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Channel: ぱなりラボラトリー通信
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小さい赤道儀製作 オートガイドではまる

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遅ればせながら、製作した「小さい赤道儀」のST4をONにして、Autoguide を動かしてみた。
この赤道儀は、もともと短い焦点距離のカメラを乗せて、短い時間の露出で機動的に観測することを想定して作ったものであるので、長時間のガイドは不要と考えていた。なので、最初に作ったものは、ST4の端子を取り出していない。2台目は、このようにコネクタ端子を用意した。が、CONFIG 設定により、#define ST4_OFF として機能をOFFにしていた。
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ArduinoMEGAとボードのピンアサイン確認して、Pins.H で割付を行い、前述のST4をONにして再コンパイルを行い、書き込む。ST4端子に何も接続せずに動作させてみると、赤道儀は恒星時運転をせずにかってに動き出す。PINの割付が悪いのかと思い、別のところにしても状況は変わらない。明らかに、ST4 PINに入力されているという状況。ソースコードをみると、ST4入力端子はソフトで Pullup 設定することになっているが、ArduinoMEGAではされないようだ。そのため、入力が不安定になり、勝手な動きをするようになったようだ。
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なので、写真のように、該当PINに抵抗をつけてハードでPullupした。これで、勝手に動き出すことは無くなった。

実際にフィールドで Starlight Xpress のLodeStar カメラを接続してPHDGuing でキャリブレーションを実行してみると、赤道儀が動きません、ということでエラーになる。実際画像を見ていても、全く動かない。

原因は、オートガイド端子の配線ミス。一般的にST4端子は、モジュラジャックを正面から見た図としてある。

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実際このとおりなのだが、手持ち資料の図のPIN番号が逆順で記されており、反対側から配線してしまった。

こんどこそと PHDGuing でキャリブレーションを実行すると、最初のステップで望遠鏡はいきなり大きく動き、枠からはずれ、星を見失ってしまう。
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原因がわからず、あれこれ操作してみてやっとわかった。
LX200のMOTORのスピードは、1.GUIDE、2.CNTR、3.FIND、4.SLEWとなっている。ST4ガイド入力がONになったときに赤道儀は、現在のスピード設定がどれであっても「GUIDE」にチェンジし、以降そのスピードで動く。
しかし、OnStepでは、そのようなことはなく、ST4ガイド入力がONになったときには現在設定されたスピードで動く。

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私は、図のように、シンプルなコントローラで操作することがほとんどで、ここで設定しているスピードで赤道儀は動くことになる。また、OnStep起動時のスピードの初期設定は、3.FIND のようである。

というわけで、スピードを1.GUIDEに設定して、無事キャリブレーションを終えて、オートガイドできるようになった。GOTOで望遠鏡を動かして、オートガイドをONにするときにも、スピードがGUIDEになっているか確認しないままに実行すると、星を見失ってしまうので、なかなかめんどくさい。
オリジナルのLX200のように、ST4入力があったら、強制的にスピードをGUIDEにすればよいと思うが、今のバージョンはどうなっているのだろう。

MEADE LX80 を Onstep に換装 準備・調査

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新しい年になった。
特別に新年の抱負というのがあるわけではないが、今年は、やりかけのまま放って置いたものを完成させたり、不要なものを整理することを加速させようかと思う。

というわけで、観測後電源を切り忘れたため、過負荷になり壊してしまい、長いこと放置したままとなっている MEADE LX80 赤道儀を Onstep に換装して、復旧させることにした。
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MEADE LX80はこんなに立派なマウントで、そのままにしておくにはもったいない。故障の原因は、過負荷によりDEC MOTORハウジングが熱で変形してギアがかみ合わなくなってしまったことにある。
以前にも修理を試み開腹してみたことがあるが、モーターユニットを交換するか、ギア部を作り変えるしかない。いまのところ、MOTORユニットは一個だけなら、ZIZCOから入手できるようだが、このユニットはモーターが高温になりやすく、通常の使い方でも同じような故障を引き起こすおそれがあり、ギア部分を金属ハウジングなどに組み替えなければ安心して使用できない気がする。

そこで OnStep への換装であるが、
 ・ST4やPCから自動導入ができる程度にしてできるだけシンプルに
 ・なるべく入手しやすい安価な部品を使う
 ・コントロール、モータードライバ基板などを本体に収納するようにする
という方針で臨むことにした。

Onstep 化には、ステッピングMOTOR とOnstep ドライブ基板が必要となる。基板は比較的簡単にできるが、ステッピングモーターは、ちょっと難題。
LX80 のモーターアセンブリは写真のようになっている。ウォームギアについている平ギアはそのまま使う予定。大きく見えるが、実装できるステッピングMOTOR は最大 長さ 60mm×40mm×40mm 程度となるだろうか。赤径・赤緯とも、同じアセンブリである。
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使えるステップモーターの大きさとしては、NEMA11~17 くらいかなと思うが、なかなか小形のものは、国内メーカーでは良さげなものは見つからない。
Aliexpress でさがしたら、このようなものが見つかった。大きさは、28mm角で本体長は60mm くらい。Φ6mm 20mm の軸が付く。

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このモーターは、遊星ギアなので、中心に回転軸がある。通常のギアだと、中心からずれたところにあり、小さなギアをつけることができるが、これだと、LX80のウォームについている平ギアを駆動するためには、直径30mm以上必要である。また、ギア比は、5.18:1で高速運転時にトルクが足りるかどうか。ギア比が14:1、19:1というのもあるが、長さが10mm ほど長くなり、実装ができるか。いろいろと疑問なところもあるが、比較的安いこともあり、テストのため 5.18:1のものを一個発注した。

Onstep 基板は、CONFIG でギア比などの設定を行えば ArduinoMEGA版がそのまま使えるが、大きすぎて本体に収納できない。なので今一番HOTなSTM32 Blue Pill版を採用することにした。このCPUボードは使ったことがり、Aliexpress では$2 以下で手に入り Teensy よりもはるかに安価にできる。Wikiでは基板のデータも公開されており、それを使ってそのまま中国のメーカーに発注して作ることもできるが、MEGA基板よりも大きく、やはりLX80本体に実装することができない。これは、公開されている回路図を参照して新規に基板を設計することにした。
モータードライバ基板は、高性能なLV8729を使用するのが流行のようであるが、手持ち在庫もあるので前回と同じく A4983 を使用した基板を使う予定。
他にもDS3231リアルタイムクロックやUSBシリアル、電源ボードが必要なので、該当のモジュール基板を Aliexpressに発注。到着したら、基板設計に反映していく。

MEADE LX80 を Onstep に換装 基板検討

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Aliexpressに発注したものが、届く間にLX80のOnstep基板設計についてもう少し実装を調査、検討。LX80のパネルをとりはずしてみると、表側は
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この裏にコネクタ接続とMOTOR ドライバボードがある。
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写真の上側がMOTOR ドライバ、下側がコネクタボードとなっている。これらの基板を全部取り外すと、85mm×50mm×25mmくらいのスペースは確保できそうなので、Onstep STM32 は、MOTOR ドライバ基板を分離すれば、十分に組み込めそうである。
この場合、新たにこの寸法に合うパネルを工作しなければならない。スイッチやコネクタの取り付けを考えるとかなり面倒な工作になる。おまけに、電源SWは、ハンダ付けを除去しなければ、取り外せない構造になっている。

なので、コネクタボードはこのまま使うことにして、外部に接続するモジュラコネクタと基板のコネクタとの配線を確認すると、以下のように。
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もともと、HBCのところには、AutoStarハンドコントローラ、AUX1のところには、Meade909 オートガイダーアダプタが接続される。

これをOnstepでPCなど、外部と接続するST4やシリアル通信信号に割り当てると
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こんなふうに過不足なく使えそうである。

必然的に、STM32基板はLX80のMOTOR ドライバ基板と同じ30mm×85mmの大きさとなる。RTCやDC-DCコンバータ電源基板などが届いていないので、それらを実装した形で製作できるかどうか。できないとなれば、どのように分割して実装するか思案中。

MEADE LX80 を Onstep に換装 基板設計

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Aliexpressに頼んでおいた、RTC、UART、DC-DCなどのパーツが届いたので、これらをならべて、基板の配置など具体的な設計を進める。
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パーツはこんな様子で左から時計回りに、RTC、STM32、TTL-USB UART、DC-DCコンバーターとなる。Onstep STM32のWiki では、一枚の基板にすべて実装するようになっているが、LX80の内部に実装することになると、スペースの関係で無理が多い。レイアウト・機能を検討したの結果、図のようにすることにした。
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RTCはMotorドライバ基板に入れ込むこともできたが、Motorドライバ基板はDEC側スペースに入ることになる。クロックの電池交換時にバランスウェイトをはずしたりしなければならず、頻度は少ないものの、かなり面倒なことになる。なので、単体で電池スペースあたりで動かすようにする。

そんなことをあれこれ検討して、メイン基板はこんなふうに、STM32 CPUボードとコネクタのみとなった。電源には、当初DC-DCを使おうと思ったのだが、スペースの関係と消費電流が小さいためシリーズREGとした。12V→5Vはドロップ電圧が大きすぎるため、抵抗で落とすことにしてある。
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Motorドライバ基板は、メイン基板からの信号コネクタとDRV8824基板が2個乗るだけである。放熱を考慮して大きな放熱板を取り付けられるようにした。
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基板の発注は、いつも利用している Elecrow を想定していたのだが、Fusion が新たに始めた、10cm×10cm以内 5枚 OCS送料込み$9.9サービスというの利用してみることにした。これは、以前の$7.9のサービスというのがあり、発送がシンガポール経由であったため、届くのに3~4週間もかかっていて、かなりやる気がそがれることがあった。深センからのOCSサービスだと製作にかかる日数も含めて、1週間あまりとで届くとのこと。

明日から1週間ほどの旅行。
帰って来るころには、基板が到着していて、製作に取りかかれるだろうか。

MEADE LX80 を Onstep に換装 パーツ・基板が到着

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旅行から帰国。
出発前に発注していた基板、パーツが届いていた。Onstepのメインとモータードライバの基板、その他の基板も合わせて、10cm×10cmにパネライズしたので、こんな感じの仕上がりで5枚届いた。これで$10 なのだから国内のメーカーには、すくなくともアマチュアは頼めない。
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これをカットして、Onstep用の基板はこのように。発注基板の空いたところを利用して、LX80 Onstepのロゴパネルも作ってみた。
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主要なパーツを乗せてみると、少し部品が干渉するところがあるが、おさまりは問題ないようだ。写真の一番上はオリジナルのモータードライバである。できあがった基板は、検討・設計時の測定ミスにより、取り付け穴の間隔が2mm短いが調整して取り付けが可能な範囲。
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ステッピングモーターも到着。とりあえず一個、大きさはこのくらい。こんな小さいMOTORで実用になる運転ができるか?
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本体のモーターモジュールと現物合わせをして、取り付け方法の確認、ギアの発注を進める。

エジプト ナイル川クルーズ 1

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いつかは行きたいと思っていたエジプト、この目で見たいと思っていたピラミッド。たどり着くのは簡単だが、外務省の海外安全情報でも十分注意なのでエジプト国内を個人旅行で旅するのは難易度が高い。なので、今回初めて添乗員付きのツアーに参加してみた。
例によって、妻による旅の記録。
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 「たまにはお任せの旅がしたいなあ」と夫が言い出した。
 今まで個人で旅行してきた。どこの国に行くとしても日本ほどシステマティックではないし、自分たちのペースで動くことに重きを置き、効率的に観光することを ハナからあきらめ、だらけた旅行で満足していた我々であったが。
 
 しかし世界には、それでもなんとかなる国と、なんともならなさそうな国がある。いくらだらけていると言っても、なんとかなりそうだから旅行するのではなく、行ってみたい
から旅行するわけなので。個人旅行にこだわらず、行ってみたいなりになんともならなそうな国を、クリアしましょうかということになったのだ。人とお金の手を借りて。で、その行先がエジプトだったのである。
 
 夫、あちこち旅行会社のカタログを見て、某大手の「ナイル川クルーズで巡る エジプト8日間」に決定。日程表はなかなかの強行軍だったけど、効率よくノルマをこなそうとしたら強行軍にならないはずはない。代わりに、何くれとなくお世話してもらえるという利点がある。
それでも荷造りは自分でしなければならないので、さてどんな服をもっていったらいいのかとそれが一番の悩みだった。調べてみたらエジプトのくせに(!)思ったより寒いのである。それでも詰めてしまいさえすればスーツケースは宅配便が持ちに来てくれるサービスもついている、便利便利。

 出発日は2019年1月9日。午後3時集合。あとで皆さんに聞いてみたら、この「午後出発」というのが非常にポイント高かった。遠くから参加する人が、前日泊が要らないというわけだ。こちらものんびり起きて、だらだらと手持ち荷物を確認するだけで良かった。

 成田までバスで2時間、スーツケースを宅急便で受け取り、改めて荷物をチェックインする。ツアーメイトは27人で、男女を問わず一人で参加する人も何人かいたし、旅先でまでダンナの面倒まで見たくないと友達同士で参加したグループもいたし、母と息子という組み合わせも母、叔母、娘という組み合わせも、いないのは男同士の組み合わせだけだった。

 それにしても成田も最近は何がどうなっているんだか、出発ゲートの周辺は「日本」を前面に打ち出していてマツキヨに電気屋に一風堂にと、至れり尽くせりだ。一風堂なんて人種を問わない行列ができていた。一風堂が全国にあるわけでなし、日本人も結構混ざっていたかもしれない。

 エティハド航空で、中継地アブダビまで12時間ほど。それからカイロまで4時間。
アブダビからカイロまでは満席だった。しかしながら皆さん何者で、何をしに行くのだろうかといったロマンチックな考えは、後ろの席の日本人の子供にぶち壊された。
3歳くらいのお元気すぎるお嬢様が座席をけりまくった挙句、「あ??ああああ、いやあああああ!足が、足がいたーーーあああああいいいい!!うわあああああああ!!」だと。できれば親御さんには蹴ってるところで止めてもらいたかったが、最後まで知らんふりだった。
なので最終的にはこちらも「もっと泣け、ば~か!席を蹴られなかった皆さんにおすそ分けだ!」といった気持ちになってしまいました。ほほほほほ。

 早朝6時にカイロ到着。空港でSIMカードを買いたいと言う夫。しかし携帯が日本語モードであったため、店員が手間取ってしまい、しょっぱなから皆を待たせ添乗員にお目玉をくらう。バスに乗るのは運転手のほかに日本人添乗員、カイロ大学日本語学科卒で日本で何年も暮らしたことがあるという現地ガイド、そしてツーリストポリス(観光警察)。
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ツーリストポリスが何ものかといえば旅行会社のお雇いボディーガードであり、銃まで携帯している。旅の間中このツーリストポリスはツアーに付き添っていたが、そろいもそろって若くて細身(当たり前ですね、いざというときに動けませんから)でハンサムで現実感がなく、絵に描いたような用心棒なのだった。
だが、着ているコートの下には自動小銃を携帯しているのだ。銃の見える写真は撮らせてもらえなかった。幸いなことには、最終日まで彼らはただの飾りで済んだのだがいや本当に飾りで済んでよかったです。

 バスではミネラルウォーターが渡されてやはり便利。朝もやの中のリゾートホテルで朝食。ホテルの庭にはアガベーなど植物が植えられ、まあリゾートホテルってば万国共通なんですなあ。けど、寒い。
沖縄なら冬で18℃とかなのにここは10℃にも下がる。バスの窓からはビニールとかのゴミだらけのナイル川が見えた。それにしても、そう広くもない、支流も何もかもナイル川だとガイドは言う。
まさかナイルが「川」という意味では?それにしても観光立国なのに商売道具がこんなに汚くていいのか。
水がある場所にはナツメヤシ、足元には牧草らしき草。最初は野菜かと思っていたが、馬やらロバやらが立派に現役なので、そちら用のガソリン畑なのだ。
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 しかし水辺の風景は長くは続かない。ちょっと曲がってちょっと走ればいきなり砂漠の風景となり、いきなりピラミッドである。これは大変、なんと本物のピラミッドではないですかあ!と、テンション上がる。
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それは屈折ピラミッドとやらで、大したもんでもないのかガイドからは「5分で写真撮ってバスに戻ってきてくださいね」と言われ、ピラミッドに触れようと走る。孫もいる同級生だっているオバサンが走る。夫はピラミッドの近くに真珠質のついた貝の化石を見つけて、ここは海だったんだ、と言う。
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 その気持ちのままでメンフィス博物館に連れていかれ、横たわったでっかいラムセス2世像を鑑賞。チケットは現地ガイドが買ってきて配ってくれるので、こちらは待っているだけで良し。
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当然名所には物売りがいて、色々売りつけてくる。「ワンダラー」と言われても1ドルでは済まされないからと旅の最初から最後までガイドには延々と言われ続けた。それはそうなんだけど、たまにほしいなあと思う場合あり、だが立ち止まる暇は与えられない。

 次はといえば、砂漠の小高い場所で、そこからピラミッドがきれいに見渡せるビューポイント。もちろん物売りもいるし、ラクダもいる。乗ったが最後、ぼったくりなお金を払うまでおろしてくれませんよとガイドは言い、乗る暇もだまされる暇も与えてくれない。ともあれ地平線の彼方モーリタニアまで続くという砂漠にラクダという添え物があるのは悪くなかった。
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モーリタニア。砂漠はそこで海と出会い、その海に生息する代表的なものといえばタコ・・・?
 足元には時折馬だかラクダだかのフンが転がっている。犬のと違ってそうそう見られないものなので興味深くはある。いや、エジプトには野良犬もごろごろしてるから、犬フンもあったのかもしれない。
バスに帰ろうとしたら、黒いレトリバーみたいなのの子犬が5,6匹もまとめて寝てたりした。いまどき子犬のかたまりなんて日本ではそうそう見ることはないし、かわいいなんてもんじゃないが添乗員が「触らないでください!」と。まあそうですよね。

 次は絨毯の学校へご案内される。子供たちが細くて小さな手で細かい仕事をして多少のお金を得ながら学校に通えるようにしているらしい。
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ここの絨毯はトルコより安いと言われるし、奨学金として買わないでもないけど、我々は当のトルコでも買ったことがない。かくなるうえはかねてより用意の4色ボールペンとかアメちゃんとかでも子供たちにやればよかったんだろうけど、全部バスに置いてあった。トホホ。

 昼食はピタパンみたいなのに野菜とソースを挟んで食べる前菜?とごはん、ゆで野菜、ビーフシチュー。ツアー客は他にもいて、ここはツアー専門レストランなのかもしれなかった。
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盛り付けが面白くなるほどテキトーで、ゆで野菜の量がまちまち。夫のはニンジンばかりで私のはズッキーニだけ2つ、具の種類を公平に入れることってそんなに難しいことだろうか??

 午後からは早くもエジプト考古学博物館見学。14万点の収蔵品のうち、レプリカは
ただ一つ、それがロゼッタストーン。本物はどこにあるかといえば、大英博物館の玄関。出来ればエジプトに戻してほしいところだろうけど、「あんたんちには他にいくらでもあるでしょ!」って言われてそう。それは泥棒の勝手な理屈だけど、「人類の遺産なわけなんだし、革命だなんだでいつどうなるかわからないオタクの国に置くよりは、ウチに置く方が全然安全じゃね?」とまで言われたらエジプト政府も返す言葉がないだろう。
 ところで、ロゼッタストーンはロゼッタの街から出たのでロゼッタストーンなのだが、
解読したのはシャンポリオンで、フランス人。ストーンは今やイギリスに。なんでこうなる?

 エジプトオタクにはたまらない収蔵品の数々の中、ツタンカーメンのお部屋の数々の黄金の収蔵品のまばゆいことまばゆいこと!だが、ふと気が付いてみれば、まばゆいものはここにしかないのである。ほかのお墓はとっくの昔に墓泥棒に入られていて、何も残ってはいない。だからこそツタンカーメンの副葬品は貴重なのだ。他の王墓に泥棒が入っていなかったらとも考えるが、逆にこのツタンカーメンの墓にも泥棒さんが入っていたら、考古学博物館の収蔵品はみ~んなくすんだ色のものになっていたはず。
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写真チケットを買わなかったので、館内の写真はない。

 しかし、どの時点で墓泥棒が入ったのだろうか。死後の生活のために副葬品を入れておいたはずなのに、なくなっていたとしたら、王様、ふと気が付いたらすってんてんの身の上になってることになる。一種のLost Bagage? お財布もなくて。まあ、お気の毒。にしても泥棒さんたちは、どう見たって墓から盗んできたとわかる品物をどうやって売りさばいたんだろう? あの形のまんま売れるわけもないから溶かしたりしたんだろうけど、買い手はどんな人だったのか。

 夕食はナイル河畔の船上レストランにて牛肉のキョフテ(ひき肉を焼いたもの)とゴハンのつけあわせ。ここでは、ビールが飲めて 500ccで770円。
ホテルはナイル河畔にあって眺めもよくなかなかに豪華だったが翌日は2時半起き、成田を出発以来40時間くらい一度も体を横にしたことがなかった身では、8時半にはベッドに入るしかなかった。
 

エジプト ナイル川クルーズ アスワンへ

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 2日め、朝2時半に電話がなる。前夜8時半に寝たところで0時にはトイレに行くことになり、疲れているのでまたけろりと寝入り、午前2時半には電話が鳴って「グッモー
ニン、サンキュー・・・」と言いはしたが、あれはベルが時間になったら鳴るように設定されたものであって、その向こうには人間はいないのであろう。

 せっかくの高級ホテルなのに堪能するまもなく、午前3時半に出ていかなければならない。だが、ロビーに出て行ったら、結構な数の人間がいた。旅先では日本人ばかりが早く起きて、外国人たちはゆっくりと朝食をとる、というのはうそだ。ツアーとなればどこの国の人間でも早朝から起こされてしまうのである。

 ホテルで食事はできないが、ホテル側から朝食用のお弁当をもらい、アスワン行きの飛行機に乗ることになる。さすがは高級ホテル、コッペパン2つに挟まれているのはチーズとハム、他にただのコッペパン2つ。ゆで卵にリンゴにパック入りジュースにバナナにヨーグルト、ジャムやバター、他にペストリー2つ。しかしこんな早朝からおなかに入るわけもなく、飛行機に乗るために液体のヨーグルトやジュースを片付けるのみ。
 
 7時10分 アスワン空港到着、バスに乗って、まずはヌビアの街にある、石切り場の未完のオベリスクを見に行く。そもそもアスワンのあたりは上等な赤御影石の産地で、ここの石を使って神殿だの像だのをこしらえ、ナイル川を船で運んでいたらしい。このオベリスクはエジプト最初の女王、ハトシェプストのために石切り場から切り出そうとしたはいいがヒビが入ってしまい、修正しようにもできず、以来何千年もほったらかしというオベリスクであった。
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 次は、アスワン ハイ・ダムに連れて行かれる。
ダムを挟んで片側がナイル川、反対側に広がっているのはナセル湖。実際ヌビアのあたりから上流は船の航行に向かない急な流れとなっており、それゆえ国防にもダムの造営にも好都合だったらしい。ナセル湖は琵琶湖の10何倍といったか、エジプトからスーダンをまたがって広がっている。しかし湖のすぐ隣はもう砂漠になっていて、ビューポイントとて花が植えてあるが、その足元には給水パイプが見える。ハイ・ダムと言うので期待していたが広さはともかく高さは黒部ダムと比べるべくもない。
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 次はヌビアの香水店に行く。香水店と言っても香油で、つまりはエッセンシャルオイルだな。この工房ではガラスのちまちました香水瓶を吹きガラスで作っていて、カワイイので買っている人も多かった。香油は色々試してくれるが水仙もオレンジの花も思ったのと違うイメージで、仕方なくバラとミントを買ってみたが、値段はともかくとして、日本でも同じようなものはいくらでも買える。面白いのがバラだろうがミントだろうが30ccで一律1500円だということ。純粋のバラのオイルがそんな値段で買えるわけもないと思うし、ミントなんて近所の庭にいくらでもはびこってたりするんだが、鼻づまりに効くし、これから花粉症の季節だし、ま、いっか。・・・だがこのミントが、意外なところで役に立つのである。
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 店を出て、バスに乗ったのは11時ごろ、お昼のお弁当と本日の水(ペットボトル500cc)を渡される。今度のお弁当は宿泊予定のナイル川クルーズの船で作られたものだった。高級ホテルと似たりよったりといいたいところだが、コッペパンに挟んである肉は硬くてパサパサ、何の味もしない。しょっぱいオリーブの実が添えられているので、このオリーブをパンの合間にかじって食べる助けにせよということらしかった。多分エジプトでは普通の味とか食べ方なのだと思う。またまたリンゴがついてきて、エジプトでリンゴはとれないけど英国の統治下にあったから外国人とみればリンゴを用意してしまうのか、とにかく弁当といえば必ず小さな酸っぱくておいしいリンゴがついてきた。

 アスワン・ハイ・ダムを出ると最初に作られたロウ・ダムを見ることができる。こちらはイギリス主導で造られたがちょっと小さすぎた。それでハイ・ダムを造ることになったが、今度は旧ソビエト連邦の協力で作られることなった。このへんは昔、教科書にもあった気がする。旧ソ、懐かしいですねえ。
砂漠は本当に砂と石ころだらけ。それでも、さらさらした細かいきれいな砂があるところがあり、途中下車。こういうものをビンに詰めて沖縄の「星の砂」のように「砂漠の砂」としてお土産にしたほうがいいんじゃない?
  
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 ここから3時間、280kmをサハラ砂漠の中を時速100Kmでツアーバスはひた走る。他の車を追い抜いてまた走る。途中、蜃気楼を見ることができますと言われ、わけがわからない。ああいうものはたまーに出るものであって、当たり前に毎日みられるところがあろうとは思わなんだ。でも途中で本当に見ることができた。延々と出ている。まじですか。蜃気楼とは光の屈折で遠くの風景が見えるのだというけど、それじゃ今あそこに見えている風景はどこのなのか?大抵この答は出てこない。白い砂の上には、燃え尽きて真っ黒な骨格だけになったバスが1台取り残されていた。なんでこんなところにあるのやら。
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 アブシンベル大神殿。バスから降りて砂山をぐるっとめぐるといきなりナセル湖と神殿が現れる。何しろ大きい。ピラミッドといい、ここまで来ちゃったんだあああ!!と心拍数上がる。ガイドによれば、ナイル西岸に建てたのは、南から来る他国の人間にエジプトの権威を「一発かます」ためでもあったのだという。
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 しかしそんなアブシンベル神殿も本当は現在の場所より60mも下にあり、実はハイ・ダムの建設にあたり水位が上昇するナセル湖にけろりと沈む運命だった。「いいじゃン別に水に沈んだって。それがどうかしたの?」的なエジプトに「それが何かってあんたね、あんな人類の遺産をそのまんま水没させてどーすんの!!」と言ったかどうかは知らないが、あわてたユネスコがお金やら何やら集め、やる気のないエジプトに代わって現在の場所に移設した。エジプト、なんかすっごく得してる感じ?

この下が神殿の元あった場所、水を満々とたくわえたナセル湖の対岸は全く緑が見えない。
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 アブシンベル大神殿の中の様々な象形文字、彫像を見るにつけ、よくまあこんなものを水に沈めようだなんて思ってたもんだと驚く。が、エジプトでは神殿は割と普通にあるものだったのかエジプト人の関心をひかず、すでに紀元前6世紀ころから砂に埋もれ始め、19世紀となってそれを掘り出したのがイタリア人ベルツオーニ。

 それはいいんだけど巨大なラムセス2世像の足には1800年代の年数とどこかの国のバカの名前が大きく掘ってある。そんな昔にここまで来れるというのはお金と教養があるという意味のはずなんだが、なんでそこまでしでかしちゃうんだか。よっぽど興奮したのか。こいつのおかげでここまで来た人類全体、ほんとがっかりしちゃうんですが。
 
 エジプトとかギリシャに行くのは日本で例えてみれば同じ外国人でも北海道にスキーに行く人、秋葉原や中野に走る人、じゃなくて京都に行く人なはずなんだけど、おかしい、この人ってばスキーに行って入ってはいけないところに入って遭難する人になってる。 

神殿の中は撮影禁止となっている。管理しているこの人、「中は撮影禁止だけど、入り口からならOKよ」と言って、入り口に客を立たせて写真を撮り、上手にチップをもらっていた。このひと公務員なのかしらん。
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 そして、エジプトの観光地では、遺跡からバスに帰ろうとすると途中必ずお土産屋の中を通っていかなければならないシステムになっている。待ち構えた店の人々からは、「ワンダラー!」という言葉だけならともかく、なぜか「ヤマモトヤマ!」とか「カカクハカイ!」とかの言葉が飛んでくる。そしてガイドは客を守ろうとするあまり買う隙を与えてくれないのであった。
 
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 その後、また3時間かけてアスワンの街までたどりついた。夜はとっぷりと暮れてナイル河をクルーズする船に乗船。荷物を運ばなくて良いのは助かった。香水店に行った時点でお弁当とひきかえに荷物は船に運び込んでしまったらしい。部屋にはハエが1匹いた。散々水のない砂漠を見た後だと、頑張って生きているなあと思いはするが、顔にまとわりつく。さてどうするか。夫がミントを使えばいいという。首元に1滴たらすだけでハエは嫌がってこないと。
香油を買ったところでググってみたら、そういう効能が出ていたらしい。やってみたら確かに来なかった。夫よ、女子力高いな!

 船内の夕食はビュッフェ形式でサラダ、牛肉・鶏肉系、野菜の料理、豆料理がそれぞれ2~3品目。デザートは甘いもの系とくだものが数品目でなんとか好みのものにありつける。アルコールは、ビール500mlが400円くらい、グラスワインも同程度。支払いは、エジプトポンド、ドル、クレジットカードもOKだった。
 その夜は舟のイベントフロアでベリーダンスのショウがあるとのことだったが、洗濯して眠ってしまった。

エジプト ナイル川クルーズ コム・オンボ、エドフ

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 まともな時間に起きていいという、初めての朝だった。と言っても起床は6時半、クルーズ船は早朝アスワンを出て、すでにコム・オンボについていた。エジプトの名所旧跡、人間が住めるところは全て川沿いにあるので、ナイル川を航行する観光船は250隻もあるのだとか。ここでやっとお洗濯。だが、それを喜んでいたらガイドに怪訝な顔をされた。
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 船内のレストランでのバイキングの食事。牛肉は今まで出会ったことがないほど硬く、魚も魚として出るのではなく魚も入っている魚料理といった趣、まずくはない。野菜料理が充実していて、サラダバーはレタスやにニンジンが別々に置いてあるだけでなしに野菜を何種類か既にあえてあるものが4,5種類も出ていて毎食が非常にヘルシーだった。
 
 もちろん異国の食べ物が口にあわない人もいて、カップラーメンを大量に持ち込んでいるとのことだった。聞けばそこまででなくともオリーブ油がダメだとか羊がダメだとか、軽いところではエジプトくんだりまで来てコメの味を呪う人もいた。コメだっていうだけで十分ではないかと思うが、いったんコメの顔を見てしまったら白くないだのながっぽそいだので悲しくなれるのが日本人なのだろう。
  
 本日最初はコム・オンボの神殿観光。既に船は船着き場についていて、「8時半出航」の文字を横目に船を出る。と目の前には別の船がありその中を横切ってまたひとつの船に出て、そこでやっと陸に上がれるのだった。「なんだかひとんちの庭先歩いてるみたい」という意見が聞こえる。それもそうだが、船によってムードが違うのが面白い。私たちの船は「ロイヤル イサドラ」という名前で五つ星というふれこみだったが、5つ星の内容を添乗員に聞けば「5つ星にも松竹梅がありまして・・ 」ときた。なるほど。こっちだって、今更どうせいというつもりもないし。
 
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 コム・オンボの神殿は川のとなりにあり、10分ほど歩くとのことだったが5分もかからない。ぐるり巡って正面から入る。昨日のアブシンベル神殿も大きかったが、こちらはまた大きく広い。列柱の見事なうえにヒエログリフの色も美しい。浮彫にされたクレオパトラの姿や、当時の、今でも通用している様々な医療器具の姿も記録されている。現地ガイド、ここぞとばかりに当時のエジプト人がいかに世界に先駆けて優れていたかを力説する。わかったわかった~。
 
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 しかしながら当時のエジプト人は多神教、現在のエジプト人の9割はイスラム教徒。この現地ガイドさんもイスラム教徒、メッカへの巡礼までしている。その昔の強烈に偶像を嫌う原始キリスト教徒によって破壊されたエジプトの神々の遺跡を思えばこの人も「一神教はやはりよくないようです!」と言うのだが、イスラムだって偶像を嫌う一神教なんですけど。そういうつっこみって、ナシ?
 
 このガイドさんによればできれば自分もラムセス2世のように奥さんを20人もらいたいもんだと思っていたが、いざ結婚してみたら一人で十分だったと同じたわごとを3回くらい語った。現在でも法によれば妻は4人までめとることができるけど、全員に平等にしなければならないらしい。嫁とり放題は男の夢かもしれないけど、王の結婚がただの結婚であるはずがなく、王の前に差し出されるような女が海千山千でないわけがないと思う私は大人になってかなり久しい。
 
 外には井戸があり、これはナイルに続いている「ナイルメーター」であるとガイドが語った。その年のナイル川の氾濫の水位イコール収穫量だったわけなので、このメーターを見ることで神官たちはその年の税金を決めることができたらしい。氾濫といっても、じわじわと水位が高くなっていったのか、それともいきなりどーんと洪水となったのかは聞かなかった。
  
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 集合時間は8時45分でえす、とガイドさんが言う。8時半に出航ではなかったのですかと夫が問えば、「こんだけの人数、置いていけるもんですか。あっはっは~」と。神殿出口には小さな博物館があり、ワニのミイラがみられるという。現地ガイドは「大したことないです」と言うし、おなかの調子がいまいちだし船は目の前なのでお先に帰らせてもらうことにした。すぐ近くだとこんなにも楽なのだなあ。
 
 私たちの組が乗り込んで次の港エドフに向けて出航。10時から船内で現地ガイドによるカフェタイム、質問コーナーがあり、その後は現地ガイドによる、名前入りのエジプト綿のTシャツやポロシャツの注文タイムへと。そのへんの中国製と違ってこれは本物で、頑丈です!と現地ガイドが力説。色、パターンが選べてなお、ヒエログリフでの名入れができる。名前はヒエログリフなので、渡す相手を間違えても大丈夫というスグレモノなのだ。
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船の外には小舟に乗ったエジプト人が様々な品物をもって売りに来る。バスタオルとかテーブルクロスとかこぶりの絨毯とかだ。見本だと言って3階や4階のデッキまでばーんと投げ込み、「300ドル!」って、そんな値段の品物を売る態度ではないでしょ、それ!
投げ込んだものは無事にデッキに届いたが、たまにプールに落ちてしまうものもあるそうな。
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だが剛の者はいて、5ドルで買った人がいるのである。夫が巡り合ったその人はもちろん日本人ではなく、イギリスのご婦人、トルコに赴任してたとのことであった。
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ナイル川下りは続く。上りのクルーズ船も続々来るのが見える。なるほど、250隻というのは、あながち嘘ではないらしい。
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 お昼は船の中でバイキング。そうこうしているうちに船はエドフに到着、ロビーに集合して、エドフのホルス神殿観光へ。
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馬車が雇われていて、二人1組で順次乗って行く。街中を通るので楽しい。いやに流行っているパン屋などが見える。しかしこの馬車というのが非常にボロくてほこりだらけで周囲は馬糞の薫り高く、エキゾチックという表現で済ませることができないツアーメイトも何人かいた。
 
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 ホルス神殿に到着。厩舎というか馬車停の壮観なこと。
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ハヤブサの姿をしたホルス神の姿がカッコイイ。1860年ころまで砂に埋もれていた。
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だがそれまで完全にほったらかしだったわけではなく、キリスト教徒が住みこんで壁画の顔だけ丁寧に丁寧に端から削っちゃったり、煮炊きしてススだらけにしたり、しかる後にキリスト教徒も去って砂に埋もれ行く時間があった、と。掘り出したのもフランス人だからキリスト教徒で、その頃は砂に埋もれていたせいで彩色も残り、きれいな神殿であったようだ。というか現在のエジプトの神殿はどこに行っても砂色にぼけつつあるが、もともと鮮やかに彩色されていたらしいのである。現地ガイドが往時の姿を写真集で見せてくれたがこれは新鮮な驚きであった。今でも残っているのは砂に埋もれていた経緯や、湿度の少なさが関係している。

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 帰りがけ、「もうヒエログリフ飽きたー」という忌憚のないご意見が聞こえ、日本人ガイドがあわてているのが聞こえた。だからと言って、この国で他にどうしろというのか。

 現地ガイドより、「御者からはチップをくれと言われますが我々がやっているので必要ありません!」とのお達しあり、しかしそれでも御者から1ドルくれ~くれ~と言われ、ひたすら無視をきめこむ。後ろ向いてないで前向いてよ~、と思うが馬も優秀?なので御者の、真っ黒くて風呂とはあんまり関係なさそうな爺さんが後ろを向いていてもちゃんと走ってくれる。ツアーメイトたちも、ガイドの言うことを一生懸命守り、頑張って爺さんを無視しているようだった。だが残念ながら「1ダラー!」と言いながら船着き場をとっくに過ぎたところまで連れて行かれてしまった人もいた。

 かくなるうえはエジプトにヤンキーの集団でも送り込んでやりたいものだがそんなのは小説にはなろうとも意味がない。そして何が面白いかといって、あの小池百合子はカイロ大学出身なのである。このイスラム教国で、異教徒の女子としてどんな目にあったのか、どうやって跳ね返してきたのかと思えば言葉にならない感動がわいてくる。どこかに何か書いてないものだろうか。もはや黒歴史なのかしら。

 帰ってからは、夕食まで自由時間。船は次のルクソールに向けて出航、ナイル下りは続く。今夜は水門を通過するとのこと。
部屋でくつろぎながらナイル河岸を眺める。牛や馬、畑、何かを燃やしているのが見える。流れはゆるやかだが、川幅はたいして広くない。対岸が見えないことは全くなく、近場では多摩川のイメージ。時々他の遊覧船とすれ違う。どこの船でも最上階にはプールがあるらしく、この寒いのに上半身裸の白人もいる。ナイル川と並行して走る列車も見えた。
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 エジプトの石像の上半身裸ファッションを思えば、冬がこんなに寒いなど誰が考えつくだろうか。私は外に出るときにはヒートテックの下着の上にニット見えフリースを重ね、その上からウルトラライトダウンのベストを着て、なおその上に薄いハーフコートを着ていた。ニット見えフリースでなくばフランネルのシャツである。・・・ユニクロづくめじゃないかと言われればそうでないのも持って行ったんだけど、誰でもわかるように体感温度を表現しようとしたらユニクロが一番わかりやすいのだ、そうなのだ。

 なーんて本当は着ていた。が、ツアーの中で堂々とユニクロを着ているのは私くらい。荷物の量も我々夫婦はダントツに少なかった。手荷物も、下手するとハーフコートのポケットに突っ込んでしまって観光に出かけたが、他にはそんな人は一人もいない。こちらも不思議であったが、あちらにしてみればあれでどうやって人間の尊厳を保てるのかと思ったかもしれない。こちらは日が経つにつれて処分できるように荷物を組み立てたが、他の人々は処分できるようなものは持ってきていないのかもしれなかった。そうそう、誰だかが100均一のパンツを持ってきて捨てて帰るのだと言っていたが、それも男の人だったし・・ パンツじゃ荷物の量にはあまり変わりはないな、あはは。

 夕方、水門を通るのを見物しようと外に出た。それまで部屋の中にいたのでさながら私は幽霊になった気分、窓という名前の大型テレビの画像を見ているようでもあり、自分もエジプトも、存在がいまいちはっきりしなかった。だが、外に出たらいきなり匂いが襲ってきた。対岸まで何メートルもあるというのに馬糞の匂い、何かを燃やしている匂い。それでやっと実感を得られた。実感はもうひとつ、寒いーーー!!
 夕刻のアザーン、イスラムのお祈りを呼びかける声があちこちから聞こえてくる。思った以上にモスクの数は多い。

 待って待って待って、お祈りもクリアして、やっと水門通過が始まると思ったら船の前にいきなり小舟が割って入り、また何やら売り出した。非常に危ない行為に見えるが、これでいいのか。しかしこれでびびってげんなりしていては楽しめない。300ドルをせしめた人は天にも昇る心持だったろうし、次は思い切って500ドルというのかもしれなかった。
 
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 現地ガイドにさんざん言われさっさとお店の前は通過させられてはいたが、時々現地ガイドもバスの中で物売りの品物を見せて手伝いをしてやることがあった。買うな見るなと言っておいてなんなんだよと、なんーとなくバスの中では冷えた空気さえ漂ったが、5ドルのヒエログリフを印刷した布袋(博物館のショップだと10ドルくらい?)だったりして今思えば買ってもよかったと思う。エジプトでは生きていくのが大変だから、現地ガイドもたまには親切にしていたのか、それともバックマージンとる約束だったのか?
   
 夕食は唯一もってきたワンピースを着た。寒いとは知らないときに買ったもので、長袖ではあるが綿の1枚仕立て、室内であり、中にヒートテックの下着を仕込んでもなおうすら寒かった。細い毛皮の襟巻1本あれば!もちろん、もってきてない。船の夕食バイキングでは、値段が下から2番目のボトルワイン赤を注文、3500円ほど。ボトルキープも出来ますし部屋にお持ち帰りもできますよ、と添乗員が教えてくれたが、何度か料理コーナーを往復しながら全部飲んでしまった。

エジプト ナイル川クルーズ ルクソール

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 ルクソールの朝。
 朝食バイキングではコーヒーは無料だが「ネスカフェ」と呼ばれていた。普通のコーヒーも持ってきているけれど、ここでお湯をもらって自分だけ飲むのも気がひける。夫はティーバッグの緑茶をもっていったが、熱湯をくれるボーイの視線にさりげなくチップ要求モード入ってきたそうである。

 船には売店があり、エジプト風の洋服だのネックレスだのを売っている。だが、こういうエキゾチックな品物に対しては2種類の考え方がある。突飛すぎて帰ってから着られないものは、買っても損!というのと、こんなもんは遊び以外の何ものでもないんだから、その場でガンガン着て、帰ってからのことは考える必要なし!というのと。
 
 それが5ドルであるならば、エジプト風の不思議模様を楽しんでもいいはずだが、エジプトへのツアーに参加できるような中高年の日本人には、値切るのと、はめを外すのは大の苦手なようであった。ツアーというのは結局、暗黙に日本的に縛りあうもののように見えてくる。そんじゃオマエはそれを5ドルまで値切って楽しんだのかと言われれば、値切るのが面倒くさいしそんな時間なくて。すいません。

 本日はバスに乗る。ルクソールは今までにない楽しさ。というのはエドフでちらっと見ただけで、今まで人の暮らしを間近に見ることがなかったからだ。ルクソールは水が豊で、畑にはサトウキビ、キャベツ、バナナのほかにも何かの果樹らしきものなどが植えられて道の両脇には街路樹、なおかつその枝がバスに木陰をつくっている。
 
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 用水路の向こうには小さな家が続き、馬やロバ、ヤギにニワトリ。畑の作物はなぜかドブ漬け。日本の場合は水はけに気を付けるのに、こちらの畑は田んぼに畝作って水の上に作物植えてるかんじ。強迫観念的に水を切らせられないのだろうか?
 
 まずはメムノンの巨像とやらを見に連れていかれる。でーんと広い土地に顔のない巨像が2つ座っているだけ。本当は後ろにアメンホテプ3世の葬祭殿があったらしいが、王の子孫が自分の墓だったか何だったかを造るために壊して石材をもっていっちゃったとのこと。(これは今までにない理由ではないか?自分の墓を造るために先祖の墓を使っちゃうってのは?)その横には畑や小さな建物があり、畑にはでっかいクローバー、家の横にはロバさん。
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 その次はハトシェプスト女王葬祭殿。こちらは砂漠の中にある。丘を背景に2層に掘ってあり、中央には階段が配されている。このデザインは秀逸、変な言い方だけど宗教感すごい!だが、残念ながら女王が亡くなると後継者であるトトメス3世にあちこち壊されている。自分が王になるはずがハトシェプストにいきなりエジプト初の女王として長々と君臨されて待たされた恨みを晴らしたのだそうで。どうしたのかというと、像に火をかけ熱したあと、水をぶっかけるという方法だったそうである。すると石はぱりんと割れるそうな。これをいちいちやらせたんだなあと思えば細かいというか陰湿というか。当時ダイナマイトも重機もなくてよかったねえ。
 
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 ハトシェプスト女王の葬祭殿は少なくともツアーの中では他に類を見ない建築で神聖さを感じさせてくれた。他のものは石像どーん!列柱どーんどーんどーん!色が薄れかけたヒエログリフで埋もれていて、石室の上には星空やススで、こんがらがりそうなのだが、この葬祭殿だけは間違いようがない!(いや、アフリカ大陸の土まで踏んだんだからさ、そのへんはきちんと復習して間違えないようにしようよ、私・・)
 
 そして、王家の墓。ツタンカーメンの墓を発見したカーターが住んでいた家や丘の上の早稲田大学を横目に到着。その王家の墓のビジターセンターに入ると何か懐かしい雰囲気がしておかしいなと思えば「日本の鹿島建設が作りました」と現地ガイド。中央に模型が作ってあり、谷の地形とその入り口から地下に向かって様々な墳墓の通路が伸びている様子がわかる。「さすが日本人、細かいです~」と現地ガイドは続けたが、そっちももう少し細かくやろうよ!
 
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 トロッコ?みたいなのにみんなで乗り合わせて谷に向かう。ラムセス2世やツタンカーメンの墓に入る。だが、墓の御物は墓荒らしにもっていかれて、見物できるのはワクだけ。ツタンカーメンの墓の御物だけが古代エジプトにおける金ぴかの唯一の証拠かと思うと情けない。墓荒らしの皆さんが特別に優秀だったのか、職人たちの口がおもいっきりゆるかったのか、それとも王族が呑気すぎたのか。

王家の谷に入り口、山の上には携帯電話のアンテナが見える。 
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 それにしてもこの人生で、エジプトもそうだし「王家の墓」なんてものを本当に見ることがあろうとは思いもしなかった。あんなものはテレビの中のヨタ話(ひどいわ!)とか、小学5年生とかの付録についてくる読み物の中、さもなくば山岸涼子の漫画の中の話だったんである。そして、どうせ行っても物売りに囲まれ、トイレやそのほかのことで不自由するだけの話だろうと思っていた。こんな私でもお金さえ払えばエジプトくんだりまで行って帰ってこれる。よーく考えてみればこれはすごい話である。
  
 しかし、ここで船に帰ってお昼バイキングご飯なのである。エジプトはハト料理やひよこ豆のコロッケが名物らしいが、バイキングのすみっこにさえもそんなのは出てこない。食べたくない人もいるのかもしれないが、食べてみたい人もいるんである。エジプトにいるときからエジプト料理に飢えなきゃならず、帰ってからエジプト料理店を探してみようかと思わざるを得ないのはツアーだからで。食事だけ野放しにしてくれるツアーってないのかなー。
部屋に戻ると、ベッドメイキングしたあとに、バスタオルでこんなお遊びが。
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 またバスに乗ってカルナック神殿。正しくはカルナック神殿複合体とやらだが、公開されているのはそのうちの太陽神アモン・ラーのもののみ。と言っても十分に広い。おなじみの巨大な列柱の先には神官が身を清めたという池まである。だが最近はアスワン・ハイ・ダムができたおかげで水の入れ替えが必要となっているとのこと。
 
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 現在エジプトで使用している土地は5%ほど、他は砂漠なんだそうで日本はどのくらいなのかしれないけど使ってないところは山ですね。(旅の間中、そのへんのエジプト人に山だの雨だの見せてやりたいもんだなと思った)現在ナイル川に支流を造り、15年後をめどに使用可能な土地を増やそうとしているらしい。その土地はとりあえず畑になるんだろうと思うと、まずはそれからですかとがっくりし、15年後を見てみたいと思い、その時の自分の年齢を思ってなおがっくりした。さっさとやんなさいよ全く!! 
 10歳くらいの男の子が寄ってきてボールペンくれと言う。そう、なぜかエジプト人はボールペンが大好きで、特に4色ボールペンに目がないという。来る前に100円均一に行ってみたら3本で100円だったので2セット買ってもってきていた。だが、見知らぬ人にいきなりボールペンやることもないし、ツアーでチップから守られているので出すこともなくそのまんま。結局、情けない感じの10歳くらいの男の子に思わず渡したのはアメ。これは友人がくれた塩補充アメとかいうもので、なんとなくバッグに入れてあった。後でなめてみたら一種の薬用と知らなければ美味しいものでもない。すまん。その後、同じボールペンでも中国製のは要らないといわれた人もいることが判明。なんだかなー。

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 バスに乗ってルクソール神殿に移動。バスの前には、バナナを満載したトラック。そのまた目の前をサトウキビを満載した列車が横切る。どうもサトウキビはただ載せてあるだで、通りすがりに何本も零れ落ち、落ちたのを子供が拾ってかじっている。せめて、せめて紐で積み荷を縛ろうよ!!その手間が惜しいくらい安いの??
 
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 ルクソール神殿。朝、でがけに船を降りた川沿いに大きな石がゴロゴロしてる場所があると思ったら、それがこのルクソール神殿の裏側であった。小さなスフィンクスの参道を横目に入るとオベリスクが1本だけ立っており、もう片方はフランスにやったのだという。お返しにと大きな時計台をもらったが、これは1週間もしないうちに壊れてしまい、治そうにも治らず「騙された時計台」として有名なのだそうだ。なんだろう、砂で壊れたのかしらん。オベリスクだって、そんな気候が違うところにもっていかれて大丈夫なのか?
 
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 神殿の内側にはキリスト教徒が住んでいた時代のあとが残っており、例のごとく煮炊きのあととしてススもついているし、地味に彫刻の顔も削られており、そのうえからしっくいで塗ってきれいなフレスコ画?も描かれているけれどこれまた時の流れとともにそのしっくいが剥がれ落ちて元々の姿が見えるようになってきている、とのこと。
 
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こんな彫りこみも
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 夕暮れのルクソール神殿でトイレに入る。現地ガイドが話をつけてあるので我々は合言葉(!)を言うだけでよく、小銭を用意することもない。しかしながらトイレのボロさだけはいかんともしがたく、「あああああ大変、水が止まらないーーーいい!」という声が。「どうしよう!?」と聞かれ、ほっといて出てくるよう促す。私たちに治せるわけもなし。
 
 もちろん世の中には治せる人もいる。椎名誠の「ロシアのニタリノフの便座について」なるエッセイの中には、なぜか壊れているロシアの様々なものが許せず、端から治していく人物が出てくる。タイトルに便座が出てくるくらいなのでビロウな話が多いが怒らずに楽しめる人にはおススメである。
 
 ところでルクソールの神殿の裏側にはガーデンミュージアムがあった。雨が降らないので遺跡の石を色々そのまんま庭に転がしておくだけでそんな名前がつけられるのである。それはいいが、ロープが張ってあり英語とアラビア語のほかになぜか日本語で「立入禁止」と書かれた看板が。なんで日本語?日本人、何やったの?
 
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このあたりで、こんな彩色陶器のかけらもひろったのだが、当然ながら持ち帰れず。
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 この日あたりから、ツアーの間でカゼひきが出てきた。バスのあっちとこっちとでセキで会話してるかのような有様。「ごふ、ごふ。(もうかりまっか?)」「げほげほげほ!(ぼちぼちでんなあ)」って感じ。明日はカイロへの移動、またまた2時半起きなので、こちらもビールは少しだけにして、荷物をまとめて寝た。

エジプト ナイル川クルーズ ギザのピラミッド→帰国

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 朝3時半だったか、お弁当もらってクルーズ船を下船。ルクソール空港へ。
荷物検査は2度あり、最初は空港に入るためで2度目は飛行機に乗るため。ここの職員の手荷物検査はボディーチェックはやるけれど、荷物を入れるカゴを次に使う人たちのために戻す、といった仕事をやらない。ゆえに乗客が自分が持ってこなければならず、ひたすら渋滞する。多分ヒエラルキーとして、身分上やったらなめられるから絶対やらない系の仕事なのではないかと夫は言う。面子とは不便なものだ・・・

 搭乗を待つ間、トイレから戻ったら暇だからか夫、自分でリンゴをむいていた。これはやってみればわかるがプラスチックのナイフのむきづらいことむきづらいこと、ぺっと一切れリンゴの皮が床にとんだ。ありゃ、と言って拾うと、みていたツアーの女子グループがウケていた。
 
 ツアーメイトには、旅行先でまで夫の面倒みたくないと言ってる人がいたらしい。男というのは徹底してフルーツをむかないことでは定評があるらしいが、おお、あのおっさんはむいているぞと驚かれそれが下手で皮を床に飛ばしたと面白がり、奥さんがそれを拾ったぞとまた面白がり。早い話が全員暇だったわけですね。ちなみに奥さんはダンナのリンゴはむきましたが、自分は丸かじりでした。
 
 カイロ着後、モハメド・アリ・モスクに連れて行かれる。
別にボクサーを祀ったわけではなく、ボクサーの方が偉人の名前をもらったわけで。なるほど今までにない巨大なモスクではある。靴を脱いでモスクに入る。トルコのブルー・モスクを模してどうとかこうとか、だったらブルー・モスクを見に行けばいいのでは?
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寒いし、すごい廃墟感。本当に信仰されているのか?だったらなんでこんなに汚い、いえ、ほこりまみれなの?私はきれい好きではない自信があるが、こんな私にさえも掃除欲が湧いてくる。これからエジプトに行く人がいたら、激落ちくんとタワシ、お雑巾のご用意があれば、なお充実した旅行ができる、かもしれない。モスクの中には、なぜだか猫が。

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近くに軍事博物館のカンバン、夫は残念がる。
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 ハンハリーバザール。午前中だからか店はろくに開いてない。野良猫がたくさんいる。そのうちの1匹がよろよろと歩いていたら後ろからやってきたおじさんがビニール袋からざっと鶏肉やら何やらの残飯を道端に置いた。ネコ、ありがたくいただく。イスラムでは猫は神様のお使いだそうだから、迫害されることもなく普通におなかをすかせたりたまにエサにありついたりで生きているのであろう。ためしに残りもののパンをやったら食べた。
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 こんなふうにエキゾチックなところもあるが、概してきれいではない。
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 大多数の人は現地ガイドお勧めの店に行った。バザールの品物というのは。お菓子なら耐えられないほど甘いし、虫が入ってたりもするし、ナツメヤシなんていつから置いてるのかわかったもんじゃーない、と客から旅行社に不満爆発、それで多少お高かろうとも保証のあるところにと現在の状況になったらしい。虫、まではつまんで出して食べられると思うが、お菓子にご産卵なさってたらちょっと、いやかなりイヤかも。だがナツメヤシは元々干してあるので、店先に出してあるナツメヤシにおける変質とはどんなものなのか、どの時点から怒ったらいいのか。

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  にしても、面白くなかった。ガイドに禁じられた横道にそれたらスパイスを売ってる道筋に出られ、なおかつ現地のコロッケに出会えたので買い食い出来た。
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果物とかお惣菜とか全く売ってなくて、服とか下着とかの布系のものばかり。那覇の市場みたいなんだったらなあ。そろそろ時間なので戻ろうとしたら、通りの出口にお菓子屋さんが1軒。他にお菓子を売っているところは見えなかったので、これが虫入りお菓子を売る店なのかもしれず、っていうか、虫入りでもいいような気になって来る。カルフールに突っ込んさえくれりゃ、1000円くらいのチップならやるんだけどなあ。
 
 そこで昼食になる。・・・何を食べたのか忘れた。覚えているのはレストラン内で
1ドルショップが開催されて、ぼられることもなく値切らねばならないこともなく、定価で1ドルだというのでツアーメイトが沢山買っていたこと。こんな調子で5ドルショップとか10ドルショップとか開催すればお互いに楽なのに全く、とため息が出たけれど、向こうにとってはぼるチャンスもなく、値切りの駆け引きを楽しむこともできないからつまらないのかもしれない。計算がラクでいいよなーと、それくらいかな?
 
 午後。ギザの三大ピラミッド見学。もうここまで来たら何もかも一緒と言いたいところだが違った。見たのはメンカウラー王、カフラー王、そしてクフ王のピラミッド。クフ王のピラミッドの重量は概算にして現在の日本人全体の体重と一緒だとかなんとか聞いたのち、ピラミッドに入場する。
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 入り口はちょっと登ったところにあり、手すりがないのでちょっと怖い。
だが本格的に怖いのはこの後で、ああこの階段を上がっていけばいいのですねと登り始めるがこの階段が長い。鉄の手すりを頼りに登っていくが、途中で腰を曲げた姿で登らねばならず、あと何mといった標識も何も全くない。後ろからも人が続くので、休むこともままならず、ただでさえ狭いのに、途中で反対方向から人が来る。ということは、この階段をまた帰って来ることになるわけ?嘘でしょ!!こんなことになると知っていたら、絶対入らなかったよあたしゃ!

 と、内心で文句たれるしかなかったのは苦しくて言葉にならないからである。
そしてただの石作りの壁の中ひたすら上り続け、たどり着いた目的地はこれまたただの石造りの石室で、櫃がひとつ、ぼけっと置いてあるだけだった。何の飾りもありゃーしないヒエログリフの彫刻もないお部屋は世界中の見学者の熱気を集め、熱いのなんの。熱気の逃げ場所がないからな。そして、同じ道をまた帰らねばならない。下りは下りというだけでましかもしれないが、腰をかがめなければならないのは同じで、なおかつ反対方向からも人が続々と。しかもこれが西洋人とくる。後ろで夫が「もっとシステマティックに誘導するべきだ」と当たり前にしてなお、今現在実現不可能なことを言っている。これがうるさい以外の何なのか。

 ツアーメイトの皆さんは余程丈夫なのか我慢強いのか、下調べをして多少鍛えてから来ているのか、誰も文句は言わない。バスに帰って「このピラミッド、何人死んでるのか聞きたいわ!」と思わず口に出すと後ろの方から「あはははっ、心不全で?」と。いや死因までは特定しませんけど、やはり死ぬ人もいるだろうなーと思った人は私だけではなかったわけで。
 
 説明だけして送り出し、自分は待っているだけの現地ガイド(太目)に、最後に登ったのはいつなのか聞いてみた。昨年11月?思ったより最近じゃん!なんでもガイドしながら週イチくらいで登っていたが、そうすると通路が渋滞して大変なので最近になってガイドは外で説明だけして、お客さんだけ中に入ってもらう方式になったらしい。するてえと以前はもっと大変だったわけか。そう聞いてスっとするのはなんでだろう?
 
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 三大ピラミッドのビューポイントに連れて行かれる。ラクダが沢山いる。このラクダこそが不評で、乗るのはいいが、降りるのが難しいと評判なのである。乗るのは1ドルだが降りるのは100ドルだったりするらしい。現地ガイドに相場をきいたところ、10分間で10ドルくらいとのこと。だが写真をこっそり撮ったり砂浜のランドスケープを歩いて行く隊列にうっとりするのはタダだ。もちろん初めて見るラクダの糞やオシッコなど、リアルな生態もめずらしい。
 
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 最大のスフィンクス。顔がない。髭がついていたが、現在それはイギリスにあるらしい。エジプトは「返して」と言い、イギリスは「貸してあげる」という態度だそうだ。子供が夫に一緒に写ってくれと写真ねだる。アメをやろうとしたら断わられた。なんでやねんと思ったが、カメラを持っているような良家の坊ちゃんでもあり、異教徒の女からの施しなどは受けてはいけないのかもしれないと思いついた。しかしながら一緒に写真を撮ろうと言ってくる。何がどうなっているんだよ、これって。帰りがけに寝てる犬をみつけたので最後のパンをえいっと放り投げたら犬に当たった。犬は何事かと思ったようだが何事でもないと判断、また眠り始めた。私はともかくとして、パンの立場は一体?

 ホテルに戻る途中にパピルス屋にも連れて行かれた。夫はパピルスの植物本体が欲しいと言うが、確か日本でもあったはず。パピルス屋では日本語の達者な店員がパピルスの作り方など見せてくれるが、和紙の丁寧さをを思えば簡単すぎて、なんだかがっかり・・。
店内は比較的きれいだったが、店の周辺はこんな感じ。 
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ピラミッドや王やヒエログリフの絵がついてるのでなくて、サラのパピルスが欲しいと言ったら、1枚1000円、何枚かまとめて買っても1枚あたり800円と言われ、こんな誰でも出来そうな、茎をつぶして縦横に編んで水分を圧縮しただけのものにそれはなかろうと断念。
 しかしパピルスもバナナの繊維で作った偽物があるのだそうで、安いのは全部そうなのだと。パピルスはとにかく長持ちするが、そちらはすぐに色がくすんでくるとかなんとか。パピルスもエジプトでこそ長持ちするが、湿気の多い日本ではどうなのか。
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そうそう、解散前にはガイドからツアーのメンバーに、パピルスに印刷されたクフ王のピラミッド入場証が配られた。それにはめでたくも赤い文字ででかでかと旅行社の名前が入っていて、夫によれば、こんなもんが入ってたら飾れもしないし台無しじゃないの!とガイドに詰め寄った人がいたそうである。よくぞ言ったというべきか、大人気ないというべきか。旅行社の名前の入った入場証、なんか、昭和の香り?裏にはハンドメイドのハンコ。「 Egyptian 」となるべきところが「 Egyption 」となっているところがご愛嬌。

 そんなこんなでホテル到着。ル・メリディアン。高級だあ、きれいだあ、嘘みたいだあとうれしいが、1泊のみで夕食は外だし、その後、寒い中「光と音のショー」を見ることになっている。この上風邪ひきがひどくなるのはなあと気持ちは落ち込む。
ピラミッドビューの窓からはクフ王のピラミッドともうひとつ、庭には日没のお祈りをしている人が見えた。 
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 でまあ結局、カゼ気味だしホテルで夕飯食べますと添乗員に言って、ホテルのレストランに行く。前菜はアラビア風メゼをひとつ、大量に来る。
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メインは子羊(今回初めてだ!)、シーバスの焼いたの。ワインは観光客の王道を行くべく シエラザード という名前のドメスティックワインを注文。
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それで二人分で9000円ほど。誘ってあげたら良かったと思う人々はいたけどそれはそれでモメる元だろうとも思える。
 
 翌朝。日本だ日本だ日本に帰るんだよん!と喜ぶにはなんというか物足りない思いが一杯。思えばホテルのレストランにもハト料理はなかったし。ああエジプトのカルフール見たかったなあ、お土産ったってガイドが手配したナッツが刺さったナツメヤシ、値段は一箱千円でどう見ても箱代だしバザールでなくてカルフールなら現地の皆さんが食べてるパンとか買ってお土産にできるのに。不味くてもその方が面白いに決まっているのに。(私だけですかね?)
 
 バスから高級住宅街を見る。庭が広くてお高いだろう水道代をふんだんに使った緑の庭、その奥に豪邸が見える。だけど門は砂まみれ、塀の足元はビニールのゴミだらけ。うちの近所の奥さんが見たら気が狂いそうになるぞ、これ。毎朝とは言わないが、たまにお手伝いさん(いないとは言わせない)に言って、ちょいちょいと掃いてもらえばいいのに、塀の足元のビニール袋だけで豪邸が廃墟に見える。現地ガイドに向かって、そういう意識ってエジプト人にはないんですか?と、こちらも聞かない。ないからこうなってんだろうし。
 
 空港、免税売店を見る。アーモンドが刺さったナツメヤシ、スーパーみたいなパックにぎゅうぎゅうに入っているが、ツアーのガイドが手配したお土産(上側)より安い。
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 その安いナツメヤシ(心なしかちょっと古い?)、300gのリンツの板チョコ11ドルちょい、(重たいので豪勢で安いような気になるが、100gに換算して400円)だ。
搭乗ゲートの近くのカフェ+菓子屋でアーモンドなどのナッツをふんだんに使った生菓子(?)も購入、ひとつ500円ほど。
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他にバラの浴用剤詰め合わせ39ドル(安い!)など買う。しかし、ここにあるならばあのカイロの街の中にもどこかにこれが、もちろんずっと安く買える場所があるはずなのだが、ついぞ見たことがない。私にとって最後の最後までエジプトは砂の中に埋もれた、お掃除が行き届かないところなのだ。 
 
 搭乗ゲート。ざーっという音に振り返ったら大量のM&Mのチョコを床にぶちまけている白人親子が。子供、床から拾って食べる。お父さん、止めない。だが搭乗時間となり、床に落ちたM&Mからひきはがされる子供大泣き。さっさと拾ってポケットに入れときゃーいいのに、ほら、子供だから永遠に空港の床から拾って食べていられると思ってる。まあ。
全部お腹に回収できたらそれはそれで問題が想像されるから、床に落ちたチョコとは早々にお別れするほうがいいのだね。
 
 カイロからアブダビに飛んで、アブダビのエティハド航空の成田行きゲートのお土産のバラエティーには泣けた。以前にカタール航空で利用したときも、デーツとチョコレートしかなかった記憶があるが、来るときにはちゃんと中東っぽいお菓子が見られたのに、なんでゲートによってこんなに差があるのか。それが、帰りに限って何にもないとは、全く。
 
 帰国後はしばらく風邪のせいで寝ていた。ツアー中はあまりに忙しく早朝に起こされることも多かったので、時差ボケを自覚する暇もなく、帰ってからもその点だけは全く大丈夫だった。ツアーで旅行する利点の一つかもしれない。効率的な観光という意味では、初日に廻ったぶんだけで我々だけで行こうとしたら1週間くらいかかりそうだった。
 
 100均のパンツの人(ここまで書いて、違ってたらすみません。とても良い人でした、念のため)の人によれば、最初ツアーで大体のところを見てから次は個人で行くようにしているそうである。うちがまたエジプトに行くことがあるのか。行くとしたら2泊3日くらいでショッピングモールとカルフール(フランス資本のスーパーマーケットです、念のため)に行くことになるのか?頼みの綱のひとつ、「地球の歩き方」も2014年までしか出ていなくて、オークションでは倍の値段がついているそうである。円借款で作られるというエジプトの大博物館が出来あがったら考えてもいいかもしれない。
 
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 行く前に夫が見つけてきた「エジプトがすきだから」なる赤い表紙のカワイイ本がある。20年以上前に1泊170円のホテルに泊まり歩く女子二人組が書いた本である。てこずらされることに魅力を感じられない人でないとエジプトを個人旅行できないということがよくわかる。

そんなわけで、お疲れ様でした。

MEADE LX80 を Onstep に換装 Motor ユニット取外し

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LX80 からモーターユニットを取り外した。取り付けネジは5mmHEXでかなりきつく締められており、はずしにくい。100円ショップで、パイプを買ってきて、トルクがかかるようにして取り外すことができた。
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写真の左が赤径、右が赤緯用となっており、エンコーダーの信号ケーブルは取り外してある。同じものかと思っていたら、微妙に取り付けネジの位置が違う。
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ちなみに ZIZCO で売っている物は、取り付けネジ穴の位置からすると
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赤径側のようだ。

赤径部のMOTORギアユニットを取り外し、Aliexpress から購入したモーターを並べてみると、
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こんなふうに取り付けできそう。

ウォームユニットに付いている既存の平ギアは、歯数48モジュール0.5だが、軸径が4.5mmとなんとも半端な値。モーターの軸径は6mm。もう少しモジュールの大きな歯車を使ったり、ギア比をいじってみたりしたいのだが、国内メーカーのカタログをあれこれ検索してみても、ジャストフィットするようにはできない。
LX80のもとの筐体への収まりも考慮すると、結局、同じ歯数48モジュール0.5 軸径5mmのものを6mmに広げて使用するしかなさそうだ。取り付け金具を工作を進め、この歯車を発注することに。

MEADE LX80 を Onstep に換装 基板組立

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ギアを発注したのだが、なかなか届かない。その合間に基板を組立。まずは、メイン基板。
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LX80パネルとの配線、電源やST4端子、シリアル通信用はオリジナルのものから取り外して使う。MOTORドライバ基板が別付けなので、コネクタに引出した配線がたくさん、基板上の配線が効率が良いのがわかる。

LX80のパネルに組み込んで収まりと接続を確認する。ぴったりというか、ギリギリに収まった。電源のつなぎかたに勘違いがあり、ちょっと変更、いくつかの部品が裏側に移動。
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MOTOR基板、RTC基板を接続してみると、こんな感じになる。PCとのシリアル接続は、パネル側からモジュラコネクタ→USBアダプタ経由になる。
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この状態でSTM32基板にファームを書き込めば、MOTOR は接続しなくても動作テストが可能になるはず。

MEADE LX80 を Onstep に換装 Firmの書込み・テスト

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Onstep基板とPCとの接続には、USB-TTLシリアルアダプタを使う。LX80パネルからの取り出しは、4Pinのモジュラコネクタが必要。ダイレクトに配線することも検討したが、モジュラ用の線材は、ハンダ付けがしにくいので、コネクタ経由とすることに。手持ちを確認したら、大昔に購入したこんなものが見つかった。
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これに、USB-TTLシリアルアダプタを組み込んで、
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こんなふうにして、PCとの接続テストを行う。
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ハードの準備ができたところで、STM32に Firm を書き込む。Onstep STM32 Wikiによると、Arduino のバージョンは、Ver1.85 以上とのことなので、最新版の1.88をダウンロードする。
そのほかのライブラリ、Onstepのソースコードもダウンロードする。ボードの選択を行ってコンパイルしてみたら、いきなりエラーとなった。 Wikiをよく読んだら、ボードマネージャーのところで、Arduino SAM Boards (Cortex M3) の設定をするようにとの記載があり、設定するとエラー無くコンパイルできるようになった。

このSTM32ボードには、以前に紹介した手法で Bootloadeが書き込んであるので、それを使って、Firmを書き込んでみた。この方法だとUSBポートから書き込めるので、設定がいらない。実行してみると、Arduino IDEでは「書込みOK」のメッセージがでるのだが、期待通りの動作をしない。試しに、LEDblink を書き込んでみると、動作する。
いろいろとテストしたり、調査したりした結果、生成したバイナリファイルが64KB以下でないと書き込めないようだ。Onstepは110KBほどあるので書き込めるところまで書き込んで、OKを出しているようだ。

なので、シリアルPORT経由の書き込みに変更する。もともと、PCとの通信用にUSB-TTLシリアルをつないであるので、STM32ボードのBOOT0 JUMPER を 「1」にして、書き込むことができる。WikiにもシリアルPORT書込み、と書かれてあった。

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書き込み終了後、JUMPER をもとに戻して、再起動。PCとの通信を確認する。LX200用のユーティリティを使って、コマンドを送信してみる。
まずは Firm 名、

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続いて、バージョンを確認、
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とりあえず、動いているようだ。

以前に製作した Arduino MEGA バージョンを製作したときとは、ファイルの構成などが大きく変わっているので、ゆっくりと動作を確認してチューニングしていくことに。

MEADE LX80 を Onstep に換装 configファイル設定

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製作した基板へのFirm 書込み、PCとの通信が確認できたので、CONFIGファイルの設定を行う。パッケージの中のソース Config.STM32.h を手直ししても良いのだが、Config ファイルを自動生成してくれるページあり、これを使う。図のように、マウントの形式、ステップMOTORの定数、RTCの設定などを入力して、ページの左下にある「Generate」をクリックすると、Configファイルが自動的に生成される。

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生成された Config.STM32.hのファイルをパッケージのものと入れ替えてコンパイルし、SMT32ボードに書き込む。

ボードに書き込んで、テストすると Config では、RTC DS3231 を設定しているのに、時刻情報を読み込んでくれない。またまた、OnStep STM32 WiKi を読むと、RTC DS3231ライブラリ「Makuna RTC」の設定をしろと書いてある。Wikiのとおりにやると、こんなファイルが生成される。

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これらの「include」指定をメインの「Onstep.ino」にコピーしてコンパイルすると、エラーとなった。設定が重複しているようなので、上記のうち、使用している RTC 以外の include 指定をコメントアウトする。具体的には、

 #include <EepromAT24C32.h>
 #include <RtcDateTime.h>
 //#include <RtcDS1302.h>
 //#include <RtcDS1307.h>
 #include <RtcDS3231.h>
 //#include <RtcDS3234.h>
 #include <RtcTemperature.h>
 #include <RtcUtility.h>
 #include <ThreeWire.h>

このようにして、無事コンパイルできて、Batt バックアップした時計を起動時にREADして時刻を設定するようになった。


Onsetp のオリジナルは起動時の初期位置が点の北極となるように設定されている。今使っている Arduino MEGA バージョンは、FORK の設定として、LX200 Classic と同様に、起動時には、南中・天の赤道となるように変更してある。
今回のLX80 Onstep換装版は、マウントは German EQ タイプであるが、FORKマウントとして設定し、初期位置をやはり南中・天の赤道とする。

Initialize.ino の340行あたりの void InitStartPotsition()の中の
 setIndexAxis2(celestialPoleAxis2,PierSideEast); 
 setIndexAxis2(0,PierSideEast);
として、強制的にDEC=0に設定するようにして初期位置を変更した。

発注していた平ギアも届いたので、シャフト径加工を行って、実装し、実際に動かしながらもう少し細かい設定をしていく。

MEADE LX80 を Onstep に換装 モーターでままり中

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届いたギアを組み込む前にドラーバー基板やRTCを接続してモータをこんなかんじで単独で回してみた。
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動作確認には、例によってシンプルな LX200コントロールソフトを使う。

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RA 方向は正常に動作することを確認できたが、DEC側のモーターが動かない。モータードライバへのコネクタを差し替えてもダメ。配線、回路図、プリントパターンを再々再度見直しも間違っていると思われるところなし。

PIN MAPを変更して、RA⇔DEC を入れ替えて再コンパイルして動作させてみると、今度は DEC側は動くが、RAのモーターが動かなくなった。状況としては
 ・STEPパルス、DIR信号などは正常に出力されている
 ・モーターは通電されていない

どうも、STM32のPIN割り当てか初期設定に問題がありそうだ。

ただ、Onstep STM32 はそれなりに実績のあるところなので、このような問題があれば、コミュニティの中で解決されているはず。なにか、こちらが勘違いをしている可能性もある。調査は、ソースを読み込んで
 ・予期しないところで PINの2重設定になっていないか。
 ・モータードライバの初期設定など間違いないか
などを確認していくことになろうか。

Onstep STM32 は、ソースも多岐にわたって、条件コンパイルの山なので、シンプルにモーターを動かすスケッチを書いて確認したほうが良いだろうか。


MEADE LX80 を Onstep に換装 モータートラブル解決

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前回報告した、DECモーターが回らない件が解決した。原因は、結果的にモータードライバのRESET端子がLow になっていたためだった。これを High (RUN MODE) になるようにして、回転するようになった。

モータードライバのRESET端子はそれぞれ
 RA側  → PC13
 DEC側 → PB15
に物理的に接続されている。

これらのPINは、Pins.STM32B.h のPIN MAP定義ファイルにより、
  #define A1MISO        PC13
   #define A2MISO        PB15
さらに
  #define Aux1            A1MISO
  #define Aux2            A2MISO
と定義され、またまた
  #define Axis1_Aux       Aux1   // Aux - ESP8266 GPIO0 or SPI MISO
  #define Axis2_Aux       Aux2   // Aux - ESP8266 RST or SPI MISO
となっている。
Onstep STM32 の一連のファイルを検索してみたところ、Axis1_Aux、Axis2_Aux は、ESP8266を使うときと共用になっており、Config で ESP8266 OFF としているので、PINの設定はされない。
このため、これらのPINは、入力設定になり、値が不定となる。起動時に、たまたま、RA側は High になり、DEC側は Low になったため、RA側は回転し、DEC側はしなかったということだ。

Initialize.ino ファイルの void initPins() に

  pinMode(Axis1_EN,OUTPUT);
  pinMode(Axis2_EN,OUTPUT);
 
  pinMode(Axis1_Aux,OUTPUT);                // For Motor Driver1 Reset
  digitalWrite(Axis1_Aux,LOW);  delay(5);   // ResetReset Driver1
  digitalWrite(Axis1_Aux,HIGH);             // Run mode
 
  pinMode(Axis2_Aux,OUTPUT);                // For Motor Driver2 Reset
  digitalWrite(Axis2_Aux,LOW);  delay(5);   // Reset Driver2
  digitalWrite(Axis2_Aux,HIGH);             // Run modeH

を追加して、起動時に、これらの端子を Low → High とすることで、モータードライバをリセットし運転モードにすることで、正常に回転するようになった。

届いたギアをモーターアセンブリに組み込んで、
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さらに、RA側のウォームとのあたりを確認。かなりギリギリなので、再加工が必要。
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まもなくRA側の試運転ができそう。

MEADE LX80 を Onstep に換装 RAギア作り直し

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このように作ったRAギアアセンブリ、取り付けのアルミ板部分がホイールギアにわずかにあたるので、加工してとりつけた。
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写真のLX80ベース部分に組み込んでみると、うまく固定できず、かつ内部で当たるところがあり、RAのクランプ・リリースがうまくいかない。
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LX80のクランプ・リリース機構は、日本製の赤道儀のように、ウォーム+ホイールギアが固定されている回転軸をクランプするのではなく、ホイールギアをクランプ・リリースする方式となっている。
RA部のモーター・ギアアセンブリはLX80ベース部分に入り、写真の円内におさまるようにしなければ、任意の位置でクランプ・リリースさせることはできない。
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予備というか、別途買っておいたこのモーターを使ってギアアセンブリ組み立てられそうだ。使えそうなギアがかなり限定されるのと、それなりの加工精度が要求されそう。

気分転換に秋葉原へ

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ギアアセンブリを設計して、それ用のパーツをMONOTAROに発注して、こまごましたパーツの買出しに秋葉原へ。家から秋葉原を往復すると1200円ほどかかる。必要なものは秋月で買えるので、通販を利用したほうが割安のなのだが、気分転換も兼ねていくことに。

田園都市線→銀座線のルートもあるが、今回は大井町線から京浜東北線に。大井町駅のホームの向かいに病院の広告が。院長の名前が「愛新覚羅 維」とある。この人、中国 清朝の末裔なのだろうか。
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秋葉原について、秋月で当初の目的の必要なもの、こまごましたものを買う。このあと、千石電商の店頭に、こんなものが。
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右は MADE IN USA のインチピッチ 六角レンチセット、左はスウェーデン製のちょっと変わったモンキースパナ。両方とも良い作りで安かったので即買い。六角レンチセットは大きなサイズがあるのでうれしい。

続いてジャンク屋さんで格安の小さなNEMA9サイズのステップモーターを見つけた。小さすぎて、今進めているLX80換装計画のモータードライブにはギア比をかなり大きくとらなければトルクが足りず、使えないと思う。小さいモーターは入手しにくく、アンテナコントローラーに使えそうなので購入。
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お腹がすいたので、いつものケバブを食べる。秋葉原と言えばケバブというくらい、ケバブ屋さんが増えた。ここは、私が食べるようになってから20年くらいか。お店に出てサービスする人は、かなり代替わりしたけれども味はほとんど変わらない。日本人に合わせているのだろうか、イスタンブールで食べるよりも美味しいと思う。
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頼んだものが届くまで、一休み。

伊豆の桜は満開

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いろいろとあって、先週末は伊豆の妻の実家へ。

金曜日10時16分川崎発の「踊り子」に乗る。いつもは自由席で、どうかすると座席を回して4人掛けに二人でゆったり座ってのことが多い。この日は、二人掛けには座れず、やっと別々の席に座れた。乗客はアジア人も多い。熱海でも自由席は空くことなく、みなさんのお目当ては「河津桜」のようだ。
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ほとんどの乗客が河津で降りて、下田まで乗ったのは5人ほど。ごらんのとおり、河津桜は満開。

いろいろと、所用をすませて、みかん採りの手伝いをする。温州やポンカンは終わりで、これから、清見やらの時期になる。ここには、4本くらいしか植えていないが、写真の黄金柑がさわやかな酸味と甘味でおいしい。少々割高なので地元の人にはあまり人気が無いが、道の駅の売店では良く売れる。
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南伊豆町では恒例の「みなみの桜と菜の花まつり」が開催中。お手伝いが忙しくて、じっくりと見ることは出来なかったが、きれいな菜の花畑。
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川沿いの桜も車から見るだけだったが、ごらんのように満開。
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おみやげには、葉のついたレモン、黄金柑、伊予柑などをいただきました。
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MEADE LX80 を Onstep に換装 RAギア 難航中

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設計ミスでハウジングに収まりきらなかったRAギアアセンブリを作り直し中だが、結局のところ、もとのDCモータアセンブリの大きさにしなければならずいろいろと難航している。ギア比が1以下ではとてもパワーが足りないだろうし、減速ギア1段では届かないので2段以上にしなければならない。となると、それなりの加工精度や潤滑などが要請されることになり、構成が格段に難しくなる。

ネット検索してデータを見た結果、使えそうなギアは小原歯車のLS焼結平歯車のシリーズを組み合わせて作るしかないようだ。このシリーズは安いのでトライアルが楽だ。

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PCで図面を書いて、昔使ったOHPシートに印刷して、収まり具合を確認しながら進める。今時は Fusion360 などの3DCADを使うのだろうが、もはや新たにCADの操作を覚える気力がない。
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MONOTAROから歯車を取り寄せて、アルミ板に取り付け穴加工をして仮組してみた。ギアの位置関係は問題なさそう。全体のギア比は10:1となる。モーターは収まりそうに見えるが、ほんの1mmほどモーターが長く、入らない。パワーをかせぐために、大きなものにしたのだが。
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もう少しちいさなモーターでなければ実装できないようだ。Aliexpressのお店に発注到着待ち。
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行き当たりばったりの進め方だが、届くのを待つ間に、ギアの径や中間ギアの連結加工を進めておくか。



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