忍野八海を回ることを画策するかもしれない。
 
 ヘンな話で、そうなるとちまちました宝石博物館なんかどうでも良くなってしまった。
反対方向のバスに乗り、駅を目指す。ロープウェイの停留所では中国人親子が降りて行ったし、結構な数の乗降客がいた。横に立ってどこだかわからない国の言葉でしゃべっていた女の子がふと「レスト・・ラン」と窓外の看板のカタカナを読む。えらい!それで合ってますよと心の中で拍手を贈呈する。 
 
 ほんの3時間の滞在で河口湖を後にする。だって寒いし。帰りは新宿経由で帰ろうというわけで京王バスに乗った。駅前には「ほうとう不動」なる店があって行列になっていた。ほうとうの看板はあちこちにあって、なんというか沖縄における沖縄そばみたい。もっとも沖縄そばの場合は米軍の小麦粉から作られたわけなんで、ほうとうみたいな歴史ある食べ物??と一緒にしていいのかどうかはわからないが。
 
 行きは東名高速を、帰りは中央自動車道をゆく。自然や集落の眺めは東名の方が上だが府中の競馬場が見えたりするとあれはあれでカッコいい。途中深大寺のバス停というのがあり、老夫婦が草の中の階段を降りて日常の中に帰って行った。うちの近くにある東名のバス停もそんな感じで、都市(新宿行きと東京行きがある)から自然から、唐突に日常に戻されてしまう不思議感がある。(でも本数が少ないのが残念~。)
 
 帰ってから、JTBの旅行パンフレットを集めた冊子をチェックしてみた。そしたら国営ひたち海浜公園あしかがフラワーパークを日帰りではしごするというツアーが募集されていた。これがなんと、9000円しない。一人旅の私は海浜公園では帰りのバスを地味に待ち続けたし、日を替えてのあしかがフラワーパークでは雨の中帰りの電車が混み混みだったのを思い出す。あれをシートが確保されたうえで1日で2か所回れるのならば全然お得ではないか!!
 
 河口湖や久保田一竹美術館へのツアーは最初から調べなかったがも、これからはツアーの有無や内容についても調べた方がいいのかもしれない。自分ひとりで行けるのならば逆に無理に自分ひとりであることにこだわる必要はなく、あえてツアーに潜り込むことも出来るはずである。 

MEADE LX80 を Onstep に換装 小休止モードへ

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年明けから進めている、MEADE LX80 を Onstep に換装プロジェクトは小休止というか、一時中断・冷却モードへ。

モーターアセンブリも仕上げて、LX80のベースに入れて元に戻し、赤道儀として動くようにしてみた。が、内側にひっかるところがあり、全周回転しない。すべて円周内に納まるように製作したはずなのに。
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どこがNGなのか、アルミ板だけを取り付けたりして、いろいろと実験した結果、ギアアセンブリを構成している、5mm厚のアルミ板のはみ出し部分がひっかかっているようだ。LX80のベースの内側が対称構造でないことも一因。
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あらためて元のモーターアセンブリを見てみると、上側はかなり外側まではみ出しているがモーターはこのように内側に実装される構造になっている。
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このように段差を設けた形でモーターを実装してギアアセンブリをつくるには、ギアの配置、素材、形、工作方法を綿密に検討しなければならず、今のアセンブリの構成の延長線では解決できそうにない。

一方、ESP32 Smart Hand Controler は最新バージョンのFirmで試してみると、スタート画面が変更にされており、このようにスタート。
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Onstep STM32と接続をするが、
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エラーとなってしまう。
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どちらもNGでめげてしまった。このままだと、できなかったことが重なって、気分的にも負のスパイラルとなってしまう。
設計・測定の方法やデバッグの方法を再検討するために、このプロジェクトは一次休止・冷却モードに。

伊豆へ 連休前の作業支援

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伊豆の妻の実家へ。10連休前にいろいろと作業支援、主としてみかんの収穫。売店から注文が来ているとの事。今は、夏みかん系統のものが旬である。
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これは、ニューサマーオレンジ。色目がさわやかで適度な酸味と甘味のバランスが良く、比較的いい値段で売れる。コンテナ10個くらいを採ったか。

レモンもまだまだ収穫できる。レモンは果期が11月~5月までと長く、マイペースで収穫できるのでとてもやりやすい。まもなく花の季節になろうとしていて、紫のつぼみが出ていた。みかんの花は白なのだけれどレモンは紫のの花が咲く。あと数日で花が見られたのに。
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筍もたくさん出ていたので、自分たちが食べる分を掘った。絵にかいたような筍では硬くて煮物でないと食べられない。こんなふうに地表にちょっと頭を出したくらいだと、エグ味も少なく刺身・わさび醤油で食べてもおいしい。
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実際に掘ってみると、網の目のように根があり、なかなか大変である。亡き義父にはとても見せられない下手さだが、2本収穫。
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イノシシはこれを地中に埋まっているころに掘り出して食べてしまう。こちらは、イノシシの食べ残したものをいただいている感じ。すぐに茹でて持ち帰ってきた。

イノシシの害は相変わらずである。かなり力もあるので、こんなふうに石に下にいる虫やミミズをたべようとひっくり返したり落としたりしてこの有様でどうしようもない。
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田舎の平和を乱すのは獣ばかりではない。アンケートなどを装って、いろいろな電話もかかって来ているとのこと。曰く、
 「老後の蓄えはありますか。いくらくらいお金を持ってますか?」
 「昔からの骨董品をもっていませんか?高く買い取ります」
 「不用品を引き取ります」
 「この電話番号は詐欺グループのリストに登録されています」
などなど。
義母は「年寄りだから、良くわからないので子どもたちにきいてもらうために電話を録音しますね」というとすぐに電話を切るとのこと。

どこかに書いてあったが、マスコミも「おれおれサギ」、「かあさん助けて詐欺」「アポ電」などと変なことばを使わずに誰もがわかる「電話サギ」と言えばよいものを、そうは言えない事情があるのだろう。固定電話は本当にリスキーなものになってしまった。実家のように特に昔から使っていて、電話帳に載っているものは。

一人暮らしの義母をサポートするために、家や庭を見えるようにネットカメラを取り付けた。当初は外から見えないようにしようかと思ったが、監視カメラがあることが抑止力になればと思い、このように。
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どこか中国のサーバー経由でスマホやPCでモニタできる。サーバーのセキュリティもどうだか知れないがトレードオフで「見守りカメラ」が優先だろう。
次回は、きちんとイノシシ対策をしなければ。電柵を用意してあるのだが、他にも超音波による忌避でも試してみようか。

EU1KY アンテナアナライザの Upgrade

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以前に製作した EU1KY アンテナアナライザであるが、MAL アンテナ製作に大活躍している。原作者のEU1KY さんのHPではソフトのバージョンアップは終了しているようだが、公開されているソースコードを元にいくつかのところで開発が進められている。

そのひとつ、DH1AKF による Upgrade 版。主な改良点は、
 ・スミスチャート表示を見やすく改善
 ・測定範囲を100 kHzから600 MHzまで拡張(オリジナルは200Mhzまで)
 ・簡単なスペクトラムアナライザとして使用可能
 ・水晶パラメータの測定
 ・RTCモジュール DS3231により日時表示
 ・ケーブル長測定モードの改良
などなど。私としては、3次高調波を使用して、測定範囲を600 MHzまで拡張してくれたことがうれしかった。これによりアンテナアナライザ本体ハードに手を加えることなく 435Mhzのアンテナが測定できるようになった。

また、オリジナル版でもPCとの接続し AA-200 として RigExpert の Antscope で操作することができたが、PCとうまく接続できなかったりしていまいち安定性に欠けた。DH1AKF による Upgrade 版では、AA-600 として安定して接続できるようになった。Antscope はRigExpert のHPから最新版をダウンロードした。

DH1AKF による Upgrade 版をさらに改良して、測定項目を増やし、測定器とは別の機能を追加したのが、KD8CEC 版である。上記の DH1AKF による Upgrade 版に加えて、
 ・L/Cメータ
 ・S21 Gain 測定( VNAとしてFilter の測定ができる)
 ・WSPR/JT65/FT8 送信機能
などが可能になった。

というわけで、KD8CEC 版に対応できるように以前に製作した EU1KY アンテナアナライザーを改修した。追加の改修項目は、
 ・S21 Gain 測定のために、Si5351 から OUT1信号をコネクタに引き出し
 ・RTCモジュール DS3231の取り付け
 ・画面スナップショット取り込み画像のMicroUSB端子の引き出し
となっている。改修後の写真である。

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S21 Gain 測定のための Si5351 から OUT1信号をコネクタに引き出し、オリジナル版では Si5351 のPINから引出さなくてはならないので大変だが、こちらは QRP LAB のモジュールを使っているため、容易に引出すことができた。RTCモジュール DS3231は固定できる場所がないので、電源・I2Cの配線を行って、熱収縮チューブにくるんでインシュロックでくくった。MicroUSB の引き出しは、ケーブルを切って Aitendo のUSB with 基板を使ってこのように製作。
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コネクタパネルはこんなふうになった。
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画面スナップショット取り込み画像のMicroUSB端子の引き出しは、後ろ側にしたかったのだが、Li バッテリ充電基板などで余裕がないため、前面から。

KD8CEC 版メインメニューはこんなふうになって洗練されてきた。
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いまのところ Ver 0.4となっており、さらに進化中。測定使用リポートは後日。

Pluto SDR を金属ケースに入れてRESET機能をつける

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以前に購入した Pluto-SDRは人工衛星の受信やいろいろな実験にけっこう稼働率が高い。なかなか性能も良いのだが、使いかってかいまいちのところも。
 ・PCとの接続はMicroUSBであり、接触不良となりやすい
 ・SDR#などでSDRソフトの負荷が大きいのか人工衛星追跡ソフトなどと併用して
  使ったりしているときにハングアップする
ハングアップしてしまうとSDRソフトを再起動しても修復されないことが多い。このときは、USBコネクタを抜いて挿しなおすしかない。RTL ドングルではソフトの再起動で復元するのに。Pluto-SDRは内部でLinuxが動いているとのことでそのせいだろうか。
そんなわけで、外部からRESETできる機能を組み込んでシールドも考慮して金属ケースに組み込んでみた。

まずは、RESET回路の検討、USBコネクタを抜き差しするのと同様な機能ということで、Pluto-SDRの電源をON/OFFするように考えた。Arduino NANOなどを使ってリレーで制御するという回路でいいかと。一つのI/Oポートがあれば良いので、なるべくシンプルにということでいろいろと調査した結果、USBシリアルFT232RL USB UARTボードを使えそうなことがわかった。一般的には通信に使うのだが、Bit Bang モードを使うことにより I/O操作ができる。
データシートやWEBでの記事を参照して、回路はこのように。
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一回路しか必要ないのでトランジスタで駆動してもよいのだが、専用のドライバICの手持ちがあり、かつシンプルになる。FT232RL USB UARTからの制御はRX(Bit1)からでイニシャル状態でリレーがOFFつまり、Pluto-SDRの電源ONとなる。これらを基板に組み込んでこんなふうに出来上がった。
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FT232RLボードはMiniUSB、Pluto-SDRはMicroUSBなのでこれらを頑丈な USB TYPE-B で引出す。ケースに固定するようにAitendoから基板 With USBコネクタのKitを購入、変換延長コネクタとして組立。接続してみると、動作しない。
いろいろと調査した結果、なんとプリント基板の間違い。USBコネクタのシールドがD+と接続されるようになっている。向かい側のGNDと接続するつもりのはずが、コネクタのPIN配置を見間違えたようだ。Aitendo では、この基板をたくさん売っているんだよねー、指摘してあげないといけないだろうか。
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基板を削って D+ とシールドを切り離し、ケースを加工して、両方のUSBはTYPE-B コネクタで接続するようにこんなふうに組み込み。Pluto-SDRの基板はSMAコネクタのみで固定。スペーサも入れてケースに固定してやりたいところだが、加工寸法採りが面倒なのと、日常的に力がかかるような操作をしないので良しとする。この状態で ICの発熱状態を確認したところ、ほとんどのものがほんのりと暖かい程度。ヒートシンクは必要ないようだ。
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ふたは殺風景なので、元箱から切り取って、ロゴを貼り付けた。動作時に点灯するLEDが見える位置に小穴を空けたが、部屋が明るいと青LEDが点灯しているがわかりにくい。
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制御ソフトはサンプルコードもあるので、表示などを考慮した専用のものを作る予定。ネットで見つけたBig Bang Testという、FT232RL USB UARTを使ってI/Oコントロールができるソフトを使ってテストしてみた。
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このように設定して「送信」をクリックすると、リレーが動作して Pluto-SDR の電源がOFFとなる。市場にコントロールできる

が、こんな表示が出て FT232RL USB UART への接続も断となり、
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さらにこんな表示がでて、
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再接続しないと制御できない。

FT232RL USB UART 単独でテストしているときにはこのようなことは無かったので、どこか、配線を間違えたのかと思ったが、このソフトは、USBの入り切りがあると接続をリセットして再検出を行う仕様のようだ。なので、Pluto-SDR のリモートで電源をOFFにするとFT232RL USB UART へ接続もリセットされたわけだ。USBメモリを抜き差ししても同様な動作をする。
わかるのに半日もかかった。ともあれ、動作はうまく行っているので、専用ソフトが完成するまでは、こういうことを念頭において使うことにする。


PlutoSDRのRESET プログラム

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サンプルプログラムやいくつかのWEBを参照して、PlutoSDRのRESET プログラムを作成した。プログラムの構成はシンプルに、
 ・デバイスをOPEN
 ・PlutoSDRの電源回路の「切」コマンドの送信
 ・PlutoSDRの電源回路の「入」コマンドの送信
 ・デバイスのクローズ
となる。

FT232R はUSBシリアルとしてそれなりに使われているので、他のデバイスを間違って操作しないように Production Description でOPENするように。
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FT Prog ユーティリティを使って Production Description を変更、初期値の「FT232R USB UART」から「FT232R PlutoCont」に変更。

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デバイスマネージャーで見たとき COM16、COM23 は、同じFT232RLモジュールを接続しているのだが、複数挿していても明示的にOPENできて、コントロールすることができる。

ソフトは一回の操作だけなので、コンソールモードで作成、こんなふうに動作する。
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エラー処理も実装したので、FT232RL USBシリアルを挿していないときや別のデバイスのときなどには、
イメージ 3
となるようにした。
これで、リモートデスクトップで操作しているときでも、PlutoSDRをリセットできるようになった。

参考までにVB2008 のリストを掲載。
参照設定で FTD2XX_NET.dll が必要となります。
-------------------------
Imports FTD2XX_NET
Module Module1

    Sub Main()

        'ハード関係の宣言
        Dim PlutoFTDI As New FTDI
        Dim ft_status As FTD2XX_NET.FTDI.FT_STATUS
        Dim ftdiDeviceCount As UInt32 = 0

        '書き込みバッファとかその他変数
        Dim write_byte(1) As Byte
        Dim written_byte_num As UInt32 = 0
        Dim PowerON As Byte = &H0        'リレー OFF
        Dim PowerOFF As Byte = &HFF        'リレー ON

        'FTDI FT245初期化
        ft_status = FTDI.FT_STATUS.FT_OK

        'Device名をFT232R PlutoCont  EEPROMを変更しておく
        ft_status = PlutoFTDI.OpenByDescription("FT232R PlutoCont")
        If ft_status <> FTDI.FT_STATUS.FT_OK Then
            Console.WriteLine("デバイスが見つかりません")
            Console.WriteLine("接続を確認してください")
            System.Threading.Thread.Sleep(8000)
            Exit Sub
        End If

        'リセットやパージ処理
        ft_status = PlutoFTDI.ResetDevice()
        If ft_status <> FTD2XX_NET.FTDI.FT_STATUS.FT_OK Then
            Console.WriteLine("デバイスのリセットに失敗しました")
            Console.WriteLine("接続を確認してください")
            System.Threading.Thread.Sleep(8000)
            Exit Sub
        End If

        ft_status = PlutoFTDI.Purge(FTDI.FT_PURGE.FT_PURGE_RX Or FTDI.FT_PURGE.FT_PURGE_TX)
        If ft_status <> FTD2XX_NET.FTDI.FT_STATUS.FT_OK Then
            Console.WriteLine("デバイスの Purge に失敗しました")
            Console.WriteLine("接続を確認してください")
            System.Threading.Thread.Sleep(8000)
            Exit Sub
        End If


        '通信設定
        PlutoFTDI.SetTimeouts(0, 0)
        PlutoFTDI.SetLatency(100)
        PlutoFTDI.SetBaudRate(115200)

        'Bit Bang OutPutモードで起動
        ft_status = PlutoFTDI.SetBitMode(&HFF, 1)
        If ft_status <> FTD2XX_NET.FTDI.FT_STATUS.FT_OK Then
            Console.WriteLine("Bit Bang OutPutモードに失敗しました")
            Console.WriteLine("接続を確認してください")
            System.Threading.Thread.Sleep(8000)
            Exit Sub
        End If

        'Power OFF/ON Command Send

        Console.WriteLine("PlutoSDR をリセットします")

        write_byte(0) = PowerON
        ft_status = PlutoFTDI.Write(write_byte, 1, written_byte_num)
        System.Threading.Thread.Sleep(1000)

        write_byte(0) = PowerOFF
        ft_status = PlutoFTDI.Write(write_byte, 1, written_byte_num)
        System.Threading.Thread.Sleep(3000)     '3秒間電源OFFにする

        write_byte(0) = PowerON
        ft_status = PlutoFTDI.Write(write_byte, 1, written_byte_num)
        System.Threading.Thread.Sleep(1000)

        '接続をクローズしてプログラム終了
        ft_status = PlutoFTDI.ResetDevice()
        ft_status = PlutoFTDI.Close()
        Console.WriteLine("プログラムを終了します")
        System.Threading.Thread.Sleep(8000)

    End Sub

End Module



Astronomy Linux の新しいバージョンをインストール

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たくさんの天文ソフトをプリインストールしたパッケージAstronomy Linux の新しいバージョンがリリースされたので、観測用のPCにインストールしてみた。ISO イメージは4GB近くあり、Ubuntu 16.04 版はこちらから、18.04 版はこちらからダウンロードできる。USBメモリに焼いて起動して、通常のUbuntu のインストールラーで何のトラブルも無く日本語版をインストールできた。
動作中の画面は、こんな感じ。
イメージ 1

主だった天文ソフトがすぐに使えるようになっている。アイコンから起動する形にはなっておらず、ターミナルからのコマンド起動になるが画像から位置を解析する Astrometry.net も入っている。当然ながら、星のデータは別途ダウンロードする必要がある。

こちらの記事を参考に Windows からリモートデスクトップでアクセスする設定を行い、うまくできるようになった。その様子。
イメージ 2

以前のAstronomy Linux のバージョンでは、どうやっても Windows からのリモートデスクトップ接続が設定できなかった。VNCソフトを使えばできたのだろうが。新しいバージョンでも 18.04 版では、リモートデスクトップを可能にするため、
 $ sudo apt install xrdp lxde
を実行すると、指定されたソフトがありませんというエラーとなってインストールできない。OSのバージョンは新しいほうが良いのだろうが、Ubuntu16.04 で不自由はなく、プライベートネットワークでの運用なのでそのまま使うことにする。

Astronomy Linux をUSBメモリにインストール NG

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Astronomy Linux 18.04版へのリモートアクセスの解決策を教えていただいたので、持ち出し用のNote PCで使うために、USBメモリにインストールすることにした。
前のバージョンをそのようにしてあり、構成のイメージはこういう感じで、
イメージ 1
Biosの設定により、起動する順序を、
 1.USB DISK
 2.内部HDD
 3.CD-ROM
となるようにしてある。
Astronomy Linux をインストールする際に、Bootloader をUSBメモリになるようにしてやると、電源ON にすると、LinuxのBootloader が立ち上がって
イメージ 2
Astronomy Linux 、Windows どちらでも選択して起動できるようになる。このスタイルの良いところは、本体のHDDに影響を及ぼさないことで、USBメモリを抜けばそのままWindowsが起動する。
USBメモリには書き込みの寿命があるので劣化を避け、高速で処理するために、
 1.SWAPを設定しない
 2.あまり参照しないLogファイルなどをRAM DISKに
 3.WORKエリア、処理DATAをHDDに
などの配慮が必要になる。起動時には、すこし時間がかかるが、さほど違和感なく使用できる。

早速インストール開始、細かい設定が必要なので「それ以外」を選択。
イメージ 3

USBメモリにパーティションを作って、Bootloader のインストール先をUSBメモリにしてスタート。
イメージ 4

最後のところでこんなメッセージが出て、撃沈。
イメージ 5

ちなみに、Astronomy Linux 新バージョンでは、16.04でも18.04でもNGとなる。今のところ、旧版のソフト群でも問題ないし、このNote PCをリモートデスクトップで操作することはないだろうから、動いているシステムは触らないほうが良いのか。

留守番・猫の世話に伊豆へ

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義母が大阪に住む姉のところに遊びに行くことになり、留守番・猫の世話、その他、懸案となっている作業もあり、伊豆へ。
当の猫はもともとうちで飼っていたものだが、こちらに連れてきて3年になろうか。すっかり馴染んで、となり近所まで巡回して、愛されている。私たちが到着した夜には、歓迎にと(?!)ネズミを捕ってきた。謝するに余りあり。
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力いっぱいブラッシングすると気持ち良さそうにうっとりしている。夏毛への抜け替わる時期なのか、こんなにとれた。もともと白い猫だが、さらに白くなり、かろやかになった。亡くなった義父はこの猫からノミなどを取り去るのがとても上手だった。
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電気柵の設置するために、下準備・調査で畑に行くと、カエルがのんびりしている。このあたりの水場へは少し距離がある。この後どうするのだろう。
イメージ 3

畑をまわって、電気柵のポールや電線などのみつくろいをする。ここには、大昔に植えられた枇杷の木もあり、大粒の実がたわわに。採ってたべてみると、まだ緑のところもあり、あと3~4日というところか。
イメージ 4

義母がイチゴの苗を置いていたら、大きくなってできていたとのこと。ネット、ビニールなどなんの防護もなく、これがホントの路地もので甘い。
イメージ 6

畑に植えてあったソラマメの最終版を採って地魚を合わせて、こんなかんじで夕食。シンプルだけどフレッシュ。
イメージ 5

翌日から、いろいろと作業。これまでセンサーライトだった、外灯をEEスイッチを点けて夜になると点灯するようにした。安全・防犯のためにはこれが良いと思う。電気工事士の資格は?という突っ込みは無しね。コンセントのこちら側ですから。あと、法律上、電気工事はできないけど、電気主任技術者三種の免許はある。
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畑の電気柵はポールを立てて、配線も準備したが、高圧電源の接続はもう少しあとに。家のまわりには、Aliexpressから購入したイノシシよけの超音波忌避装置を設置する。動物センサーが付いており、検知すると、超音波で発振とLEDが点滅するしかけ。その超音波は私の耳には、聞こえない。どれだけ効果があるかわからないが、これで、イノシシが少しでも敬遠してくれれば良いのだか。
見守りカメラのネットワークの点検をしたり、視界が広がるように枝を切ったり、位置を再調整したりする。
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いくつかの作業を終えて、レモン畑へ。前回は蕾だったが、花が咲いて、結実しているものもある。
イメージ 10

それでも、このように売れるレモンもまだ残っていた。高枝切り鋏を使ってコンテナふたつ分くらい採れただろうか。
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レモンは、果季が長く、虫にも強く、チマチマと稼がせてくれる。栽培する農家も増えており、競争もあるのだが。

次回は、電気柵の本格作業、夏草刈りなどなど。6月中は行けないので7月初旬になるかなー。

イタリア北部旅行 1 (と旅支度について)

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先日、2週間ほどイタリアを旅した。
例によって、妻による旅の記録。
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 6月11日、アリタリア航空で成田から12時間22分、到着したのはミラノ、マルペンサ空港。今回はミラノは1泊のみ、それも街中ではなく空港近くのホテル。電話をかけるとホテルからお迎えに来てもらえることになっていた。夫、定番のセリフ 「あれ?電話通じてないぞ?」と。そういう言葉が出てるときは逆に大丈夫という意味。
 
イメージ 1

 ホテルは壁面にフレスコ画なんか施され、ちょっと素敵な城館の趣。わあ、ディズニーランドみた~い!と口に出し、運転手にウケる。庭にはお決まりのコニファー、バラ、そしてアジサイ。バラの中のひとつは低く仕立てられているし花ガラもとってないし、かなり貧乏くさい有様だけどもしかしてジャクリーヌ・デュプレかもしれなかった。
  
 8時にホテルのレストランに入る。夜8時といえど夏なので明るい。
疲れもあって最初からトバすつもりはなく、軽く ラビオリとアスパラガスのムース、あとは水、ビール、要らないと言ったのに泡もの1杯を押し付けられる。飲むけどさ。
イメージ 2

 南の夕食は遅い。8時ではガラガラで、それから少しづつ人が入ってきた。
ディナー用に持ってきたドレスを着用に及んでいた。何のことはないコットンのワンピースだが、柄ものなので何かあっても汚れが目立たず、畳んでも致命的なシワにもならない便利もの。というか、そうでなければ持ってこれない!好評なのか、どこかのおばさまににっこりされて、にっこりを返す。

 実のところ、2週間の間これ1枚でディナーをしのぐつもりだった。毎回2時間、しかも冷房の効いた中で着るのだから大丈夫!という理屈である。とにかく、とにかく重たくてかさばる荷物はイヤ!でもあんまり貧相でもイヤ!
 
 以下は荷物の話になる。
  
 少し前に知人が英国旅行に旅立ち、同じようなお仕度をしていた。荷物を減らすための努力は涙ぐましく、例えば100均で靴のクリーナーシートを買うものの30枚入りとなればそこまでの数を持って行く意味はないので家中の靴をきれいにしまくり、数を減らそうとしたりした。
 
 恥ずかしいが、100均の紙パンツも利用した。エジプト旅行で知り合った人が紙パンツを利用していると聞いた時にはパンツごとき洗えばいいじゃんと思ったがさっさと見習うことに。普通の旅行なら荷物が少なくて済むが、洗濯前提の旅行の場合、パンツ1枚なりとも乾いたがどうか気にしなくていいのはやはり便利なのである。
  
 軽くてかさばらず(布の分量の多いものなどもってのほか!)洗濯してもよく乾くものを探した。厚地では乾かないし、湿度低いんだからと木綿よりは化繊。
 
 日焼け止めもさりながら、ストールは外せない。これは結果的には汗を吸うので洗っては巻いた。途中から、手ぬぐい感出てきた。オシャレな手ぬぐいなら、いや、かき氷の手ぬぐいでも大丈夫かもしれない。日本人が見たら驚くが、イタリア人にはなーんもわからん。抵抗する自分を無視し、かっこよく巻けるなら何の問題もないと保証する。だからって手ぬぐいを持って行く意味はなさそうだが。ちょっとだけ布の分量が減るかな?
  
 飛行機の中での足のむくみ防止に、今回は圧迫靴下を用意。効果絶大、12時間ほぼ座りっぱなしでも靴はきつくならなかった。その靴はといえば3足を用意、普通のスリッポンと、ちょっとオシャレするときのためのサンダルと、スリッパ代わりのビーチサンダルである。ビーチサンダルはいつからそうなったのか、どこの国でも夏の定番となっている。
  
 100均はお土産調達に便利とは外国人のセリフだったが、何かとのきのお礼の調達にも便利。ダイソーで扇子を購入。ただし外国では扇子を使うのは女子だけのようで、何かお礼をしたくなるようなお世話をしてくれるのも女子、それでいて男持ちの扇子の方が格好いいのが残念。
 
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 それにしても洋服を決めるの面倒くさい。パリだのミラノだの行くのにダサい格好をしたくないというのは若い女子だけではない。オバサンの私だってそうなんである。だけどそれ以上に、重たい荷物はイヤ!!まあダサいかどうかはもはや程度問題、奴らも結構普通の格好をしているし。流行のつもりでも日本だけの流行で、よそではバカみたいに見えることもある。
 
 いっそ突き抜けてしまうという手もあった。夫はホテルでの朝食は無印良品の甚平と草履で通した。それがどういう結果を生むかといえば若い女子にはビューティフルと言われ、年配夫婦には明るくコンニチワと挨拶され、年寄男性二人組にはびびられたのである。忍者とか空手とかその手の人を想像したのか? まあ侮られるよりはよろしい。
 
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 それでも夏のイタリアだったらまだいいはずだった。冬のエジプトはエジプトのくせに寒かった。我々は薄着のファラオやクレオパトラしか知らないが、冬は何を着ていたのやら。そして目の前にあるはずのピラミッドが見えないほどの砂嵐の季節もあるらしい。砂嵐をよけるための服装とはいかなるものなのか。それを知るのは桜島近辺の鹿児島県民くらいではないのか。
  
  そんなこんなで私の2週間ぶんの荷物は世間でいうところの3泊4日用のスーツケースに入れることが出来た。洗濯しまくったゆえ、持って行きすぎた感じで終わったが、着なかった服は1枚もない。洗濯したくない日もあったし、でも洗濯しないと我慢できなかったし。つまるところ、過不足のない旅行用荷物なんてこの世には存在しないのだ。

イタリア北部旅行 2 ボローニャへ

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 朝食の間に行くと、日本人夫婦がいた。ミラノなので珍しくもないかもしれないが、空港近くのホテルにいるということはこれから乗り継ぎがあるのかそれとも地方都市を回るのか。
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 何をとろうかなーと迷っていたら、後ろからやってきた男が「なんたらかんたら、チーノ!」とぼそっと言う。チーノとは中国人という意味で、こいつときたら、言葉がわからないと思って侮蔑しやがった。他の人に聞こえないように小さい声で、それも非力な女子を選んで。それで、「ノー、チーノ。ソノ ジャポネーゼ。」と言ったらびくっとした。
 
 ああいうのってやめてほしい。朝食の間中、睨みつけなきゃならないじゃん!!
けれど許すわけにはいかない。オマエと言うやつは、いくらシャツにアイロンをぴしっとあててヒゲをそり、コロンを香らせて一人前みたいな顔してたって本当は最低中の最低男なんだぞ!?と、日本人たるもの、ご親切にわからせてやらなきゃならない。ほんっと迷惑。私の平和な朝食時間を返してほしい。
 
 それはともかく、本日はボローニャに行くことになっていた。ボローニャには夫の旅の目的であるところの「マルコーニ記念館」があるのだ。問題はこの博物館、予約が必要だということで、何日も前にWEBの予約フォームで出した予約の返事が届いてなかった。これではアメリカの政府機関閉鎖のときのように窓からのぞき込むのみ、ということになる恐れがあった。それでも他のおぜん立ては全て整ってこの地にいるわけなのだけど。
  
 まずはホテルから空港まで送ってもらって、空港からミラノ駅まで電車で50分。
ミラノ駅の人々は殺気立っているように見えた。バカンス時期なので、盆前の新幹線みたいなもんか、スーツケース持って、ときには犬まで連れて。夫、おばあさんに何か聞かれたらしい。夫が外国人で役に立たないとなると、今度は別の人に「オマエはイタリア人か?」という質問から始めたそうである。

 で、ミラノ中央駅から特急で1時間ほどでボローニャ到着。ボローニャは、ミラノの喧騒からすればのどかだった。若い子たちが、たたんだらすぐさまシワになりそうな服とか布地の分量が多い服、厚手で重たそうな生地を使ったパンツを身に着け、単なる格好つけのそれ自体が荷物になりそうなバッグなどでオシャレしていた。
 
 14時からチェックイン出来るが、まだ13時。「とりあえずホテルの近くまで行って、そこで早めに入れるかどうか聞いてみよう。」というのが夫の考えで、そうだねと賛成、だがそこで旅の定番「道に迷う」が発生。駅から3分の場所を探すのに30分かかった。地図を反対から見てるのに、夫が主張する方向は地図と一緒。

 夫は時々方向音痴になる。だがあくまでそれは時々であって、合っていることも多い。私も間違えてたり合ってたりする。土地勘のない初日は切った張ったの博打の連続だ。ストリートビューを見ていなかったのか、新鮮さがなくなるからとあえて見なかったのか。
 
 建物の前から夫、ホテル(民泊)の人に電話、すぐさま来てくれるという。それで建物の前で待っていると、親切な人が中に入れてくれたりエレベーターの使い方を教えてくれて違う階に下ろしてくれたり。再度電話をすると中で待っていてくれといったん言われ、そうこうするうちに担当の人が息を切らせて入ってきた。「これからお掃除するからちょっと待ってて!」って、今思えばこちらの方が早く来すぎたんだけど。すいません。
 
 それから話はトントン拍子に進んだ。彼女は「マルコーニ記念館」に電話をかけて翌日の予約をとり、バスのチケットを買ってきてくれて、あまつさえ「これはギフトだから」とまで言ってくれた。夫はギフトじゃなくてちゃんと請求してねと言ったらしい。私はお扇子くらいでは申し訳ない気持ちになった。感謝の気持ちも大小あるのに、結果は100円均一なのだ。

 部屋は新しく、快適だった。しばし休んだあとに「マルコーニ記念館」行きのバス停を見つけるべく、バスセンターに。バスセンターの人は親切に時刻表をプリントしてくれ、乗車場所はバスセンターでなく、バスセンター前のバス停から出るのだと言った。しかし始点ではないので博物館方向に行くバス停と、反対に博物館の方から来るのとがある。時刻表のプリントの数字から手前のバス停であると判断、これで明日は安心だ。

 現金調達がてら、旧市街を見物に行く。日差しが強いのでボローニャ名物、延々と続くアーケードがありがたい。しかしATMが見つからない。王宮前広場にたどりついたところで、ボローニャ銀行発見したころにはなんかもうヨレヨレだった(後でわかったとこだが、この日の万歩計は24,600歩を数えていた。)途中には、駐車違反の車をレッカー車で移動するこんな風景も。
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 夕食時間になっていたのを幸い、ホテル近くのトラットリア(家庭料理っぽい店)に入る。中国人らしいお嬢さんがぱたぱたと働いていた。「花子とアン」の妹役の人に似ていた。イタリア語も英語も話すから、ボローニャ大学に通う未来のドクターかもしれなかった。
 
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 その日は牛肉のタリアータ、カプレーゼを前菜としてメインはイカとエビのフリット、ボローニャ風カツレツ。タリアータは大量のルッコラを下敷きに薄切りの生牛肉を広々と重ねたもので、バルサミコ酢やオリーブ油を自分でかけて食べるもの、カプレーゼはモッツアレラチーズとトマト。(まだ早いのか何なのかバジルの葉は乗っていなかった)イカとエビのフリットは文字通りのフライ。ボローニャ風カツレツはカツレツの上にクリームソースが乗ってきた。
 
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 水、ビール2、ワイン1(これが3種類しか置いてなくて、我々は12ユーロのものを注文)と合わせて全部で60ユーロだった。

イタリア北部旅行 3 マルコーニ記念館

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 目が覚めると朝8時、朝食の準備は整っていた。
ゆで卵やらクロワッサン、お皿に盛ったサクランボもある。ヨーグルトにジュースに水、コーヒー、チーズにハム、ケーキが1ホールにクッキーも何種類かあった。ケーキは昨日のミラノの朝食にもあって、なんでかケーキがホールでおいてあるのがイタリアの朝食だった。ホテルの格によってケーキの数や品質が変わる。昔、ローマに行ったときにはゆで卵とクロワッサン、カフェオレは何杯でもおかわりできたけど、それだけだったのに。
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 先客はイタリア人、既にびしっとアイロンあてたシャツを着て臨戦態勢である。
夫は甚平着ていて、多分相手もそれが臨戦態勢だろうと思ったはず。いや、この格好で外には出ないし。

 本日はこの旅の目的であるマルコーニ記念館」に行くことになっていた。マルコーニとはどういう人なのかと言えば無線通信を実用化した人、だそうだ。ノーベル賞ももらっている。それがうちとどういう関係があるのかといえば夫の趣味だ。夫は1級免許を持っており、アンテナの自作をしている。そのうえで理数系博物館大好きというわけで、この博物館はこの旅の目的なのだ。

 しかしそれはあくまで夫の都合であり、私は「機嫌良くやってるからには放っておく」というやつである。夫は他にも趣味で衛星の打ち上げにも関わっていて、若い人に「すごいことやってるんですから、もっと理解してやってくださいよ!」と叱られたことさえある。今思えば、あの若い人にはどう理解してくれる奥様がいるのだろう??いない、多分。
 
 ホテルを出、昨日確かめておいたバス停に赴く。50分かかるというバスに10時5分に乗り、なだらかな丘の上に点々とある家の風景など喜んでいるうちに、マルコーニ博物館前に到着。予約は11時だというのに5分遅れだと夫、最近見たことがないほどの速足で丘を上っていく。・・・いや、普通に到着して5分前で、それからこの丘を登ることを考えると元々タイトすぎたのではないか。
 
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 たどり着いたら案内役(卒論がマルコーニだったらしい)、イタリアおばちゃんと、3人の日本人がいた。ご両親とイタリア在住の娘さんだそうである。お父さんの方が無線通信が好きで、香港駐在時代は35階のマンションからアンテナ出して通信していたという。奥さんはそれにつきあって自分まで資格をとったらしい。なるほど「理解」とはこういうこと??
 
 しかし、聞けば聞くほどうちとは世界が違った。なんと私は夫がコールサインを口に出すのを一度も聞いたことがないのである。あくまで夫はアンテナを自作する人であって、コミュニケーションをとるのは同じ自作仲間だけ。かのお父さんはと言えば世界中の様々な人々と通信しまくり、世界地図に印をつけている人だった。なんと社交的な!
 
 奥様は「どんな人ともフラットにつながることが出来る無線はキングオブホビーというのだそうです。」と誇らしげに教えてくれた。うちの夫はそんなこと一度も言ったことがない。大体、フラットであると言っておきながらキングであると主張するのもわからない。つまりこの人は「フラット」ではない世界で苦労してきた人なわけだが。

 それから今度は驚愕の事実が判明する。奥様は大学時代、あの糸川英夫の小間使い(本人がそうおっしゃった)をしていたというのである。そっちの方がすごいと思うのは私だけ?・・・今思えばあのときはキングだの小間使いだの色んな身分が出てきたものだ。
しかし奥様はご主人を尊敬し、ご主人は奥様を大事にし、お嬢さんはご両親を心配するという、絵に描いたような折り目正しいステキ家族だった。
 
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 番小屋みたいなところに案内されるとそこには地元ボランティアがいて、見たことがあるようなないような機械の中で、こんなマニアックな場所に日本人ばかり揃うなんて!と喜んでくれたらしい。しかしそこの2階でマルコーニが祈っていたと聞いて驚く。「は?何を?」とまで言ってしまった。あまりに番小屋っぽかったので、祈るようなところとは思えなかったんである。
  
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 夫、自分ちの敷地内にある鳥居を想像してみろとわかりやすいことを言う。そういえばお金持ちのお屋敷には教会堂なんてのがあったりするらしいが、それにしては小さくて貧乏くさすぎた。すみません、こんなこと書いて。

 マルコーニは何を祈ったのか。理屈が通っていれば実験は成功して当たり前だが、世間の無理解とか実用化(商売にするってことだな!)とは別だろう。しかし何よりマルコーニはお金持ちだったのでお金の心配はしなくて済んだに違いない。実用化は成功し、更なる金持ちになった。祈りは成功それ自体で、お金はフロクだったと思えば中々贅沢な話だ。

記念館の中に入り、学芸員の案内で展示物を見る。
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3階にマルコーニの実験室がそのまま残されており、メモ書きやら
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工作したもの、薬品など、
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丘の向こうとの通信実験で、聞こえたら銃砲で知らせたという、鉄砲など
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当時の船の通信室を移設したもの
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この窓から通信した、というプレート
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 やっとこさ解放され、改めてなだらかなイタリアの田舎の風景を見た。庭に植えられているアジサイがピンクである。元々青くなるはずのアジサイなのか青みがかっているのもあるが、ピンクだ。土のPHによってアジサイは色が変わる。日本では青くなり、こちらではピンクなわけだがそれなら日本でアジサイにコントレックス飲ませたらどうなのか。やったことはない。日本でも普通に植えてピンクなアジサイもあるし、私がコンテストに使ったのなんて、アズキ色と白だったし、PHによって色が変わるというのも一概に言えなくなってきたのかもしれない。
 
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 奥様はこのほどつるばらを1本入手したということで、管理について聞いてきた。花の切り方、病虫害の防除などについて話す。バラは樹木であって割と強いので管理が適当であっても余程のことがなければ枯れることがない。ただ、具合は悪くなる。名前はわからないそうだが、鉢植えと聞いたので初歩の初歩、水やりの話からするが鉢の号数までは聞かなかった。失敗。防除は市販のスプレーで大丈夫と思われるが、あとは本で調べてくださいと言うしかない。剪定とか言葉では言いにくい。本の挿絵の通りに枝が出ることはまずなくて・・・。出来れば良い隣人がおられますようにとここから祈る。
  
 お嬢さんは飼いネコが病気で入院中だそうで、ネコは言葉が言えないから可哀そうだと言った。私は友人と地域猫のお世話をしているが、相手の了解も得ずに病院に連れて行ったり子猫を勝手に養子に出したりと、逆に言葉を話さなくて良かったなー、くらいなもんである。しかし猫も本当にイヤなことがあればうにゃうにゃうにゃうにゃと抗議をする。彼女の猫はそんな言葉を発する必要がない。十分幸せなのだ。
 
 それにしても園芸(バラとか蘭とか盆栽とか山野草とか)ならともかく、同じ無線や同じ猫好きでもこうも違うのか。いや無線だって1級と4級とでは在り様が違うだろうし、猫飼いでもお高い猫からミックス、それどころか知人のところのように脚が1本ない猫をお世話する人がいるように様々なんだろうけど。その気になれば一応は選択可能なのが日本のすごいところなのだとまとめてしまおう。
 
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  帰りのバス停横には大きな桑の木が生えていて、沢山の実をつけていた。日本の黒っぽい実とは違う。採って食べてみたら、汁気も多く甘くて日本の桑の実とは別の香りがして、全然違った。なるほどねーと言いながらとっては食べているうちにバスが来た。

 いったんホテルに帰り、食事に出た。昨日は見えなかった銀行やATMがあちこちにあるのに気が付く。探していると見えなくなるのは不思議だ。宿の人に紹介されたお店。その日の食事は前菜のナスしか覚えていない。油を吸ったナスほどおいしいものはないが、チーズが加わっていた。ナスは英語ではegg plant。あちらでは卵は紫色なのか、それともナスが卵色なのかとボケをかましたくなるが白いナスも緑色のナスも存在するし、その日のナスは紫色の洋ナスだった。
イメージ 5
これがメインだったらしい。
イメージ 4

 この日は15000歩、色々と「理解」した日だったように思う。
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